第7話 中央領滞在四日目~六日目
中央領に来てから四日目の朝。
姫乃達が中央領にやってきた。
すぐには連絡が取れないので、チャットでやりとりができるようになったのは昼頃だった。
聖堂領の本部に転移した姫乃達は、司教代理である代表の少年セインと会い、聖堂教の様子を探っている。うまくやっているようだった。
こちらは今日は町に繰り出す事にした。
要警戒の身分だが、たまには外に出て程よく騒いておかないと囮をする意味がない。(あとは純粋な気分転換というのもあるが)
中央領グロリアは、医術が盛んな町だった。
聖堂教会の横に立つ医術寮は、シュナイデにあるものよりも大きくて立派だし、敷地も広い。
健康な肉体と健康な精神を育むために、体に良い料理の作り方や、体を鍛える催しものとか、そういうので溢れている。
見た目として目に付く大きな特徴は、町の中の各地に生えている大樹。
何十メートルもの太さの幹の木が、天空に届かんばかりに背を伸ばしている光景は雄大だった。
各地に生えているそれらの木が、互いの枝をからませているため、町の上空にはいくつもの橋ができてた。
町の中の雰囲気は穏やか。
終止刻の事や、憑魔の事について特に神経質になっていたり、不安を抱いていたりするようなことはない。
町のあちこちを見てまわりながら、気分転換をした後、そのうちにちょうど良い場所を見つけた。
人通りの多い場所で、かつ道行く人の視線を多く集められる広場。
鋼鉄製のモニュメントや健康遊具が大きく幅を利かせている広場だ。
「ここらへんでいいと思います」
「ん、そっか。じゃあやっちゃう」
「はい」
そこで、未利は囮としての仕事を行う。
と、言っても大した事はしない。
ゲリラコンサートをかますだけだ。
目立たない場所で元の服装(人格:未利)に着替えて、魔法で演奏するだけ。
しかし、数秒すると人が集まる集まる。
道行く人が足を止めて、こちらを見つめる。
聞きなれない音楽だな、程度の認識なのだろう。
この世界ではめずらしい、アニソンとかポップな音楽ばかり選曲しているからだ。
やがて空気が温まったころに、その中から城の兵士達から評判の良かった一曲をセレクト。
群衆の関心を大きく引いたところで、すぐさま離脱だ。
「メリル、撤収!」
このタイミングが一番怖い。
あらかじめ確保していた逃走経路……近くの建物によじ登って人々の頭上から逃げるので、もまれることはないが、追いかけてくるのがいるのがちょっと引く。
ファンというよりも、なんか本能的に面白いもんみっけみたいな行動なのが。
「何あれ、ちょっと怖い。洗脳されてたりしない? してるつもりはないけど」
「洗脳は言い過ぎだと思いますけど、変な感じなのは同意です。熱に浮かされてるというか、よくない薬でも飲んだ? みたいな感じですよねー」
その兆候は、シュナイデル城にいた頃からあった。
町を歩いていると、気が付いたら人に囲まれている事があったりだ。
しかも相手は、こちらがどんな人間か気が付いているようだった。
偽物の浄化能力者を演じた人間という事で、多くの人から認知されている未利は、囲まれるたびに面倒な目にあったものだった。
「これも、呪いの影響とか……?」
「あんまり考えすぎるのも良くないですよ。単に未利様の秘められた魅力が爆発して目立っちゃうだけかもしんないですし」
「いや、そっちの方がありえないでしょ」
「そうですかね? さっきのゲリラ? ボクは良かったと思いますけど」
自分のポテンシャルは自分がよく分かっている。
そんな都合の良い力が備わっているわけがない。
それだったら、まだ呪いの影響だと言われた方がしっくりとくる。
人集めの原因について考えを巡らせながら屋根を疾走していると、低い建物に飛び降りた先で誰かとぶつかった。
「あっ、ごめ……」
しかしここは道ではない。
屋根上だ。
普通なら人がいるはずのない場所。
そんな場所に偶然人がいて、進路上にいる偶然などかなり低い。
「未利様、下がってください」
当然メリルや自分も警戒態勢に入るのだが……、その人物の姿を見て、さらにぎょっとする。
そこにいたのは、つい最近まで顔見知りだったけれど、なんやかんやあって敵対認定された人物だった。
くせ毛で茶髪の年上の少年。
「アスウェル? アンタ何でこんなとこに」
「……。誰だ。俺のこと知ってるのか」
「え?」
しかし、向こうはこちらを見て戸惑うような表情。
まるで、初めてこちらを見たような反応だ。
