第26話 食材探し
アイザックと別れたあと、私はあるものを探して市場を歩き回っていた。
実はアイザックの部屋で過ごすようになって、あと少しで約束の一週間になるんだよね。
とっくに掃除は終わっているのに、いつの間にかあそこで過ごすのが当然のようになっていた。
朝起きてご飯を食べて、それから私は食堂でお手伝いをして、昼からはずっと一緒。夜はお風呂上がりに薬を塗ってもらって……って、我ながら恋人みたいだなって思う。
くしゃって頭を撫でられるのも、人混みでは必ず手を繋ぐのも、ふと気がこちらを見つめている蒼い目も、すっかり慣れてしまった。
でもさ、やっぱりこのままじゃいけないって思う。
この間、ギルドで出会った女の子達に指摘されて気がついた。
私はアイザックに甘えすぎてる。
今のままだと、私がアイザックに寄生してるように見えるのは間違いない。
私の最終目標はいつか日本に帰ること。それは変わらない。
だけど、もし帰るまでの間、アイザックと一緒にいられるなら──
後ろで守ってもらうんじゃなくて、子供みたいに抱っこされるんじゃなくて、私はアイザックの隣に立ちたい。
そう思ったから、せめてランクを少しでも近づけようと思ったんだけど……
「野鼠駆除だと百回は依頼を受けないといけないって、ハードル高すぎるよ」
「キュ?」
ブツブツと文句を呟く私を、カーバンクルが不思議そうに見上げる。
「ふふ、なんでもないよ。ねえカーバンクル、アイザックはなにが好きだと思う? 肉は外せないよね。昨日もロックバードのサンドイッチを気に入ってたし。あとは辛いものをよく食べてる気がするんだけど」
決意したものの現状では大したことができない私は、せめて今までお世話になったお礼になにかしたいって考えたんだ。
ぶっちゃけお金はないし、一緒に依頼を受けても役に立てると思えない。
私ができることで喜んでもらえそうなことといったら、料理くらいじゃないだろうか。
「よし! 頑張ろう!」
最初に訪れたのは、青果を取り扱う一角だ。ほしいのは人参と玉ネギとじゃがいも。
この世界の野菜は、味も外見も私の知っている野菜と似てる。だけど、たまにとんでもないものが紛れてたりするから用心が必要だ。
私はずらりと並んだ野菜を前に、店員さんに声をかけた。
「すみません、煮込んでも崩れないじゃがいもがほしいんですけど」
「煮崩れないじゃがいも? つうとこれだな」
「え? これ……って長芋?」
店のおじさんが指さしたのは、外見はまさかの長芋そのもの。思わず何度も確認してしまった私は悪くないと思う。
その次にやってきたのは、調味料を売っている乾物を取り扱うテントだ。
大きな台の上に並ぶのは、所狭しと並べられた塩やスパイスの袋。なみなみと油の入った大きな瓶が棚に並び、床には豆や穀物が溢れんばかりに詰まった大袋がいくつも鎮座する。
お店の中を一通り見て回った私は、小さく溜息を吐いた。
「本当はカレーを作りたかったけど、やっぱりお米とカレー粉はないよね……。となると、洋風の塩肉じゃがに変更だな。あ、すみませーん!」
市場を歩きながら考えたメニューは、肉じゃがと卵焼きだ。
本音を言うと、せっかくアイザックに食べてもらうんだから、もっとお洒落で可愛い料理を作りたい。だけど、出汁も醤油もなくて、しかもここにある材料で私が作れる料理って選択肢がかなり絞られる。
どーんと豪華にローストビーフやステーキも考えたけど、できればアイザックが今まで食べたことのない料理がいいんだよね。
調味料を買ってテントを出た私は、肉屋へ向かった。
「卵は最後に買うから、あとはお肉とパンで大丈夫かな。あーあ、和食だったら白いご飯と、あとはお刺身とか焼き魚があれば完璧なんだけどなあ」
お米や醤油がないのは諦めがつくけど、魚が食べられないのは地味に辛い。毎日お肉が続くと、無性に魚が食べたくなる時がある。
以前ギルドの本で見た地図には、ちゃんと海が存在した。でも残念なことに、モルデンは海から遠く離れた内陸部。たまに海の魚を見かけても、びっくりするくらい高い値段がついている。
そういえば、この世界の海って、私の知ってる海と同じなんだろうか。
今まで考えたこともなかったけど、海が青かったり、海水がしょっぱいのはきっと同じだよね?
