第28話 迷子
「あれ、ここどこだろう」
お店を出てぼんやり歩いていた私は、見慣れない風景に足を止めた。
街灯がともる薄闇に包まれた街は、まるで初めて来る場所みたいによそよそしい。
「市場の反対側から出ちゃったのかな。ここはどこだろう。とりあえず大通りに……痛っ」
一歩足を踏み出した私は、ツキンと刺すような足の痛みに思わず顔を顰めた。
足下を見ると、ボロボロのスニーカーの底が半分剥がれてる。
そういえば昨日、野鼠駆除でさんざん走り回った時から違和感があったっけ。
無意識でスニーカーを庇って歩いていたんだろう。妙なところが靴擦れしまったみたいだ。
側にあるお店の壁に背中をつけて寄りかかり、大きく溜息を吐いた。
「あーあ、なにやってるんだろう、私」
「キュ」
そのままずるずると地面に座った私は、膝を抱えて顔を伏せた。
お礼をしたいとか、ご飯を作ってあげたいとか、馬鹿みたい。
アイザックの隣に立ちたいとか、ほんと馬鹿みたい。
いつの間にかすっかり彼女になった気でいた。それでアイザックと一緒に王都に行きたいとか、心の底から馬鹿みたいだよ、私……。
目尻から溢れた涙が、顔を覆った手の隙間からポロポロ下に落ちていく。
慰めようとしてるのか、カーバンクルが必死で私の手を舐めてくれる。それでも涙は止まらなくてそのまま膝を抱えて泣いている私に、唐突に声がかけられた。
「おい、大丈夫か?」
顔をあげると、そこにいたのは若い男の人だった。
「あれ、お前昼間会った子だろ? そこでなにしてんの?」
マキナとルナルナを見て鼻の下を伸ばしていた男は、今はいかにも心配そうな表情を浮かべ、上から私を覗き込んでいる。
私の警戒心を感じ取ったのか、カーバンクルが前に出て警戒するように低く唸った。
「おいおい、俺は怪しい人間じゃないぞ?」
「……なんでもないです。放っておいてください」
「放っておいてって、そんなわけにはいかないだろ。そんなに泣いてるのに。迷子なのか? 家まで送ってやろうか?」
「……はあ? 迷子?」
思わず素で聞き返した私の剣幕に、男は驚いたように首を竦めた。
「いや、その……だってお前、まだ子供だろう?」
「もう子供じゃないので、一人で大丈夫です! だから私のことは放っておいて……痛っ!」
「おい、大丈夫か……ヒィッ!」
勢いよく立ち上がろうとした私は、鋭い足の痛みに再びその場にしゃがみ込んだ。それを見て慌てて私の前に屈もうとした男は、突然なにかに驚いたように後ずさりした。
「……お前、こいつになにをした?」
まるで唸り声のような、地を這う低い声が路地裏に響く。
決して大きな声ではないのに、周りの空気がビリビリと震えてる。なぜか気温まで下がったように感じるのは気のせいだろうか。
声も出せないくらい固まった男を平然と押しのけて、大きな身体が私の前にしゃがみ込んだ。
「セリ、大丈夫か」
「……アイザック?」
心配そうに目を細めたアイザックが、私の顔を覗き込む。その額には、うっすら汗が光ってるのがわかった。
「こんなところでどうした。来るのが遅えから探しに来たぞ」
「……ごめん、その、靴が壊れたからちょっと休憩してたんだ。でも、私のことは気にしなくていいから。カトレアさんのところに行ってあげてよ」
「……はあ?」
「私さ、二人が付き合ってるって知らなくて……今まで邪魔してごめん。今日からちゃんと自分の部屋に戻るね。今までお世話に……うわあっ」
「チッ、面倒くせえ」
急に不機嫌になった声のトーンと、突然の浮遊感。あっという間に太い腕で抱き上げられた私は、手を伸ばしてアイザックの胸を叩いた。
「ちょっと、下ろしてよ!」
「それは却下だ。だいたいお前、怪我してんだろ。血の臭いがすんぞ」
「こんなの怪我って言わないし! ちょっと靴擦れしてるだけだから!」
「ちょっと靴擦れしただけの奴が、こんな路地裏で蹲ってるかよ。それにわかってんのか。ここはお前の宿とは逆方向だぞ? 道に迷ったんじゃねえのか?」
「ち、違うよ! 今はほんの少し休憩してただけで……とにかく下ろしてってば!」
「おい、危ねえから暴れるな!」
「あのー……」
その時、私達の様子を見ていた男が、おずおずと声を上げた。
「お嬢ちゃん、その男、本当に知り合いで間違いない? なにか俺が手伝えることはあるかい?」
「ああ? なんだと?」
「い、いや、だってさ、その子、ずっと下ろしてって言ってるから。まあ、どう見ても俺よりあんたのほうが強そうだけど、大声で助けを呼ぶくらいはできるよ?」
引きつった顔で無理やり笑顔を作り、男は私とアイザックを交互に見る。そのすごく真剣な表情を見た途端、私は急に自分のしてることが恥ずかしくなった。
……なにやってんだろう、私。アイザックとカトレアさんに嫉妬して飛び出した挙句、迷子になって。しかも見ず知らずの人まで巻き込んで、迷惑かけてさ。……これじゃあ、まるっきり子供みたいだ。
「あの……本当に知り合いだから、大丈夫です」
「そう? ならいいんだけど。ここは暗くなるとあんまり治安がよくないんだ。怪我もしてるようだし、意地を張らずに連れて帰ってもらったほうがいいよ」
「……はい。親切にありがとうございます」
アイザックの腕の中から頭を下げた私に、男は照れくさそうに笑った。
「いやあ、少しでも役に立てたならよかった。じゃあお邪魔虫はこれで失礼するよ。……あ、それと」
手を上げて立ち去りかけたところで男は振り返り、アイザックに向かってニコッと笑った。
「うちは本当に真っ当な買取屋だからさ。是非ご贔屓に頼みますよ。ね、Aランク冒険者のアイザックさん」
「チッ……悪かったな」
「ハハハッ」
笑いながら去っていく男の背中を見送った私は、大きく一つ息を吐いた。そして、意を決してアイザックの顔を見つめた。
「ねえ、アイザック、私もう逃げないから。下ろしてほしいんだけど」
「……ようやくまともに俺を見たな」
「え?」
「落ち着いたか?」
こちらをじっと見つめるアイザックの瞳は、穏やかに凪いだ海のよう。でも私を抱える腕は、いつもより強い力で身体を締め付ける。それはまるで、私を離さないっていう意思表示みたい。
「……うん。あの、さっきはごめんなさい。私、まるで子供みたいだったよね。……怒ってる?」
「ああ? そんなの怒ってるに決まってんじゃねえか。ったくお前は。ちょっと目を離した隙にこんな怪我しやがって」
静かな声だけど、そこに含まれる冷たい怒気に身体が竦みそうになる。私はゴクリと唾を呑んだ。
「あの、あのね、私、本当に知らなくて」
「待て。足の手当が先だ。ここからだとお前の部屋より、ギルドか、俺の部屋が近い。……どちらかを選べ」
「あ……じゃあ、アイザックの部屋、で」
「わかった。しっかり掴まってろ」
「でも、アイザック」
「黙ってろ。おら、カーバンクルも来い」
「キュ」
私の肩にカーバンクルが飛び乗るのを待って、アイザックは歩き出す。
手の置き場に困った私は、仕方なくアイザックのシャツをずっと掴んでいた。
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