第33話 それから
──実はあの日、アイザックと高城さんと三人で話している最中、私は熱を出して倒れてしまった。
あれは話が全部終わって、最後になにか質問はありますかって高城さんに聞かれた時だ。
「そういえば、王都の物価ってどれくらいですか?」
「物価、ですか?」
「はい。独り暮らしするには、どれくらいお金を用意しておけばいいのかと思って。やっぱり都会のほうが物価は高いですよね?」
私の質問に、高城さんとアイザックはそろって顔を見合わせる。その動きは妙にぎこちなくて、ギギギギギって効果音が聞こえてきそうだった。
「……独り暮らしだと?」
「うん。慣れるまでの間はアイザックや高城さんに頼っちゃうかしれないけど、いつかは独り立ちしたいから」
「……愛菜。王都の物価は全てがモルデンの二倍、いや、三倍はします。若い女性が一人で暮らすのは、とても大変ですよ」
「そんなに? それはなかなか厳しいかも……。あ、でも、その分依頼料もここより高かったりしませんか?」
「甘いな。依頼料がいい分、競争率も高くなる。それに田舎とは違って狡っ辛い奴が多い。セリなんて、ガキだと思われて簡単に騙されるんじゃねえか?」
「そんな! 私だって今まで一人でやってきたんだから、大丈夫だよ!」
「愛菜、この世界には人買いがいるんです」
「え? ……人買い?」
「そうだぞ。極悪奴隷商なんぞに目をつけられたら最後、身ぐるみ剥がされてあっという間に奴隷落ちだ」
「ええええっ」
「ですから、愛菜は一人暮らしはしないほうがいいでしょう。やはりここは安全な宮廷魔道士の寮に入ってはどうだろう」
「なに言ってやがる。セリは俺と一緒に住むって決まってんだ」
やれ物価が高いとか人買いがいるだとかさんざん脅してたのに、なんでいつの間に話がすり替わってるんだろう。しかも私が誰と住むかなんて、私が決めることだよね!?
そう思いつつ、二人が私を心配してるのがわかってニヤニヤしてしまう。そういうのってなんだか嬉しいよね。
「ねえカーバンクル、やっぱりあの二人って仲がいいよね」
「キュ?」
「そうは見えない? でもさ、日本には喧嘩するほど仲がいいっていう言葉があるんだよ」
二人を眺めながら膝の上でくつろぐカーバンクルの背中を撫でていると、なんだか眠くなってしまう。
そういえば、今朝はいつもより早かったんだっけ。二人は話に夢中みたいだから、ちょっとだけ休ませてもらおうかな……
「キュ? キュキュッ!」
「ん? セリどうした?」
「愛菜さん? 大丈夫ですか?」
あとから聞いた話だと、その時の私は真っ赤な顔でぐったり横になってたそうだ。
それに気がついた二人は、慌てて私をギルドの救護室に運んだ。そして急遽呼ばれた治癒術士の見立ては、熱の原因は怪我でも病気でもなく、精神的な疲労。
いっぱい泣いて疲れたのかもしれないし、あるいは知恵熱のようなものかもしれない。いずれにせよポーションは使わないで、ゆっくり休養させるのが一番だと言われたらしい。
恐らく、高城さんに告げられた日本に帰れないという現実は、私に少なからずダメージを残したんだと思う。
心の拠り所にしていた大きな目標を失ったせいかもしれないし、急に色々な情報が入ってきて、私の脳みそのキャパをオーバーしたせいかもしれない。
そして再びアイザックの宿に舞い戻った私は、熱が下がるまでの間、普段よりずっと情緒不安定になっていたと思う。
情けない話だけど、ふとした瞬間に涙腺が弱くなったり、日本の夢を見ては泣いて目を覚ましたり、そんなことを繰り返す私はさぞ面倒な女だったろう。
それなのにアイザックは嫌がる素振り一つ見せず、ずっと側にいてくれた。
……もうさ、そんな風に甘やかされたら、惚れるなっていうほうが無理だよね。
だから、熱が下がった日、私はアイザックに自分の気持ちを正直に伝えた。
「……アイザック、あのね、聞いてほしいんだけど」
「ああ? どうした? 心配しなくてもセリの好きなククルはちゃんと買ってあるぞ」
「それは嬉しいけど、その、王都に着いたらの話なんだ」
真剣な空気が伝わったのか、アイザックは茶化すのをやめて私を見つめた。
「……俺とニックと、どっちと一緒に住むか決めたのか?」
「待ってよ、そもそもどうして一人で暮らすっていう選択肢がないの? そうじゃなくて、あの……あのね、私、基本的にすっごく重い人間だから」
