File.21
偽造身分証を照合されるとマズいことになってしまう。ジャックはいつでも立ち去れるよう身構えた。
だが、中年の大柄な警備員の口から飛び出た言葉は予想外なものだった。
「エントランスまでは意外と距離があるから、これに乗ってくといい」
そう言うと笑顔でぎこちなくセグウェイから降りる。その際に彼の足音に違和感を覚えた。
「使わせてもらえるのはありがたいが、本当にいいのか? あんたのその脚……」
「アフガンで吹っ飛ばされて以来義足さ。最近新調したから慣らしたいんだ」
「てことは、元軍人か?」
警備員に尋ねながらジャックがセグウェイに乗ると足場がゆっくりと動き始め、そのまま小柄な人間の目線くらいの高さまで上昇した。猫と人間が同じ社会で円滑に生きていくためのバリアフリーの一環だ。
「そう、アーミーだ。社長のミラーさんとはその時の縁でな。働けなくなった俺を雇ってくれた恩は忘れられんよ」
感慨深そうに語る警備員を横目に、ジャックは考え込んだ。
想定していたランドンの人物像が揺らぎ始めている。人間が論理構造において一本の筋を通すことができる、というような幻想は抱いていないが、それでも疑問を抱かずにはいられない。
オフィスに向かう途中、ジャックも元軍人であることを明かすと彼は心底嬉しそうにランドンのことを話してくれた。
ランドンは退役軍人の雇用に注力している他、傷痍軍人会にも多額の寄付を行っており、近年進めている事業拡大も大規模な福祉活動をしたいがためだ、ということらしい。
真実かどうかはさておき、ネットケーブルの敷設にも一応の理由がついた。
エントランスの前で手を振って警備員と別れると、そのままセグウェイで受付まで乗り入れた。
わざわざジャンプしたり、少女に抱きかかえられたりせずにこうやってカウンター越しに人と話せる、というのはいいものだ。
とはいえ交渉の成否には関係ない。
「弁護士のイーサン・リーチャーという者だが、貴社が進めている事業について少々法的な問題が発生しそうなんだ。その件でそちらの社長と話がしたい」
「アポの無い方の面会はお断りさせていただいています。具体的な用件を教えていただければスケジュールの調整がつき次第ご連絡差し上げます。ご足労いただき申し訳ございませんが、本日のところはお引き取り願います」
極めて事務的に流れるように伝えられた。取り付く島もないが、ここであっさりと引き下がれはしない。
「そっちの言いたいことは分かるが、こちらも時間が無いんだ。どうにかならないか?」
「申し訳ございません、規則ですので」
身分を偽っている以上、ごねればジャックの方が不利だ。それにランドンに警戒されれば面倒なことになる。
「……分かった。出直すことにする」
そう言い残してエントランスから出た。悠長にアポが取れるのを待つ時間はない。
なりふり構っていられないジャックは辺りを見回した。物理的に侵入するための方法を考えていく。
その時、駐車場に入っていく宅配便のトラックが目に付いた。
ジャックはセグウェイを適当なところに置くと、何気ない動作で近付いていく。
緑色の制服に身を包んだ人間の男と一匹の黒猫の作業員が車両から降りて、後方の二台の扉を開いた。
ジャックは彼らの視界に入らないよう、素早く駆け寄ってトラックの下に潜り込んだ。
上手く荷物に紛れ込めれば施設内には侵入できる。そのあとは何とかなるだろう。古典的な手段だが、だからこそ間違ってはいない。
作業員が二人共離れた隙に二台へとよじ登って侵入した。大小様々な段ボール箱や、保護シートに包まれた大型の備品まで、色々なものが積み上げられている。
作業員が戻ってくるまでにどれかに潜り込まなければ。焦りを抑えつつ素早く視線を走らせると、猫が三匹は入れそうな中型の段ボールを発見した。「寄付へのお礼」と記されたその箱の宛先はランドン・ミラー本人だ。
底面を一旦バラして中に入るため箱に手を掛けた瞬間、車内に怒鳴り声が響いた。
「おい、あんたそこで何やってる!」
振り返ると、黒猫の方の作業員が物凄い形相でこちらを睨みつけていた。
