File.20
小麦畑の真ん中で一匹の猫とスーツ姿の男が地中深くへ続く階段を見下ろしている。
「まさか核兵器とは……正直予想以上の展開ですよ」
穏やかな口調とは裏腹に深刻な顔でマシューが呟く。その隣でジャックも深く頷いた。
「悪人の手に渡るのだけは避けたい。さっさと回収してくれないか?」
「もちろんです。先ほど化学兵器対応回収部隊の派遣を国防総省に要請しました。一時間以内に先遣隊が到着し、今日中に回収が完了するはずです」
「そうか、じゃあ回収の時にはアリシアをどこかに避難させてくれ。万が一ということもある」
ジャックの車が蜂の巣になってしまい、カーリー家の車は母親が使ってしまっているためジャック達はこの農場から出られなくなっていたのだ。
マシューが承諾したのを聞き届けたジャックは踵を返して歩き始めた。そのまま足早にマシューが乗ってきた黒いセダンに乗り込む。
一定ランク以上の車には猫でも運転できるようなオプションが標準装備されている。それにキーも挿しっぱなし、つまりいつでも発進できる。
エンジンをかけた時点で異変に気付いたマシューが駆け寄ってきた。
ジャックが運転席の窓を開けると、息を切らしながらしがみついてくる。
「ちょっと、どこに行くつもりですか!?」
「核を見つけたことで最悪の事態は回避できたが、まだこの件は解決しちゃいない。俺はランドンの所に向かう」
ジャックの返答にマシューは表情を険しくした。
「何の意味が? デイビークロケットを回収した時点で彼らの目的は失われる……ただの厄介な民間人に戻るだけです」
彼が大ごとにしたくないという国の意思を代弁している、というのは難なく理解できる。それでもジャックには、ここで終わりにできない理由があった。
「たしかに一理あるが、犯罪の被害者であり証人であるアリシア達を、あいつらが見逃すとは限らない」
ジャックやマシューと違い、アリシア達には身を守ってくれる腕っぷしや組織が無い。これからもここで生きていかねばならないのだ。
「我々としてもできる限りの対応をする予定です。それでは不満ですか?」
「まあな。それに俺に守ってほしいという依頼なんだ。契約は守らなきゃな」
大事なルールだ。背くわけにはいかなかった。
そして、それ以上に大事なもののために行動するのだ。
「それじゃ、車は今日中に返す」
アクセルを踏んでゆっくり車が進みだすと、窓にしがみついたマシューもずるずると引きずられた。振り切ってもいいが、それほどの恨みはない。
「おいおい離さないと怪我するぞ」
車を停止させ、マシューが立ち上がるのを待った。しかし彼の手は未だフロントドアにかけられている。
「そもそもこの車はDIAの備品です。あなたが使用することはおろか、私の一存で貸し与えるのも許されません!」
砂だらけになったスーツで必死に訴える姿には、ジャックにも罪悪感を生み出させた。仕方なく数秒考えた末に、
「そうかい、じゃあ強奪したってことにしといてくれ」
そう吐き捨てながらジャックは鋭い爪でマシューの手を引っ掻き、怯んだ隙に急発進する。政府お墨付きの力強い加速で、数秒後にはマシューの姿も豆粒大になった。
このスピードならランドンの会社もそう遠くはないだろう。次に買い替える車は走行性能がいいやつにしよう、というところまで妄想した時点で、ジャックは頭をぶんぶんと振った。仕事の際中に余計なことを考えるのはアマチュアだ。
そして、その仕事もあと少しで終わる。
パンドラの箱の中身は既に抜き取った。あとは周囲の不届き者を殴り飛ばすだけだ。
ジャックはアクセルを踏み込んだ。
メイフォールズからさらに西へ二時間、あまり良いとは言えない立地に、ランドン・ミラーが社長を務める「フロム・サイバー社」の本社はあった。
AIの「開発」ではなく「利用」に着目したビジネスでここ数年急速な成長を遂げており、曲線的で芸術的で機能的なのであろうオフィスの周囲には、社員のための住宅やレストラン等の施設が立ち並び、小さな町の様相を呈していた。カリフォルニアにあるグーグル社を縮小したような光景だ。
ジャックはオフィス近くの駐車場に車を停め、青空と日の光を反射し輝いているガラス張りの壁を見上げた。
上向きの企業特有の活気に満ちていて、本当に武器商人の真似事などする必要があるのか、と感じざるを得ない。
許可なしで入れるのはここまでだ。ジャックは手持ちの身分証明書でどれが一番効果的か天秤にかけていく。
私立探偵のライセンスは汎用性が高く、何よりも「本物」だがこの州では効力を発揮しない。
ここでは「イーサン・リーチャー」という名前で偽造した弁護士のライセンスを使うことにした。
ついでにジャックが頻繁に使用する偽名は「ジャック・ハント」と「イーサン・リーチャー」の二つで、前者はジャック本来の性格で演じる際に用い、後者は物腰穏やかな知的な人物を演じる時に使う。
しかし今回は着の身着のままで飛び出してきてしまったので、お気に入りの革ジャン以外の服がない。
ドラマの主人公風にワイルドな弁護士でいくか、と意気揚々と歩き始めたジャックは駐車場を出た所で、セグウェイに乗った警備員に声をかけられた。
「お客さん、ちょっと待ちな」
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