第31話 ジンクス

「改めて自己紹介させてもらおう。私は宮廷魔道士長を務めるニックだ。先ほどは申し訳なかった」


 そう言って、ニックは私達に向かって頭を下げた。

 エンゾさんの取りなしでギルドの応接室に移動した私達は、真ん中のテーブルを挟み、向かい合わせで座っている。そしてカーバンクルは、なぜかニックさんの隣にちょこんと座っていた。


「ずっと探している人が見つかったんだ。しかもそれがこんなに可愛いお嬢さんだ。年甲斐もなくはしゃいでしまったよ」

「……チッ、よく言うぜ。食えねえ野郎だ」


 隣に座るアイザックが忌々しげに舌打ちするのを無視して、私はさっきからすごく気になってることを尋ねた。


「あの、ニックさんは、どうして私の名前をご存じなんですか?」

「その前にこれを見てほしい。これは君の持ち物で間違いないね?」


 そう言ってニックさんが大事そうに懐から取り出したのは、見覚えのあるシルバーのネックレスだった。


「あ! それは!」 


 十九歳の誕生日にシルバーのアクセサリーを贈られた女の子は、幸せになれる。

 そんなジンクスがあると知って、仲のいい友人達とおそろいでネックレスを作ったのは、高校を卒業する時だ。

 十九歳にはちょっと早いけど、せっかくの記念だから。そう言ってお互いにプレゼントしあったんだ。

 長方形のシルバープレートに、自分の名前と生年月日を入れた、ドッグタグを模したネックレス。肌身離さずつけていた、大のお気に入りだった。だけどここに来て間もない頃、お金に困った私は泣く泣く手放したんだ……


「……でも、どうしてこれをニックさんが持ってるんですか?」


 それがここにあるのがまだ信じられなくて、思わず手を伸ばした。するとニックさんは、そっとネックレスを私の掌に載せてくれた。


「これを手に入れたのはつい最近なんだ。私は珍しい品物を収集するのが趣味でね。常々そう公言しているせいか、こういった品が手元に集まってくる」

「珍しい? このネックレスが?」

「……ここからはちょっと込み入った話になる。もし君が気になるようなら、その、二人きりで話したほうがいいと思うんだ。どうだろう」


 少し困ったようにニックが私の隣を見て目配せした。それに気が付いたアイザックは、露骨に顔を顰めた。


「おい、なにふざけたこと言ってやがる。てめえみたいな得体の知れない男と、セリを二人きりにするわけねえだろうが」

「今から話す内容は、彼女にとって、いや、私にとっても極めて個人的、かつ重大な機密に関する事柄だ。第三者が同席することが彼女の本意でない場合、たとえAランク冒険者の君であっても部屋を速やかに辞してもらいたい」

「なんだと、てめえ」

「あの!」


 私の声に、二人は同時にこちらを振り向いた。


「あの……アイザックも一緒にいてもらっていいですか? 一人だと不安なんです」

「セリ」


 今にも立ち上がって掴みかからんばかりだったアイザックは、私の顔を見てソファに深く座り直した。私はその隣で、自分の真新しいスカートをぎゅっと握った。


「さて、なにからどう話せばいいのか……。あまり回りくどいのは得意ではないので、単刀直入に言おうか。私はニックと呼ばれているが、本当の名前は高城賢一というんだ」

「え? たかぎ、さん?」

「ああ。漢字だと高いに城、賢者の賢に漢数字の一、といえばわかってもらえるかな? セリザワマナさん、恐らく私は君と同じ日本人だ」


 思わず声を呑んだ私の肩を、アイザックが強く抱く。そんな私達を見て、高城さんはまるで眩しいものでも見るように目を眇めた。


「私がこの世界に来たのは、今から五十年以上前のことだ。仕事帰りだった私は、ふと気が付くとこの奇妙奇天烈きみょうきてれつな世界に迷い込んでいたんだ」


 日本とはまったく違うこの世界を、高城さんは当初、自分は神隠しにあったのだと思ったそうだ。

 その後自分に魔力があることがわかった高城さんは、幸運にも宮廷魔道士という職を得る。

 そしてある日、出かけた視察先で不思議なものを見つけた。それはどう見ても元の世界の文字、アルファベットに見えたそうだ。


「残念ながらとても古く、なんと書いてあるかは判別できなかった。だが、それから私は地球の、いや、地球から来た人の痕跡を探すようになったんだ」


 自分以外にも過去に地球から来た人間が存在していた痕跡は、この世界のそこかしこに残されていた。

 ある国は偉人伝説があり、とある国にはヨーロッパの街の名前が至るところにつけられていた。文献や口伝、彼らが残した偉業を見つけるたびに、高城さんはある想いを強くしていくことになる。


