第9話 アイザック視点 怪しいガキ


「セリ、そろそろ飯に……」


 寝室のドアを開けた俺は、聞こえてくる静かな寝息に気が付いて口を閉じた。

 猫のように身体を丸めたセリは、よほど深く眠っているのか近寄っても起きる気配がない。

 念のため熱を確認しようと額を触ると、わずかに開いた唇から不満そうな息が零れた。


「……まったく、可愛いげのねえ顔しやがって」


 寝るのを邪魔するなと言わんばかりの眉間の皺に、俺はこいつと初めて会った時を思い出していた。



 ……◊……



 俺の名前はアイザック・モルド。

 一応Aランクの冒険者だなんて肩書きが付いてるが、要は他人がやらねえ厄介な依頼を専門に受ける便利屋みてぇなもんだ。

 本来王都を拠点とする俺がモルデンにやってきたのは、街の北に広がる森にあるダンジョンに異常が見つかったからだ。

 スタンピード──ダンジョンから魔物が溢れる兆候の可能性有り。至急調査を求む。

 そんな面倒な依頼に顔見知りの奴等と一緒にダンジョンに潜ったはいいが、全階層を回って魔物を間引くのに一ヶ月もかかっちまった。

 だからこんな田舎町、とっととおさらばして王都で憂さを晴らす予定だったのによ。

 依頼を終えたその足で向かったモルデンの冒険者ギルドで気が付いたのは、一言で言えば不快な匂いだった。


「……臭え」


 このやたらと甘ったるい匂いはなんだ……? 

 頭ン中を辿り記憶と合致したのは、マンマダンゴ蟲の匂いだった。


 マンマダンゴ蟲は媚薬や麻酔薬の材料になる魔物だ。

 標的を噛んで麻痺させてから毒針で媚薬効果のある毒を注入し、獲物を生きたまま捕食する。

 この蟲が厄介なのは魔力が少ない分、普通の昆虫と同じに気配が察知しにくいの、群で行動する点だ。

 おかげで気が付いた時にはうっかり群に囲まれてる、なんてことになりかねない。しかもこいつの媚薬効果は強力で、獣人なんかの鼻のいい奴なら、匂いだけで当てられちまう。

 誰だって蟲に媚薬を盛られて、アソコをおっ勃てたまま喰われたくはない。

 だから慣れた冒険者は、蟲を見つけるとすぐさまその一帯を火で焼き尽くすのだ。


 ったく、こっちは一ヶ月もご無沙汰で女の肌に飢えてるってのによ。そんな厄介なモンを持ち込んだのは、一体どこのどいつだ?

 顔を顰め匂いの源を探すと、古びたマントを頭から被ったやたら小せぇガキが目に入った。

 フードを目深に被り顔は見えねえが、冒険者になりたてのガキが調子に乗って蟲を採って来たってところか。 

 だがあいつ、匂いのせいで自分が周りにどんな目で見られてんのか、まったくわかってねえようだ。


「……おい、見ろよ」

「なんだあのガキ、誘ってんのか?」

「よく見りゃあ顔は悪くねえな。お前、声かけてみろよ」


 野郎共の下種な話し声と、あからさまに品定めするねっとりした視線。あれに気が付かねえとは、まったくおめでたい奴だ。


「……面倒くせえ」


 あいつが成人した男だったら間違いなく放っておくだろう。ギルドに出入りする冒険者なんざ、自分のケツくらい自分でなんとかするもんだ。

 だがあれはどう見てもまだ子供だ。このまま見殺しにすんのも気分が悪いよなあ…… 俺は大きく溜息を吐いた。


「おい、ちょっと待て」


 余計なお節介とは思ったが、一言注意してやろうと俺はガキに声をかけた。

 だが警戒してるのか碌に人の話を聞きやしねえし、挙句の果ては俺を無視して外へ出て行きやがる。

 呆れて匙を投げたところで、カウンターから俺に声がかかった。


「アイザック、ちょっと」

「ああん? なんだサリーナか。今日はもう依頼の手続きはしねえぞ」

「そうじゃなくて、さっき話してた子、あなたの知り合い?」

「……なんかあるのか?」


 モルデン冒険者ギルドの職員サリーナは、かつて彼女自身も優秀な冒険者だった経歴を持つ。

 B級の冒険者として名を馳せたが、パートナーが大怪我をした際に彼女も冒険者を引退。以来ギルドを支える裏方に回った。

 ……そんなサリーナが目を付けてるってことは、あいつなにか訳ありか?