しかし、メリルは警戒を解かない。鋭い声を発した。
「とぼけてるの? 姫様や姫乃様達にあれだけ迷惑をかけておいて」
「迷惑? 俺が何かしたのか。教えてくれ。俺は一体誰なんだ」
メリルはそれでも構えを解かないが、その横から未利が前に出る。
「ここで、にらみ合っていても状況は変わらない。とりあえず話を聞いてみるしかないんじゃない」
「……分かりました。ただし自由は封じさせてもらいますけど」
チャットで報告を入れておくと、姫乃達もすぐ来るようだった。
変装しなおして、目立たない場所を探して歩き、急遽宿の一室をとった。
そこで、落ち着いた後、アスウェルから詳しい話を聞くと、何も覚えていないという事しか分からなかった。
彼は、気が付いたらこの町にいたのだと。
メリルはしかし、その言葉を信じない。
「記憶をなくしたフリでもしてるんじゃありません? だって、あやしいですよ」
当然だろう。
記憶喪失だけならともかく、そのうえ偶然自分達の進路上にいるなど、普通ならありえない。
しかし、それを考えてみても、アスウェルの行動は不自然だった。
へたな演技がで切る人間だとは思えない。
こんな事をするくらいなら、敵対する前からこちらに都合の良い言葉を投げかけてきているはずだ。
良い意味でも悪い意味でも、アスウェルは不必要な嘘をつく人間ではない。と思っている。
「アスウェルさんは、器用に嘘をつける人ではないと思います、ほんの少ししか知りませんが」
「それでも、怪しすぎますよ。記憶喪失だなんて、そんな簡単になってしまうものじゃないですよね」
「そうですね。そこは同意です」
拘束した状態のアスウェルをメリルはじっと睨み付ける。
彼女は町出会った時からずっと、記憶喪失説に否定的のようだった。
とにかく、何か一つでも良いから情報が欲しい。
不安そうにしているアスウェルに問いかける。
「何か、記憶を失った原因に心当たりはありますか」
「ない。けれど。俺があそこにいたのは、聞き覚えのある音楽が聞こえたから」
「私の演奏ですか……」
アスウェルの前で、同じ曲を演奏した覚えはないが、彼はループしている可能性がある。
ひょっとしたらどこかで聞いているのかもしれない。
考え込んでいると、アスウェルがこちらに手に視線を注いでいるのが分かった。
「怪我をしているのか」
「怪我?」
彼の視線を追いかけてみると、そこに赤い線があった。手の甲にかすり傷ができていたらしい。
「手をこっちに近づけてくれ」
メリルが「何かするつもり?」と脅しをかけるが、アスウェルは「何もしない」とこちらをまっすぐ見て答える。
メリルと顔を見合わせてから、ゆっくりと、傷のある手を差し出した。
すると、患部に光があふれた。
見る見るうちに傷がふさがっていく。
これは、アスウェルが使った治癒の魔法なのだろう。
「治癒の魔法、使えたんですね」
すると、使った当人もびっくりの表情。
「知らなかった。でも、出来ると思ったんだ」
その後、姫乃達と合流して今後の事をあれこれ相談したが、アスウェルの事は保留になった。
いくらなんで予想外すぎた。
誰もが、扱いかねているいった様子で問答無用で牢屋に押し込むことにならないのは、彼女達の人が良いからだろう。(ハイネルと、エアロと、啓区は渋い表情になっていたが、姫乃となあの意向の力が強すぎた)
アスウェルを聖堂教や研究所につれていくわけにもいかないため、宿屋に置いていく事になった。
一応チャットのやり方は教えたが、別れ際に不安そうな顔をされたのはちょっと良心が痛んだ。
なので、「みゅっ」ネコウの出番だ。
「時々でいいからアスウェルさんのところに遊びに行ってあげてください」
「みー」
ムラネコにそう伝えておいた。
(アスウェルに対して友好的ではない人間が多い)姫乃達サイドの事はあまり好きではないようだが、子ネコウは嫌いではないらしい。いくらアスウェルでも、まさか小動物にやつあたりすまい。
姫乃達と別れて研究所へ帰る間。
その道すがら、気になった事があるのかメリルが聞いてきた。
「あのー。不快だったら聞き流してくださいね」
「何でしょうか」
「今さらですけど……後夜祭の時、なんで姫様の身代わりを引き受けて下さったのかな、なんて。ボクあの頃にはもう城にいましたから、不思議だったんです」
その事ならとっくに答えは出てている。
公開処刑、ではなく公開討論で述べたはずだ。
「見てられなかったから、ですよ。コヨミさんの事が心配だったんです」
