第27話 マキナとルナルナ
男が逃げるように立ち去ったあと、私は半ば強引に、市場の外れにあるカフェに連れてこられていた。
強い日差しを遮る真っ白なテントの下には、幾つもの丸いテーブルが置かれる。
優雅にお茶を楽しむご婦人方に、額を寄せ楽しげに談笑するカップル達。そして物憂げに水パイプを燻らすご老人……。市場の賑やかな喧噪とは打って変わり、ここだけ時間の流れが違うかのような、まったりとした空気が流れていた。
そんな光景が珍しくてキョロキョロしていると、テーブルの向かいに座った二人は、唐突に私に向かって頭を下げた。
「改めて自己紹介させて欲しい。アタシはマキナだ。その……さっきはアンタのおかげで、変なのに引っかからなくて済んだ。助かったよ」
「私はルナルナだよ! マキナは一度思い込んだら、人の話をちっともきかなくなるんだよねー。ほんと、ありがとうね」
「は、はあ、あの、セリです……?」
「これはアタシの奢りだ。遠慮なく食べてくれ」
目の前のテーブルに所狭しと並ぶのは、見た目も鮮やかなお菓子の皿。一緒に運ばれてきたミントティーのような飲み物は、モルデンでよく飲まれている伝統的なお茶だそうだ。
「あのさ、私、別に大したことしてないから。こんなことしてもらう理由がないんだけど」
「そうはいかないよ。それにアンタを見込んで、ちょっと相談したいことがあるんだ」
「相談? 私に?」
「ああ。実はアタシ、今回初めてパーティの会計を任されてさ……」
マキナの話によると、ガストン率いる「野生の爪」のメンバーは五人。リーダーの大斧のガストン、剣士のマキナ、回復役のルナルナ、あとは斥候と魔法使いがいるらしい。そして、なんとメンバーは全員獣人なんだそうだ。
「え? 獣人!? マキナとルナルナも!?」
この世界の獣人は、外見はまったく普通の人と変わらない。ただ、身体能力がずば抜けて高く、種族に特化したスキルを持っていると聞く。
改めて二人をよく観察してみる。山猫の獣人だという鮮やかな金髪のマキナも、兎獣人だというピンク髪をツインテールにしてるルナルナも、パクパクとお菓子を食べる姿は、ごく普通の女の子となにも変わらない。
「ここだけの話だけどよ、うちらのパーティは計算が苦手な奴が多くてさ。いつも会計は持ち回りなんだ」
「えへへー、みんな数字が苦手なんだよねー」
なんでも『野生の爪』はガストン以外の全員がBランク。依頼は討伐系が多く、今まではどんなレアな素材の売買も、全部ギルドに任せていたそうだ。
今回始めてマキナに会計に回ってきて、考えるところがあったらしい。
「だってよ、うちらのパーティは結構稼いでるはずなのに、いつもカツカツなんだ。それっておかしくないか?」
「はあ」
「まあ確かに、みんなよく食べるんだよねー。特にガストンなんて熊の獣人だから、食べる量が半端ないんだよ」
「ガストンさん、熊だったんだ………」
「だが、それにしたっておかしいだろう」
そこで買取屋の相場を調べていたところ、偶然出会ったのがあの男だったそうだ。
「あの男からは、アタシと同じ猫族の匂いがした。うちら獣人は一族の血をなにより大切にする。だから、まさか騙されるなんて、これっぽっちも思ってなかった」
「もう、私は最初に言ったのにー! あの男は絶対に怪しいって!」
「へー、獣人の血かあ」
それを聞いてちょっと納得してしまった。だって、経験豊富で用心深そうなマキナが、どうしてあんな男を信用したのか不思議だったんだ。
……同じ一族の血かあ。百パーセントありえない話だけど、もしここで日本人と会ったら、私だって簡単に信用してしまうかもしれない。
「そこでアンタに相談だ。なあ、アンタの技術って言うかコツを、アタシにも教えてくれないか?」
「ん? なんの話?」
「だってよ、あれだけ複雑な計算が一瞬でできるなんて、ものすごいじゃないか!」
「そうだよー! 謙遜することないから!」
「いや、待ってよ。別にすごくないから。そりゃあ一応、珠算二級は持ってるけどさ……」
なぜか目をキラキラと輝かせ、尊敬したような眼差しでこちらを見つめるマキナに、私は慌てて手を振って否定した。
だって、段じゃなくて級だからね!? しかも中途半端な二級!