「望郷の念、いや違うな。同郷のよしみ……それも違うかな。とにかく長く生きているとね、無性に些細な思い出を共有したくなる時があるんだ」

「高城さん……」


 どこか遠い目をして笑う高城さんの想いを、私はなんとなく理解できるような気がした。

 だって五十年って、とてつもなく長い時間だ。そんな長い間、誰にも自分の秘密を話すことなく、一人で過ごしてきたんだとしたら……


「ネックレスを手に入れたのは、本当に偶然だった。行きつけの道具屋の女将が、ちょっと珍しい細工物が手に入ったからとわざわざ見せてくれたんだ。その時私がどれほど驚いたか、わかるかい?」


 シルバープレートに刻印された文字は、私の名前と生年月日。ローマ字で書かれた『MANA SERIZAWA』という文字を見て、高城さんはこれが日本人の女性の持ち物だと確信したんだそうだ。


「そこに書いてあるのは君の生年月日だろう? 私がこちらにやってきた年から計算して、ちょうど二十歳になるかならないかくらいの年齢じゃないかと考えてね。そんな若いお嬢さんが異世界にきて、なにか辛い目にあってないかとても心配だったんだ」


 それから高城さんは、ネックレスの入手経路を一つずつ追った。

 王都の道具屋から複数の手を介したネックレスは、やがてここモルデンに行き着く──。


「本当ならすぐにでも自分で探しに行きたいところだったが、なにぶん忙しい仕事に就いているものでね。せめてもとこのカーバンクルを私の代わりに捜索にさせたんだが」

「そうだ! カーバンクル! 高城さんがこの子の主だったんですか?」

「キュ?」 


 私の声に、高城さんの隣でくつろいでいたカーバンクルは顔を上げ、首を傾げた。


「ああ。こいつは私の召喚獣で真紅という。なにか痕跡を見つけたらすぐに戻ってくるよう指示していたんだが、どうやら貴女の側は余程居心地がよかったようだね」

「真紅……そっか。そうだったんだ。ご主人と会えてよかったね」

「キュ!」


 そこで一区切りすると、高城さんは私をじっと見つめた。


「セリザワマナさん、いやマナさんとお呼びしても? どういう漢字を書くのかな?」

「え、えっと、春の七草の芹に難しいほうの澤、下の名前は愛するに菜の花の菜、です」

「そうか、愛菜、か。うん、とてもいい名前だ」


 嬉しそうに目を細め、口の中で名前を繰り返していた高城さんは、立ち上がってこちらへとやってきた。そしてゆっくり跪き、目線の高さを私に合わせた。

 

「ここは日本とは色々と違うだろう? 今まで大変だったんじゃないかな。……よく一人で頑張ったね」

「あ……はい」


 なんてことのない労いの言葉に、目の奥が熱くなる。

 違う世界からやってきて、ずっと一人で頑張ってた。

 常識や生活作法の違いに戸惑って、でもバレちゃいけないと思って、誰かに相談することもできなかった。

 それをわかってくれる人がいることが、これからは相談できる相手がいることが、そんな些細なことがすごく嬉しい。

 ……でも、待って。

 じわりと涙が緩みそうになるのを、ぐっと我慢した。

 だって、まだ聞きたいことがある。王都に行って調べようとしてた、私が本当に知りたいことが。

 私は膝の上に置いた拳をぎゅっと握った。


「……あの、高城さん。私、聞きたいことがあるんです」

「うん。なんだろう」

「正直に教えてください。……私は日本に帰れますか?」


 恐らく、多分だけど、高城さんは、私が聞きたいことをある程度予想してたんだと思う。

 だって、真っ正面から私を見つめる瞳は、吸い込まれそうなほど深い黒で、これっぽっちも揺らがない。

 これから言うことが、嘘や誤魔化しのない本当のことだって、雄弁に語ってる。


「そうだね。下手に遠回しに言ったり、希望を持たせたりしないほうが、愛菜にはいいのかもしれないね」


 そこで高城さんは一旦言葉を句切り、深く息を吸った。


「……恐らくだが、我々は元の世界に二度と戻れないだろう。これは私の推論だが、本来は肉体という物質的存在を持ったまま、世界を跨ぐことは不可能だ。故に一度何らかの別の対象、これはあくまで私の持論だが、いわゆるアストラル体に変換されることで……」

「おいニック、ちょっと待て。その口を閉じろ。……セリ、大丈夫か」


 突然強い力で苦しいくらいアイザックに抱きしめられて、私は自分が息をつめていたことを理解する。

 乾いた瞳が瞬きを欲して瞬きをした途端、ぽたぽたと熱いなにかが目から溢れていった。





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