 面倒事の予感に思いきり眉を顰めた俺を見て、サリーナは苦笑いした。


「あの子の今日の採集品にマンマダンゴ蟲があったから、気になってるのよ。ねえ、悪いんだけど、ちょっと様子を見てきてくれない? フラフラしてたし、すごく嫌な予感がするの」

「はあ? なんだそれ。なんで俺がそんなことしなきゃなんねぇんだよ」

「あの子は……ギルマスもあの子のことは気にしてるの。なんなら依頼にしてもいいから、お願い」

「あのじじいもか? ……チッ、ったくしょうがねえな」


 適当に様子を見て終わらせるつもりだった俺は、ギルドから数ブロック離れた路地で壁に寄りかかるガキを見つけて駆け寄った。

 

「おい、お前はとんでもない馬鹿なのか?」

「……え?」


 不機嫌さを隠さない俺に、ガキは一丁前に睨んできやがる。だが構わず話を続けると、こいつはマンマダンゴ蟲が媚薬の材料になることを知らなかったのだとわかった。

 その後すっかり大人しくなったガキは、送っていったを部屋の前でいきなりぶっ倒れやがった。


「チッ、しょうがねえな。背中が痛いって、お前怪我でもしてんのか?」

「ごめん、なさい……」


 そういえば背中が痛むと言ってたか?

 なぜか嫌がるガキをベッドに押し倒し、怪我の具合を見ようと強引にマントを剥ぎとったところで、俺は息を呑んだ。

 ボロボロになった服と身体に巻いていた布の下から現れたのは、背中一面に広がる蟲の噛み痕と爪で裂かれた傷。そして刺さったままの毒針だった。

 余りにもひどい怪我に、俺は言葉を失った。

 

「……お前、これ、どうしたんだ」

「……薬草を採ってたら、木の上から蟲が降って来て、それで……」

「マンマダンゴ蟲に襲われたのか。ポーションは飲んだか?」

「ううん……持ってなくて……」

「そうか。お前、小さいのに偉いな。一人でよく頑張った」


 慎重に怪我の具合を調べたが、布をきつく巻いてあったおかげか、致命傷に至る深い傷は見当たらない。

 だが怪我の箇所が多いせいか出血量が多い。よく見ると手にもひどい裂傷がある。

 本当なら相当痛いだろうが、痛みを感じてねえように見えるのは蟲の麻痺毒のせいか。それとも我慢しているのか……。

 そういやギルドで肩を掴んだ時、こいつはひどく顔を顰めてたっけか。あれはもしかしたら、怪我の痛みを我慢してたのかもしれねぇな。

 ……蟲の匂いに気をとられて血の匂いに気が付かねえとは、俺もずいぶん迂闊だった。

 刺さっていた毒針を全て抜き頭を撫でてやると、虚ろな目をしたガキは深く息を吐いた。


「アイザック、さん、私、もう眠くて……」

「おい、ちょっと待て、まだ寝るな! 寝るならポーション飲んでからにしろ!」


 さっきまでとは打って変わり弱く擦れた声に、ぐったり力の抜けた身体。

 ポーションを飲まそうと慌てて身体を抱き起こした俺は、仰向けになったそいつの顔を見て思わず息を呑んだ。

 蝋のように白い顔に乱れた黒髪がはらりと落ち、固く閉ざされた瞼を黒く長い睫が縁どる。

 うっすら開いた小さな唇からは苦しそうな浅い息が漏れ、それに合わせて上下する肩は簡単に折れちまいそうなほどに華奢だ。

 だがなにより目を惹くのは、こんもりと盛り上がった胸と、その頂の淡く色付く……

 はっと我に返った俺は、慌てて腕の中の身体を毛布で覆った。

 フードを目深に被っていたから気が付かなかったが、こいつはどう見てもまだ若い少女だ。


「……小汚ねえガキだと思ってたのに女だったなんてよ。……参った」


 俺は思わず天井を見上げて大きく嘆息した。


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