するとルナルナは、不思議そうに首を傾げた。
「ねーねー、シュザンってなあに?」
「え? 珠算って算盤を使った計算方法のことだけど。もしかしてこっちに算盤はないの?」
私の質問に、マキナとルナルナは顔を合わせ、首を傾げている。
「私にはよくわかんないけどさ、アンタはそのシュザンとやらの二級ってことだよな」
「うん、まあそうだけど」
「二級ってことはあ、冒険者ランクでいうと、Bランクみたいなもの? つまり、セリは相当の実力者ってことだ!」
「へ? いや、全然違うと思うけど……」
「だとしら、アタイは前回ずいぶん失礼なことを言っちまったね。謝罪するよ」
「うん。前に会った時は嫌な奴だったよね。ごめんねー?」
「詫びと言ってはなんだが、この先なにかあったらアタイが力になるから」
「うん! ルナルナも力になるよ!」
そう言ってニコニコと屈託なく笑う二人に、思わず苦笑いしてしまう。
この二人は、素直っていうか、裏表のない率直な性格なんだろうな。この間ギルドで突っかかってきたのも、アイザックに対する純粋な義憤だったのかもしれない。
その時、私はテントに伸びる影ながらずいぶん斜めになっていることに気が付いた。
「あ! ごめん、私、このあとにまだ用事があるんだ。もう行かないと。その話、また今度でいいかな?」
「待ち合わせだったのか? そいつは悪かったね」
「ううん、大丈夫。特に時間は決めてないし、デュークの店に服を取りに行くだけだから」
「え? デュークの店?」
「うん。そうだけど」
急に黙り込んだ二人は、なぜか気まずそうに目配せを交わしてる。
「なに? どうかしたの?」
「えーっと、そのお……」
「あのよ、言いにくいんだが、アイザックの想い人は、カトレア姐さんじゃないかって言われてんだ」
「え? カトレアさん?」
「あの二人ね、昔パーティを組んでたんだってー」
「アイザックがモルデンに来るたびに、デュークの店に顔を出すのは有名な話なんだ」
「あー……そうなんだ。確かにあの二人仲よさそうだもんね」
「あ、あとよ、アイザックが信用する人間をあの店に紹介すんのも、その、有名だから」
「……そっか。あ、私もう行かなきゃ! マキナ、ルナルナ、ごちそうさま! ほら、カーバンクル行こう!」
なんだか居たたまれなくなって慌ただしく席を立った私の肩に、カーバンクルが飛び乗る。
お礼を言ってお店を出たあとも、最後に飲み干したお茶が、いつまでも舌に苦い余韻を残しているように感じた。
……◊……
買い物を済ませた私がデュークの店に着いたのは、もう辺りが黄昏色に染まる頃だった。
窓からそっと中を窺うと、店内でアイザックとカトレアさんが親しげに話してるのが見える。
『……あのよ、言いにくいんだが、アイザックの想い人は、カトレア姐さんじゃないかって言われてんだ』
さっき二人が教えてくれたことが、頭の中をグルグル回る。
そういえば、この間来た時も、喧嘩ップルっていうか、阿吽の呼吸っていうか、二人はすごく親しげだった。今は友達かもしれないけど、昔は付き合ってたんだろうなって、そんな雰囲気。
……私は単に、カトレアさんに会う口実にされたのかな。それとも嫉妬させるためのあて馬?
今日のカトレアさん身体のラインが出る鮮やかなブルーのドレス。ハーフアップでまとめた髪にドレスと同じ色の髪飾りが揺れる横顔は、女の私から見ても溜息が出るほど綺麗。
せめてもと手櫛で髪を梳かしたところで、私は手を止めた。
……この世界に来て以来ずっと伸びっぱなしの髪は、毛先も傷んでパサパサだ。男の子用のくすんだ色の服に、ずっと履いてるスニーカーも、すっかりボロボロになってる。
「……なんか、嫌だな」
「キュ?」
なにかを察したのか、カーバンクルが私の首に顔を擦り付ける。
私はそっと踵を返してその場をあとにした。
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