28話

暫く帰りたくなくて駅前を彷徨う。

時間が経つに連れ、帰りにくくなっていく。今日は実家に帰ろうかと思った。ここから電車で一時間もかからない。

あの冷たいリビングが頭を過る。冷めきってしまった家族の温もりに、小さく息を吐き出す。

終電までにはまだ時間がある。別に実家でなくても一晩過ごす場所ならいくらでもある。近くのファストフード店で時間を潰しながら、ゆっくり考えたっていい。

そう思って、歩き出そうとした時だった。

不意に掴まれた腕に振り向くと、見慣れないスーツ姿の男が立っていた。

「失礼、斉藤彰…くんだよね?」

「…人違いです」

基本、知らない人に名前を尋ねられた時は、人違いだと話している。テレビや雑誌で持て囃されていた斉藤彰という人間はもう居ない。

彼は腕を掴んだまま、スマホと俺を見比べて誰かに電話した。

「あー、木津です。…ってなんでアンタが出るんだよ、太一さん。朋樹さんに代わってください。…はい、…はい、多分本人です。貰った写メ確認しましたから。今から連れて帰るんで、大分身体冷えてるから風呂沸かしといてください。え、あ、今、駅なんでタクシー拾って帰ります。」

「…なんで朋樹さんのスマホに太一さんが出るんだつーの」

「ほら、帰るぞ。あんまり他人に迷惑かけんなよ」

「てかマジで太一さん腹立つな」

少し怒気の強い口調は、俺に対してというより、マンション一階にある喫茶店のマスターに対してらしい。木津という名前の彼は、ロータリーに停まっているタクシーへと俺の腕を掴んだまま足早に向かう。

何も言えず俯いたままの俺に、木津さんは何も聞かなかった。

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