第32話 アイザック視点 同郷

「──私がこの世界に来たのは、今から五十年以上前のことだ」


 移動した応接室でニックが語り始めたのは、俺のまったく予想しない話だった。

 この二人がニホンジン? 異世界転移? はあ? なんだそりゃ。

 もしその話が本当なら、こいつが頑なに人払いしようとしたのも頷ける。

 そして今までセリに感じていた違和感の謎も解ける。

 ……だが、そんな荒唐無稽な話が現実に有り得るのか?

 

 そんな俺の混乱をよそに、二人の会話は静かに続く。 


「……あの、高城さん。私、聞きたいことがあるんです」

「うん。なんだろう」

「正直に教えてください。……私は日本に帰れますか?」


 切羽詰まったような、張り詰めたセリの声。それに対してニックは慎重に口を開いた。


「……恐らくだが、我々は元の世界に二度と戻れないだろう」


 それはなんの感情も含まれない、淡々とした声に聞こえた。だが、だからこそ真実味があった。


「セリ、大丈夫か」


 固まったように動かなくなったセリに声をかけると、俺の呼びかけに反応してピクリと細い肩が動いた。膝の上で握りしめた拳は白く、泣くのを我慢しているのか、瞬きの回数が不自然に不自然に少ない。うすく開いた唇が、細かく戦慄いているように見えた。


「……本当はね、そうじゃないかって思ってた」

「ああ」

「だって、だってさ、ここにきてもう一年だもん。期待するのも、いい加減疲れたっていうかさ」

「そうか」

「でも、実際に言われると、思ってたよりキツいね。っていうか、やばい。……へへ、私、なに言ってんだろう。やばいとか、自分でも意味わかんない」

「セリ。もういいから無理すんな」

「無理、なんて……」

「……俺がいる」


 無理矢理笑おうとするセリを膝にのせ、震える背中を撫でてやる。しばらくすると我慢できなくなったのか、セリは俺の肩に顔を埋め堰を切ったように泣き始めた。


「う……ふ……っく……う」


 くぐもった泣き声が静まりかえった応接室に響く。その様子を俺達はただ見守るしかできなかった。

 

「……色々聞きてえことはあるが、これだけは、はっきりさせとこう。あんたの目的はなんだ? セリを探し出して、一体なにをするつもりだった?」

「酷い疑われようだ。さっきも言っただろう。同郷のよしみだと。異世界で苦労する同胞がいるなら、手助けしてやりたいと思うのは自然なことだ」

「ケッ、どうだかな。それを簡単に信じるほど、俺はお人好しじゃねえ」

「アイザック、そもそも君は愛菜のなんだ? 仲間か? 恋人か? それともいっぱしの保護者気取りか? それこそ当事者でもない君が、この件に関して口を挟む権利があるとでも思っているのかね」

「それを言うなら、てめえこそ同郷ってだけだろ? セリとは今日初めて会った癖に、なんでデカい面してやがるんだ」

「彼女は二十歳をこえたばかりの若い女性だ。この世界で生きて行くには……」

「おい、ちょっと待て。セリが二十歳をこえてるだと!?」

「はあ? そこからですか」


 ニックは呆れたように俺を一瞥した。


「やれやれ、アイザックは愛菜さんのことをなにも知らないのだな。やはりあなたに任せるわけにはいかないようだ。もし彼女が望むなら、私は愛菜の保護者になってもいいと考えている」

「……保護者だと?」


 宮廷魔道士、しかも宮廷魔道士長ともなれば、その身分は大貴族に匹敵する。普通に考えればこれ以上ない後ろ盾だ。

 だがよ、こんな喰えねえ野郎がセリの保護者になるなんて、俺は真っ平ごめんだ。


「こいつはAランク冒険者っつう肩書きにも靡かねえんだぞ? そんな女が会ったばかりの男の保護なんて、簡単に受けるわけねえだろうが」

「なるほど。愛菜は冒険者がどれだけ不安定な職業か、すでによくわかっているようだ。それは大変結構。君にはわからないと思うが、日本人は謙虚堅実を尊ぶ。つまり君のような優男は……」

