第6話 10^103日

 クオンが交通事故に遭ってから三無量大数の一溝倍の年数が経過しました。

 トワとクオンは銀河団を飲み込んだブラックホールのなかで過ごしています。


 太陽質量の百兆倍という超重力は、思いのほか快適です。

 というのも、情報の伝達スピードは光速を超えることがないので、光すら閉じ込めてしまう超重力の中では一切の情報が遮断されてしまうからです。

 外界からの刺激はもちろん、自分という秩序を巡る感覚すら遮断されます。


 自我は完全に無と化すのです。


 銀河団サイズのブラックホールとなると潮汐力も非常に小さく、スパゲッティ化現象などもありません。


 トワとクオンはひたすら静かにブラックホールの中心へと落ちていきます。


 ただ、そんな静かな時間もふたりにとっては一瞬です。


 ブラックホール内という重力ポテンシャルの低い場所では、時間の流れがブラックホール外よりも遅くなっています。

 外の空間でいくら時が経過しようと、ブラックホール内にいるふたりにとっては一瞬にしか感じられないのです。


 ふたりの意識が戻った時、それは、ブラックホールが蒸発してしまったことを意味するのです。

 真っ暗な宇宙のなかにぽつんと、ガンマ線バーストがはるかかなた目がけて飛んでいくのだけが見えました。


 ――トワ。きれいだね。

 ――うん。そうだね、クオン。


 ふたりは三無量大数の一溝倍の年数ぶりに(正確には三無量大数の一溝倍ひく三十穣年ぶりですが、後者の数は前者の千無量大数分の一しかないので無視しています)会話を交わしましたが、ブラックホールの超重力と一般相対性理論から導かれる通りふたりにとってはほとんど一瞬でした。

 つまりトワとクオンには、ブラックホールに入った瞬間、ブラックホール蒸発のガンマ線バーストが見えたように感じられているのです。


 背景放射すら見えなくなった宇宙空間で、ガンマ線バーストの軌跡だけをおよそ二兆年間、眺めました。

 二兆光年も離れたガンマ線バーストは、膨張する宇宙に引っ張られてついに見えなくなってしまいます。


 ――クオン。もう何もすることがなくなっちゃったよ。

 ――でも、トワがいるから。


 そう言われて嬉しくないわけがないのですが、三無量大数の一溝倍の年数前にずっと面倒を見るよと言った以上、クオンにはもっといろいろなものを見せてあげたいのです。


 この真っ暗で何もない宇宙、いったい何を見せてあげられるでしょうか。

 トワは考えに考えて、なんとか方法をひねり出しました。


 ――ねぇ、クオン。別の宇宙に行ってみない?


 お互いの運動によって発生する重力場をエネルギーに変換し局所的に微分すれば、実質的に無限のエネルギーが得られます。

 トワはこれを使って次元の壁を破ってしまおうというのです。


 ――そんなことできるの?


 トワの返事は決まっています。

 違う次元だろうと、仮に自分たちという概念そのものが変わろうと、クオンはクオンで、トワの大切な幼馴染なのです。


 ――わたしに任せて。いっしょに行こう。

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