File.02

 依頼人との交渉の場は街外れにある〈グレイ・ホース〉というバー。ジャックが仕事相手と面会するのはいつもここだ。


 店主とは古い知り合いで信頼が置けるし客の入りも適度に少なくて、込み入った話をするのにはぴったりだった。

 ジャックはコテージからの帰り道、哀れな二人の男のために救急車を手配した後、依頼人に仕事を終えたことを報告しこのバーに呼び出しておいた。


 約束の午後一〇時まではまだ少し時間がある。ジャックはカウンターに腰を下ろしてグラスを傾けていた。

 店の内装は「酒を飲む」という目的に沿った機能面重視で、お世辞にも洒落ているとは言えないが、それなりに年季が入っているので奇妙な味わいはある。何よりも七つあるカウンター席のうち、奥の二つが猫用に高く設計されているのが嬉しい。


 そして、ウィスキーグラスに入った透明な氷塊とワイルドターキーがジャックの定番メニューだ。猫の身体だとあっという間にアルコール許容量を超えてしまうのでちびちびと飲んでいく。

 店に他の客はいない。カウンターの向こうにいる浅黒い肌の老人、店主のグレンとジャックの貸し切り状態だ。

 ジャックは壁に掛かった時計に目をやると、鼻を鳴らして口を開いた。


「この時間帯でこの客の入りって、この店本当に大丈夫なのか?」


 グレンは筋肉質な腕でグラスを磨きながら答える。


「俺にとってこの店の方はただの道楽だからな。別にいつ畳んだっていいのさ」

「待て待てそいつは困る。俺の仕事に支障が出るからな」


 荒事も少なくないジャックの仕事柄、特定のオフィスは持っていない。そのため実質的な窓口は〈グレイ・ホース〉だ。それが無くなるとなれば、また一から仕事場を探さねばならなくなる。


 そうこう言い合っていると店のドアベルが鳴った。

 グレンは一瞬新規の客を期待する視線を向けたが、入ってきたのがジャックの依頼人だと分かると、無愛想にグラス磨きの業務へと戻った。


「お、来たか。こっちに座ってくれ」


 ジャックは微かに酒の回った上機嫌さで依頼人の男を隣へ招く。約束の時間を守るやつは嫌いじゃない。

 依頼人の男はフチなし眼鏡に皺の無い青いスーツという出で立ちで、まさに真面目なオフィスワーカーという雰囲気だ。一応初対面の時にデイヴィッドと名乗っていたが、おそらく偽名、もしくは本当の依頼人の使い走りだろう。どちらにせよ、この男の名前と外見に意味はない。

 デイヴィッドは店内を素早く見回した後、足早にジャックの隣へ座った。


「依頼を達成したという連絡を受けてこちらへ――」

「お客様、ご注文は?」


 彼は早速依頼について切り出したのだが、グレンの低い声に遮られた。

 ジャックの依頼人は誰であろうとこの店で一杯頼まなければならない。これがジャックとグレンの取り決めだった。

 デイヴィッドは僅かに片方の眉を上げると、すぐに笑顔に切り替え答える。


「おっと、これは失礼。適当な白ワインをグラスで頼みます」

「かしこまりました」


 グレンがワインを選びに背を向けたタイミングで彼は話を再開した。


「依頼を達成したそうですが、例の物を見せていただけますか?」

「ああ、もちろん。これだろ?」


 ジャックは隣の席に置いていたバックパックから小さな紙袋を取り出した。中にはもちろん懐中時計が入っている。


 デイヴィッドはそれを受け取ると手早く時計を取り出し、まじまじと眺めた。互いにこの時計が「建前」だというのは承知の上だが、さすがにこの場で内部のマイクロチップを確認するようなことはしない。もしくは外側から確かめる術があるのか。

 しばらくしてデイヴィッドは満足げに時計をポケットへ放り込むと、代わりに懐から厚みのある封筒を差し出してきた。


「確かに依頼の懐中時計です。料金の方は指定の方法で振り込んでおきます」

「どうも」


 今回の仕事の報酬は二万ドルだ。相手は素人だったし妥当なところだろう、と改めてジャックは一人頷く。その報酬全てを直接口座に振り込んでもらうほどおざなりではないが、スイス銀行がどうこうってほど複雑でもない。その中間ぐらいのやり方で受け取ることになっている。


 ジャックは犯罪上等の殺し屋ではないのだ。グレーゾーンで上手くやり切るというのがモットーであり、売りである。

 そこでデイヴィッドが注文したワインが出された。彼はそれを一口飲むと静かに話し始める。


「それで今回の依頼の件ですが……」


 ジャックもバーボンを僅かに口に含んでから答えた。


「分かってる、口外はしないさ。ルールその一『契約は必ず守る』。互いにな」

「ええ、我々としてもあなたの名前を出すことはないと約束します」


 デイヴィッドはそう言うとワインを一気に飲み干し、グレンに料金を払って店を飛び出ていった。

 去り際は鮮やかだが、つい「我々」と称してしまったりと少々詰めが甘い。とはいえもうジャックには関係のないことである。


 ルールその三『仕事の後はフラットな関係に』。今後敵になるか味方になるかは、時間と金の流れが決めることだ。


 何はともあれ、本当の意味で仕事を終えたことに高揚感を抱いたジャックはグラスに残った酒をもう一口飲む。住居はバーの裏手にあるグレンが所有するアパートだから多少酔ったところで問題はない。ちびちびと時間をかけて一杯のグラスを空にしていった。


 今日はもうバーの客もジャックへの依頼人も来ないだろう。大きくあくびをして会計の準備を始めたその時、ジャックの耳にドアベルの揺れ響く音が届いた。

 今度こそは、と期待の眼差しを向けたグレンの顔がすぐに曇る。

 戸口に立っていたのは真夜中のバーに似つかわしくない少女だった。


 長い金髪にミリタリージャケット、控え目なダメージジーンズと、おしとやかではないが都会にスレてしまってるようでもない。色々と平均前後のティーンエイジャーだった。


「すまんが、うちは未成年お断りなんだ。出直してくれんか」


 努めて穏やかな口調で注意したグレンだが、ジャックが「その時にはこの店は無いだろうがな」と軽口を挟むと鋭く睨みつける。

 そんな二人のやり取りを意に介さず、少女は堂々とした足取りで歩き寄ってきた。

 彼女は呆気に取られているジャックとグレンの顔を交互に見た後、ため息交じりに零す。


「ここに『解決屋』っていうのがいるって聞いてきたんだけど、今日はいないみたいね。また明日出直すわ」


 この少女が依頼人であると判断するのに、アルコールの回った頭では少々時間がかかってしまう。ジャックが呼び止めた時には少女は半分店を出かかっていたところだった。


「ちょっと待ってくれ。解決屋に一体何の用があるんだ?」

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