File.04

 ジャックが目を覚ましたのは、当然のことながら自室のベッドの上だ。酒に飲まれるほど子供ではない。

 自宅はグレイ・ホース裏手のアパートの三階、角部屋。人間の一人暮らし用に設計された部屋なので、猫ならば同時に生まれた兄弟全員一緒でも広々と暮らせる。それでも家族のいないジャックは一人で暮らしだ。

 部屋にある備え付けの家具類もベッドやクローゼットを筆頭に人間用サイズで、ジャックにとっては大き過ぎた。それでも猫用に買い替えるのはもったいないため、グレンの許可を得てDIYで使いやすく改造してある。


 重たい頭を持ち上げてベッド横に作った三段のステップを降りた時、何か違和感を抱いた。

 小綺麗な寝室に変化は見られないが、近くに人間の気配を感じる。隣部屋は空き室だから、いるならこの部屋だ。


 ジャックはベッドの下から小型拳銃とその弾倉を取り出し、息を殺しながらキッチンへと向かう。

 すると、卵を焼く匂いとリズム感の良い鼻歌が漂ってきた。

 随分と図太い侵入者だ。誰かは大体予想がつく。

 拳銃から弾薬を抜いて適当に置いた後、キッチンに入った。そして呆れ気味に、コンロの前に立っているアリシアの背中に呼び掛ける。


「……一体どこから入ってきやがった」


 彼女は、自分がここにいるのはさも当然といった顔で振り返る。


「あ、おはよ。起きたんだ」

「おはよ、じゃない。質問に答えろ」

「玄関からよ、普通に」

「鍵は掛けてあったはずだ。それでも普通か?」

「こういう古いアパートの鍵くらい普通に開けられるって」


 ジャックは体中の空気を吐き出し尽くすくらいのため息をついた。昨晩軽々しく依頼を受けた自分を恨みながら。


「まあいい……で、なぜ俺の部屋に? 会う約束はしてただろう。目的によっては今すぐたたき出すぞ」


 彼女の車泥棒については聞かなかったことにしているが、ジャックから何かを盗もうとしているなら話は別だ。

 アリシアは火にかけたフライパンの方へ向き直りながら返した。


「だって借りた部屋に食べるものが何も無いんだもん。お腹空いちゃったし」


 グレーゾーンな理由で叱るに叱れなかったジャックは何とも言えない心持で唸る。そのまま気だるげに食事用のテーブルに着いた。


「分かった。じゃあ俺の分の朝食も作ってくれ。同じのでいい」

「オーケー」


 アリシアが手慣れた調子で冷蔵庫を漁っている間、ジャックは袋詰めにされている猫用の健康食を皿に出した。酒を飲んだ次の日はこれで体に対する負担をプラマイゼロにするのが習慣だ。


 間もなくアリシアが完成した料理をテーブルに並べた。

 目の前に出されたスクランブルエッグは極めて普通だ。特別出来が良いわけでも悪いわけでもない。味もほんのり卵の甘みを感じるような、見た目そのまま。


 一人で知らない街に出てきてジャックを見つけられるような少女だし、大概のことはそつなくこなせるのだろう。

 身体の大きさ上、圧倒的にアリシアの方が食べ終えるのは早い。彼女が手持ち無沙汰に部屋中を歩き回るのを横目に留めておきながら、ジャックはゆっくり食事を続けた。

 アリシアは壁に掛かったコルクボードの前で足を止める。


「ねえ、この写真は?」


 そこには何枚か適当な写真を貼ってあるが、人の気を引きそうな写真に心当たりは一枚しかなかった。


「軍にいたころの写真さ」


 いつかの任務前に装備ゴテゴテで撮ったいかつい写真だ。その光景も部隊全員の顔と名前も脳裏にくっきり焼き付いている。


「なんで顔にバツ印を付けている人が何人かいるの?」


 思わず口へ運んでいたスプーンが止まる。たしかにその写真に写る十人のうち四人の顔はバツを付けてあった。

 ジャックにとって掘り返したくない過去の話だ。

 だが、彼女の疑問も当然だろう。よっぽどの理由が無ければ人の顔など塗りつぶさない。

 ジャックはどこから説明すべきか一瞬考え、ストレートにいくことにした。


「そいつらはとある作戦の際中、命令に背いたんだ。だから俺を含めた他の六人で殺した」


 アリシアは僅かに息をのんだ後、慎重に言葉を選び取るように聞いてきた。


「私、軍隊のこととかって詳しく知らないんだけど、その、そういうのって……普通のことなの?」


 ジャックは首を横に振る。


「いや、俺がいた部隊は一種の特殊部隊みたいなものでな、その時は色々と面倒な任務だったんだ。だから裏切った者をその場で抹殺するっていう処分になった」

「なんか、ごめんなさい……軽い気持ちで尋ねることじゃなかった」

「別に問題ないさ。俺自身がやったことだ」


 任務のためとはいえ共に戦ってきた仲間を殺したのだ。その咎を忘れないためにわざわざ写真を飾っておいた。にもかかわらず彼女に訊かれるまで頭の隅に追いやっていた。全く持って情けない話だ。

 それにしてもルールそのニ『余計な詮索はしない』を早速破られた気がする。しかし話してしまったものは仕方がないし、相手はまだ子供だ。

 ジャックは空になった食器を片し、そのまま歯を磨いたり等の朝のルーティンを終わらせる。アリシアにも予備の歯ブラシやタオルなどは渡しておいた。


「さて、今日から仕事に取り掛かるわけだが」

「ええ」


 改めてジャックとアリシアの二人はテーブルで向かい合った。


「昨日も言った通り、俺のやり方に従ってもらう。口を出したいなら金を出せ、っていうのは常識だからな」

「分かってる。あ、家にお金はあるからそこは安心してね」

「当たり前だ。無くてたまるか! まあ、まずは君の家に向かう。とりあえず現場を見なきゃ始まらないからな」


 最初の内は地道に事態の把握からだ。それが済んだ上で最適な解決手段を探す。初めから銃に頼っていてはいくら命があっても足りないというものだ。

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