「おい、ちょっと待て。セリ、どうした? 苦しいのか?」


 気が付くと、腕の中のセリが小刻みに震えている。その苦しげな様子に慌てて抱き起こすと、セリは顔を真っ赤にして笑っていた。


「おい、なんで笑ってんだ?」

「だって、人が泣いてる横で喧嘩とか、おかしくない? ふふ、アイザックと高城さんって仲がいいんだね。あ、もしかして、だから指名依頼を受けたの?」

「はあ? 有り得ねえだろう」

「有り得ません」


 期せずして俺とニックの声が重なる。それを見たセリは我慢できなくなったように笑い出し、互いの顰めっ面を見た俺達は同時に視線を逸らした。

 ……ったく、こんな男と仲がいいだなんて冗談じゃねえ。

 咳払いをした俺は、気を取り直して笑い続けるセリに向き直った。


「なあセリ、お前はこれからどうしたい?」

「ん? どうしたいって?」

「……愛菜、よかったら王都に来ませんか? さっきの依頼書にある通り、私は文献の翻訳を手伝ってくれる人を探しています。もし愛菜が手伝ってくれるのなら、依頼書の額面以外に、宮廷魔道士が使う寮にあなたの部屋を用意しましょう。どうです? 悪い話ではないと思いますが」

「えっ? 寮があるんですか?」

「ええ。私の仕事を手伝ってくれるのですから当然です。働き次第では、ゆくゆくは宮廷魔道士への道も拓けますよ?」

「私が宮廷魔道士に……?」


 ニックの話を聞いて、セリは興味深げに目を輝かせる。そして俺を見上げて首を傾げた。


「ねえ、アイザックはどう思う? 宮廷魔道士ってすごいの?」

「はあ? すごいって、そりゃあ、宮廷魔道士なんて誰でもなれるもんじゃねえし、大したもんだと思うがよ」

「ふーん、そうなんだ」


 クソッ、なんで俺がこんなこと言わねえとならねえんだ。チラリと横目で見たニックの野郎は、涼しい顔をして笑ってやがる。

 しばらくなにかを考えこんでいたセリは、俺の膝から降りるとニックの前に立った。そして背を伸ばし、にっこり笑った。


「高城さん、私、王都に行きます」

「愛菜さん、では……」

「着いたら連絡するので、まずは職場見学させていただけますか?」

「……職場見学、ですか?」

「本当なら就活は大学三年の春から始めるのが一般的だと思うんですけど、ここは異世界だから当てはまらないと思うし。だからまずはインターンシップっていうか、職場見学をさせてもおうかなって」

「就活」

「はい。いくらアイザックがいい職場だって言っても、やっぱり自分の目で見ないと不安だし。そもそも私、宮廷魔道士がなんなのか知らないんです。だから、まずはそれを調べるところから始めようと思って」

「職場、ですか」

「はい。私、これからアイザックと王都に向けて出発するんです。だから……ってあれ? どうしたんですか?」


 突然片手で顔を覆ったニックに、セリが不思議そうに首を傾げる。その顔を見て耐えきれなくなったのか、ニックは声を出して笑い始めた。


「はははははっ、これは傑作だ! 私は長い間宮廷魔道士に籍を置いてますが、こんな扱いを受けたのは初めてだ」

「ククッ、だから言ったろう?」

「ええ、アイザック、あなたの言う通りでした。確かに愛菜は簡単に靡く女性ではありませんね。一筋縄ではいかないようだ」

「ああ。おかげで俺も毎日退屈しねえんだ」

「ねえ、二人ともなんで笑ってるの?」

「ふふ、愛菜が気にすることはないので大丈夫です。……それでは、私は一足先に王都に帰り、愛菜が来るのを城で待ってます。また愛菜と会えるのを楽しみにしています」

「……はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 元気よく返事をして頭を下げたセリを、俺はうしろから抱きしめて豪快に頭を撫でた。


「ちょ、ちょっとアイザック、急になにすんのよ!」

「ククッ、いいじゃねえかこんくらいよ」

「よくないから! 人前だし! それに髪がぐしゃぐしゃになるから!!」

「あー、二人とも、まだ話の続きがあるのだがいいかな?」


 わざとらしいニックの咳払いに、セリの顔が真っ赤になる。その様子にニヤニヤしながら俺はニックに視線を移した。


「なんだ、まだなんかあるのか? 依頼のことなら不達成依頼にして俺のペナルティにして構わねえぞ」

「それはいけない。あなたが愛菜を保護してくれたのは間違いないのだから、依頼は成功で報酬も払おう。だが、アイザックには別の依頼を新たにお願いしたい」

「はあ? 新しい依頼だと?」

「……?」


 思いきり顔を顰めた俺とは対照的に、セリは不思議そうに首を捻る。


「ああ。依頼内容は王都までの要人警護だ。まだこの世界の常識を知らないようだしとても可愛らしい女性なのでね、道中が心配なんだよ。カーバンクルも特別に警護につけよう。どうだろう、引き受けてもらえるかな?」

「え? もしかしてそれって……」

「キュ!」


 ニックの言葉を待っていたかのように、カーバンクルがセリの肩に飛び乗る。それを見て嬉しそうに顔を綻ばせるセリに、俺は苦笑いを噛み殺しやれやれと頭を振った。


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