「でも、あんなふうに、それでしっかりこなせちゃうもんなんですか」
「何が言いたいんですか?」
「え、ごめんなさい。思い出したくないですよね」
「いえ、今のは怒ったわけではありません、単純に質問の意図が分からなかったんです」
「あ、そうなんですか。……えっと、未利様だったらもうちょっと顔に不満が出るかなって思ってたんですけど。失礼ですよね」
ディークもハイネルもだが、そんなにへりくだる必要はないはずなのだが。
話しかけてくれるようになったわりには、距離がある。
それは、自分達の世界の事情を押し付けているという遠慮なのかもしれない。
「不満なんてありませんよ。フォルトさんの事も。あれも、私の望みでしたから」
「それってどういう……?」
「この話はこれでおしまいです。聞きたかったら、未利の時に聞いてください」
「ええー。やっぱり怒ってませんかぁ」
聖堂領に来てから五日目目。
ここから先は特に大きな出来事がないので、淡々とした出来事が続いていく事になる。
研究所での仕事は、ぼちぼちと言ったところだった。
部屋の移動で少々時間をとられたりはしたが、サテライトの調整は進みつつある。
計測器の方も順調に進んでいるようだった。
数日でどうにかなるほどではないが、今は心強いアドバイザーと気軽にやりとりができる。
少し前の進捗具合と比べれば雲泥の差だとか聞いた。
今の研究が進めば、湧水の塔やサテライトを起動させて、闇の魔力を吸着させることができるらしい。
目標達成の見込みがあるからなのか、それには多くの所から援助が集っているらしい。
闇の魔力が溢れすぎると、人体や獣に害を及ぼす。
だから、終止刻による影響を抑え込むためには、画期的な研究になるだろう。
ボア 研究所 玄関
そんな研究の合間に、施設の入り口で一休憩していると、こちらをじっと見つめている黒髪の女の子を見つけた。
こちらと目が合った女の子は、その場から走り去ろうとしたが。
何かに躓いて盛大に転んでしまった。
「あっ」
べしゃっという転び方で、頭から突っ込んでいった。いたそうだ。
メリルに視線を向けて、近づいてく。
「大丈夫ですか?」
「……」
同情されるのが嫌なのか、女の子は何も言わずに立ち上がった。
服に着いた泥を払って、そして、すぐさま背中を向ける。
身なりは簡素。
特に汚れているわけでも、小ぎれいにしているわけでもない。
近所の子供あたりだろうか。
しかし、特に面白いい事のない研究所の前になぜいたのだろうか。
「この近くに用事があったのでしょうか」
「うーん、ボールとか動物とか追いかけてここまで来ちゃったんじゃないですか?」
すると、立ち止まった女の子がこちらを見つめて、何かをためらったが結局何も言わずに去っていった。
「うーん。何だったんでしょうね」
それから数時間後。
しばらくぶりに午後に開いた時間ができたので、アスウェルの様子を見に行く事になった。
警戒対象ではあるはが、もし本当に記憶喪失だった場合、長々と放置するのは人間的にひどすぎる。
「アスウェルさん、こんにちは。具合はどうですか」
そういうわけで、宿の一室を訪れると、ほっとした表情を見せた。
「少し思い出してきた」
「どんな事を思い出したのか、聞かせて下さい」
「大きな塔の中で、黒い手から追いかけられている所だな。周りには大陸が浮かんでいて」
「それは……」
聞かされた内容には心当たりがあった。
それは心域の中の風景だろう。
未利自信が見たわけではないため、分からないが、姫乃達からそんな景色があったという事を聞いていた。
その中でミライという少年と出会った事があると聞いたが……。
まだそれが関係しているのかしていないのか分からなかった。
「俺の事はこれだけだ。お前達の事を教えてくれないか」
その言葉にメリルが渋い顔をした。
彼女はまだアスウェルの事を警戒しているので、できるだけ情報を渡したくないと考えているだろう。
だから。
「辛い物が好きです。好きな演奏曲はアニソンですね」
「あにそん?」
とりあえず当たり障りのない所からだ。
「犬か猫かでいったら、猫はですが特に好きというわけではありません。甘いのも特に嫌いというわけではありません。アスウェルさんはどちらが好きですか?」
「俺は甘いのは苦手、だと思う」
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