File.06

 カーリー家の農場に到着したのは正午過ぎのことだった。あと三十分は早く着くことが可能だったが、途中のガソリンスタンドで昼食のサンドイッチを調達したことが現状へと繋がる。

 ジャックは車から降り、周囲を見渡す。

 辺り一面には金色の小麦畑が広がっていた。使い古されたフレーズだがそう表現するのがふさわしい。


「この時期にこの実り具合ってことは冬小麦か」

「うん、そろそろ収穫」


 後から降りてきたアリシアがあくびをしながら返してきた。長時間の運転でだいぶ疲れているようだ。


「それは大変な時期に父親が入院しちまったな」


 収穫と言えば農家の一大イベントだ。速さと丁寧さが要求されるこの作業だけを専門としている収穫請負人(ハーベスター)が存在するくらいにはハードである。

 大昔のように手作業で収穫するわけではないにしても、主力である父親が不在というのは非常に過酷な状況だろう。

 そう考えてのジャックの発言であったが、アリシアの目には特に不安の色は浮かんでいなかった。むしろどこか楽しんでいるようにも見える。


「そうじゃないんだな~これが。父さんが撃たれたのが大変なことに変わりはないけど」


 自慢げに言い放つアリシアにクエスチョンマークを浮かべるジャック。


「まあ、とりあえず見てくれれば分かるわ」


 彼女に言われるがまま再度車に乗り込み、農場の中にある家屋へと向かった。

 到着までの間、ジャックは助手席から双眼鏡を覗いてみた。周辺は雑草の生い茂る荒地だったが、その中に突如きっちり区画整理された畑が現れているというのはいささか奇妙に感じる。


「この農場、広さはどれくらいなんだ?」

「二〇〇エーカーくらいかな」


 たしかアメリカの農家の平均経営面積が四〇〇エーカーを超えていたはずだ。それを鑑みるといくらか小ぶりな農場である。


「少し小さめだな。周囲の土地に余裕がありそうに見えるが、拡げないのか?」

「いずれは拡げるんじゃない? 今はまだ実験段階だから」

「実験段階?」

「ま、見れば分かるって」


 意味ありげに微笑を浮かべるアリシアはそのまま家の前に車を停めた。貯蔵庫や農業機械の車庫などが一区画にまとまっている。特に変わったところは見当たらない。強いて言えばどれもこれも新築のように清潔感があることぐらいか。


 ジャックは車から降りると素早く視線を走らせる。ここは物陰が多い分、待ち伏せには有効なポイントだ。

 幸い取り越し苦労で終わったので、後部トランクからショットガンの入ったガンケースと黒いバックパックを担ぎ出した。


「大きいバッグね。何が入ってるの?」

「役に立つ物が色々な。詳しくは企業秘密だ」


 軍と解決屋における経験から厳選した有用な装備品だ。自分で発明した実質違法アイテムもいくつか含まれているので彼女に知られるわけにはいかない。


「ふーん……まあいいけど、私の家にヤバい物は持ち込まないでね」

「それは約束しかねるな」


 アリシアは疑わしい目をバッグに向けながらも、すたすたと歩きだして家の玄関扉の前に立った。

 広い農場に見合った広めの二階建てで、外壁はホワイト基調のサイディング、地面付近がレンガ風になっている。正面にある白く塗られた木製のテラスには快適な日差しが降り注いでいるものの、それを受け取る人間はいなかった。窓のシャッターも全て締め切られており、一目で無人と分かった。


「家には誰もいないのか?」

「うん、母さんは病院で父さんの付き添いしてるから」

「君一人で家に残ってるのか。よく親が許したな」


 人気の少ない家に娘を一人で居させるなど、平時であっても不用心と言わざるを得ない。しかも今は誰かに脅されている身だ。

 若干咎めるようにアリシアに尋ねてみたが、彼女は平然と答えてきた。


「いいえ、私は祖母の家に預けられてることになってるわ」

「……いいのか? 勝手に抜け出して。母親が心配するんじゃ」

「しばらくはバレないはず。おばあちゃん耳が遠くてインターホンにも電話にも気付かないから」

「それはそれで心配だが、まあいい。ドアに変わったところはないか? 俺が見たところ侵入の痕跡は無いが……」


 ジャックは他人の家庭事情に首を突っ込むのはやめにして、仕事の方へ頭を切り替える。

 構造が頭に入っておらず、逃げ場のない屋内で襲われるのは避けたい。痕跡ナシで侵入できるようなプロが相手だとすれば意味のない警戒だがやらないよりはマシだろう。


「たぶん大丈夫」

「じゃあ開けてくれ」


 ジャックが促すと、アリシアは鍵を回しゆっくりと扉を開けた。

 アリシアの話してくれた通り一週間程度しか家は空けていない様子で、特にホコリが積もっていたりもしない。それだけに人の出入りの有無を確認できないのが不安だ。


 視覚、聴覚、嗅覚をフル稼働させて慎重に踏み込んだジャックだが、そんなことなどお構いなしにアリシアがリビングの中に進んでいってしまい肝を冷やす。その五秒の間に嫌な想像が二回ほど頭をよぎった。


「命を狙われてるかもしれないんだ。もうちょっと慎重になってくれ」


 ジャックはきりきりと胃が痛むのを感じながらアリシアに文句をつける。守られる側にもマナーというものはあるだろうに。


「心配はありがたいけど、今はたぶん大丈夫」


 アリシアがそう言った途端、急に部屋の照明を点け、ジャックは思わず目を細めた。これも致命的な隙になり得る。

 緊張が抜けきってしまったジャックは近くにあった白いソファの上に荷物を置き、自分もどっかりと身体を沈めた。正面にはガラス天板で人間の膝くらいの高さのローテーブル、その向こうには本棚の付いた壁と真ん中に鎮座する五十五インチテレビ。

 しばらくアリシアが換気のために窓を開けて回っているのを眺めていた。吹き込んでくる風が心地よくて眠ってしまいそうなのを何とか堪える。

 戻ってきた彼女が隣に腰を下ろしたタイミングで、ジャックは聞くべきことを尋ねた。


「大丈夫、の根拠っていうのは?」


 アリシアはポケットからスマホを取り出し、俯き加減で答えた。


「……今朝、母さんからのメッセージが届いてた。『土地の売却交渉に応じる』って建設会社に連絡したって」

「なるほど」


 直接的な襲撃をされないだけの安心材料ではある。だが、戦局として見れば悪化だろう。


「どうしよう、もう時間がない! 交渉が始まったら――!」


 取り乱し頭を抱えたアリシアの背中に、ジャックはぽんと手を置いた。


「落ち着け、まだチャンスはいくらでもある」

「……本当に?」

「ああ、ハナからまともな交渉じゃないからな。真実が明らかになれば全部ひっくり返せる。実際のタイムリミットは工事が始まるまでのはずだ」


 のんびりしていられないことに変わりはないが、真っ当な解決法を探る時間くらいはある。


「それに、だ。交渉が始まるってのは悪いことばかりじゃない。交渉が進んでる間は相手の警戒も緩まるし、少なくともいきなり暴力に訴えられるようなことは無い。要するに俺が動きやすくなるってわけだ」


 敵の全貌が掴めていないこの状況で、向こうからいきなり仕掛けてくる可能性が下がったことは幸いだった。

 何が何でも、まず第一に情報だ。目も耳も塞がれているような現状を打開しなければ。


「ま、焦らず着実に行くのが正解だ。とりあえずこの農場を見せてくれないか?」


 そのためにここを訪れたのだ。ソファでくつろぐためではない。

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