「はあ? 重い? 重いってなにがだ。体重か?」
「違うから! その、もし誰かと付き合ったらずっと一緒にいたいし、相手を束縛しちゃうっていうか、私だけを見ててほしいっていうか」
「はあ? そんなの当たり前だろう」
「つまり、アイザックが他の女の子と親しくしてるのも嫌だし、女の人と組んで依頼をするのも嫌っていうか……嫉妬深いっていうか、面倒なやつなの!」
「……それで?」
「だから! だから、その……一緒に住んでからそういうのがバレて嫌われるのはいやだから、今のうちに言っておこうと思って……」
まじまじとこちらを見つめる視線が最高に居心地が悪い。口でもごもご言いながら俯いた私の頬を、アイザック大きな掌が包んで上を向かせた。
「なあセリよ、今更なに言ってんだ」
「え? なにって?」
「一番初めな、お前を強引に俺の部屋に連れてったの、あれはどうしてだと思う?」
「それは、私の怪我が心配だったからじゃないの?」
「んなもん、セリが気になってたからに決まってるだろう」
「え……え? そうなの!?」
「だいたいよ、俺はガストンがお前に話しかけるのも気に食わねえんだ。あのニックの野郎だって、いくら同郷だろうとまだ認めてねえからな?」
「う……だって、今までそんな素振り、ちっともなかったのに」
「そうか? 俺は本気で口説いてたぞ。それを流してたのはセリだろう?」
私を見つめる真剣な眼差しに、そういえば、とアイザックの言葉を思い出す。
『……なあセリ、俺はこう見えてもAランクの冒険者だ。腕はいいし口も堅いし結構頼りになるぞ? それにいい男だろう? だからよ、いつかお前が俺を信用できるようになったら、そん時に話してくれればいい』
『あん時セリが飛び出したのは、俺とカトレアが喋ってんのを見て、嫉妬したからじゃねえのか? つまりよ、俺にちょっとは興味があるってことだよな?』
……そっか。こうして思い出してみると、おどけたような口調だったけど、アイザックの瞳はいつだって真剣だった。
そう思った途端、じわじわと頬が熱くなる。
だって、これってつまり両思い……なんだよね?
咄嗟に両手で顔を覆った私を見て、アイザックがニヤリとそれはもう意地悪そうな笑みを口に浮かべたのがわかった。
「……今夜は寝かさねえからな。覚悟しろよ?」
「なっ、なにそ……んっ」
──続きの言葉はアイザックに封印されてしまった。
カチャリと扉を開けてアイザックの部屋を出る。今日はいよいよ王都へ向かう日だ。
「忘れ物はねえか?」
「うん、大丈夫」
「よし、行くか」
「あ、ちょっと待って」
振り返った私は、誰もいない部屋を見回した。
初めて連れてこられた時は、足の踏み場もない惨状にびっくりしたっけ。
キッチンやローテーブルに散乱する大量の酒瓶に、脱ぎっぱなしの服。床には胸当てとかブーツが転がってて……
それが今はどうだろう。磨かれた床の上には大きなソファとローテーブルが整然と並び、キッチンもバーカウンターもピカピカだ。私は自分の仕事に満足して大きく頷いた。
「セリどうした。行くぞ?」
「うん!」
モルデンの目抜き通りを、私達は並んで歩く。向かっているのは王都へ向かう馬車の発着所。私が初めて利用する場所だ。
「あ、アイザック、ここだよ。私が最初にエンゾさんに拾われた場所」
「へえ、こんな道のど真ん中だったのか」
「うん。突然でわけがわからなくて座り込んでたら、エンゾさんが来て助けてくれたんだ」
「あのじじい、助けるのはいいんだが性別を間違えるのはいただけねえよなあ……おいセリ、ほら、手を寄越せ」
その時、横を歩くアイザックが私に向かって手を差し出した。それを見た私は、盛大に頬を膨らませた。
「まったくもう、子供じゃないって何回言えばわかるの?」
「まったくよ、子供じゃねえから手を繋ぎてえんだろ? 何回言えばわかるんだ?」
おどけたように片方の眉を上げるアイザックの腕に、私は笑ってしがみつく。肩にのるカーバンクルもがちょっと不満げに鼻を鳴らしたのが聞こえた。
「……じゃあ行くか」
「うん!」
「キュ!」
……モルデン編・完……
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