ジャックは慌ててしどろもどろになりながら弁解を繰り出す。
「あ、えーと、すまない。ちょっとあまりにも寝心地が良さそうな段ボール箱だったもんで、つい……」
苦しい言い訳だ。強張った表情を浮かべつつ、通用してくれることを祈った。
そして、ジャックの言葉を聞いた黒猫は不意に頬を緩めた。
「なるほど、そういうことだったか! 分かるよ、分かる。俺も仕事中我慢できなくなりそうになるからな」
満面の笑みで肩を叩かれた。同じ猫としての共通理解が生じた瞬間に、ジャックも嬉しさと困惑が湧き上がる。
「分かってくれて嬉しいよ。それじゃあ、仕事の邪魔して悪かったな」
ジャックは早口でそう言うと、急いでトラックから降りた。
一瞬、あの作業員を気絶させて入館証と制服を奪い取ろう、という考えが頭に浮かんだが、毛色が正反対なので諦めた。近くに黒のペンキでもあれば考えたが。
トラックから離れ近くの芝生に寝転り、また一から潜入方法を思案し始める。
さっきの作業員がジャックの入ろうとしていた段ボール箱を担いで、オフィスへと歩いていくのが見えた。タイミングが悪くなければ、と文句を言ったところで過去には戻れない。
ここに到着してから三十分以上経過してしまったが、進展はなかった。ジャックは大口叩いて車を強奪してきた自分と今の状況を比較して、情けなくなった。
デイビークロケットの回収は進んでいるだろうか、アリシアはぶつぶつ言いながらもちゃんと避難してくれただろうか。色々な想像が頭を巡る。
回収したことがバレればランドンが姿を眩ましてしまう可能性もある。もはや残された時間は長くない。
最後の手段として換気用ダクトでも探そうかと体を起こした時、先ほどの警備員が通りかかった。
「お客さん、もう用は済んだのかい?」
「ま、ぼちぼちな」
ジャックが適当に誤魔化しながら、彼を上手く利用してランドンに会えないか、と作戦を練り始めた、その時だった。
鼓膜を切り裂くような爆発音が地面を震わせた。次の瞬間には大量のガラスが地面に嫌な音を立てて降り注ぐ。
爆発が起きた場所はオフィスの最上階の一角のようだ。黒い煙と防火装置の甲高いベルの音が漏れ出していた。
ジャックと談笑していた警備員は真っ青な顔で口をぱくぱくとさせている。
「おい……あそこは社長の部屋だぞ……」
彼は言い終わらぬうちに義足の左足を引きずるように走り出した。ジャックもその後に続く。
オフィスの中は混乱を極めていた。多くの社員が訳も分からず屋外に退避しようと雪崩出てきている。人の波に踏み潰されないよう気を付けながら警備員の後を追った。階段を昇っている間に他の警備員とすれ違ったが、ジャックのことを見咎める者はいない。
最上階には焦げ臭い煙の臭いが充満していた。どのようなインテリアになっていたのか推測もできないほどの惨状が、爆発の威力を物語っている。社長室らしき広い空間にはガラスや何かの破片が飛び散っており、割れた窓から吹き込む風がジャックの毛並みを撫でる。
壁の下に横たわる男へ警備員が駆け寄った。
「社長! 社長、大丈夫ですか! ミラーさん!」
返事はない。警備員は膝から崩れ落ちる。ジャックはその様子を数歩引いて見つめていた。
ランドンは爆発の衝撃で壁に打ち付けられたらしく、目立った外傷は無いが既に事切れている。虚ろな目が天井に向けて見開かれていた。
足下にあった段ボールの欠片をジャックは拾い上げる。悪寒が背中に走った。
「寄付への……」とだけ見覚えのある文字で書かれていたのだ。
これがランドンの自殺でなければ、あの段ボールに爆弾が入っていた可能性が高い。奇しくも命拾いをしてしまったわけだ。
そして、ランドンが殺されたということは、ジャックは何か大きな誤解をしていたことになる。
彼は黒幕じゃなかった。だとすれば……。
嫌な感触が胸の辺りで蠢く。何か大変なことを見落としていたのかもしれない。
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