3話 細野 楓
楓は口から心臓が飛び出しそうになっていた。今日、巧君に会えるのだ。
見ているだけで充分だったのだが、麻美は「何を下らない事言ってんのよ、知り合いだから紹介してあげる。」と、どんどん話を進めていってしまった。
麻美とは高校の友人を介して知り合ったのだが、その友人を飛び越えて仲良くなり、波長が合うとはこの事だと感じていた。
引っ込み思案な自分を、麻美はどんどん明るい方向へと導いてくれる。
もともと人付き合いが上手ではないのだが、航平君とは何度か顔を合わせた事もあるし、航平君の取っつきやすい雰囲気のお蔭で、気軽に話せるまでになっている。しかし、今回ばかりは打ち解ける自信がない。ましてや、昼食を共にするなんて。
食べ物は喉を通らないだろう事は容易に想像がつくが、いつまでも口の中に食べ物があるよりも、食べずにお腹が鳴る事の方がよっぽど恥ずかしいので食事はした方が良いか、と訳の分からない事を考えているとあっという間に講義が終わってしまった。
「だめだ、やっぱり行くのやめよう!」麻美に寄りかかると麻美はかぶりを振った。
「あのね、巧君だって同じ人間なんだから堂々としてれば良いのよ。野菜だと思えば良いんじゃない?」そう言って麻美は笑う。
「無理だよー、あんな綺麗な野菜ってないもん。きっと無農薬で虫のいない綺麗な畑で農家の人が手塩にかけて育てたんだよー。」そういって頭を抱えると、あんたそれなんの話してんのと麻美は大笑いした。楓にはそれほどまでに彼が同じ人間には思えないのだ。
中学の時に太宰治にハマって著書を読み漁り太宰治のファンになったのだが、
きっと太宰治が蘇って話せたとしてもここまでの緊張はないだろうと思う。
食堂までの足取りが重い。次の一歩を踏み出す足がなかなか前に進まない。
きっと麻美がいないと食堂につく頃には日が暮れてしまっていただろうと思う。
「こっちこっち」航平が手招きをして手を振っている。
もうここからの記憶は曖昧で何を話したのか、どんな自己紹介をしたのか覚えていない。
ただ、巧君は優しくて思っていた通りの人であった事は覚えている。
話をしただけで満足だったのだが、麻美が番号の交換の提案と再び4人で会う約束を取り付けてくれた。麻美様様。
その晩に早速、巧君からメールが届いていた。
「明日、空いてる?良ければ一緒に本屋に行かない?太宰治のおすすめの本を教えてよ。」
メールが来た事が嬉しくて嬉しくて、きっとこの時の顔は誰にも見せる事が出来ないと思う。それにしても、緊張していたとは言え、太宰治のファンである事まで話してしまったのか。穴があったら入りたい。
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