魚はどんな種類がいるんだろう。貝や海老は? もしかして、海にも魔物がいるのかな。 ……一度見てみたいな。アイザックがいれば、きっと……
一瞬そんなことを想像してしまった私は、慌てて頭を振ってその考えを打ち消した。
「いやいや図々しいから! だいたいアイザックには好きな人がいるって、あの女の子達言ってたじゃん」
「キュ?」
「そうだよ。うっかりしてたけど、そもそも好きとも付き合おうとも言われてないし! それなのにあのスキンシップって、やっぱり異世界仕様? それともアイザックが手が早いだけ!?」
「キュウン……」
そんなことを考えていたせいだろうか。市場の人混みに紛れて突然耳に飛び込んできたのは、聞き覚えのある声だった。
「……だからさ、俺に任せておけって。いいお店を紹介するからさ」
「ふーん?」
「ねえマキナ、やめておこうよー」
「待て待て、姉ちゃん、よく考えてみなよ。ギルトに出したら正規手数料で三割。しかも買い取り価格は、日によって変わる。肉屋に直接持ち込めば、相場の手数料はだいたい二割から二割五分くらい。買い取り価格はギルドよりいいけど、必要な肉以外買い取ってもらえない。そうだろ?」
「まあ、確かにそうだね」
「それが俺の知ってる店なら、獲物の種類や大きさに関わらず、なんと手数料は一律三千ギル! 買い取り価格も常に同じで、しかも相場より断然上だ! 初回だけ登録料が必要だけど、君達みたいな凄腕の冒険者なら、すぐに元が取れる。どうだ? 悪い話じゃないだろう?」
「うーん、だがよ……」
市場の往来で熱心にそう話す男は、いわゆる買取屋を紹介するキャッチ、つまり客引きのようだ。
買取屋とは、ギルドと同じように冒険者から魔物の肉や素材、薬草なんかを買い取る店だ。
一般的にギルドよりいい相場で買い取ることが多く、魔物専門店、薬草専門店、魔石専門店等、分野に特化している店もある。
そして、その買取屋にお客を紹介するのが、客引きの仕事だ。
どうやらこの男、今から目の前の客を知り合いの買取屋に連れて行こうと、口説いてる真っ最中のようだ。
でもなあ……こいつ、なんか胡散臭くない?
さっきから笑顔を絶やさない男をチラリと一瞥する。
どこがどうってうまく説明できないけど、強いていうなら話がうますぎるし、すんごい笑顔なのが怪しい。
客引き自体は悪いことじゃない。真っ当な客引きはきちんとした買取屋と契約して、その紹介料で稼ぐ。
でもその一方で、怪しい買取屋と契約して、強引に客を勧誘する客引きがいるのも確かだ。
私は男が熱心に話しかけている、二人組の女の子に視線を移した。
上等な装備を身につけた、ちょっと目立つ整った容姿をした女の子の二人組。──どう見ても昨日ギルドで会ったばかりの、あの二人だよね?
「今なら俺の紹介ってことで、買い取り価格を一割増しにできるからさ。な? 損はさせないよ?」
そう言いながら男がさりげなく女の子の腰に手を回すのを見て、私は溜息を吐いた。そして次の瞬間、二人に声をかけていた。
「ねえ、その話、よく考えたほうがいいよ」
「はあ? ……ってなんだ、アンタか」
二人組の女の子の、背の高いほうが私を見てさも嫌そうに眉間に皺を寄せる。でも、もう一人の子は、なぜがホッとしたような顔をした。
「この人、手数料が一律三千ギルって言ってたけど、それって最低でも買い取り価格が一万ギル以上する獲物じゃないと、こっちの損になるからね」
私がそう言うと、二人は驚いたように目を瞬いた。
「そうなのか?」
「え? だってギルドは手数料は三割なんでしょう? 一万ギルの三割は三千ギル、一万千ギルだと三千三百、一万二千ギルだと三千六百……ってお得だよね。でも、逆に九千ギルの買い取り価格だと、本来の手数料は二千七百ギル、八千ギルだと二千四百ギル……ってどんどん損することになるよ」
「えー、そうなんだあ。すごーい」
「それにさ、ギルドには買い取り保証があるけど、買取屋にはない店もあるんだ。状態が悪かったからとか、今は人気がないとか、その手の理由をつけて不当に買い叩く店も多いから」
なんで私がそんなことを知ってるかというと、以前それで痛い目にあったからだ。
やっとの思いで採集した貴重な薬草を、相場より高く買い取ると言われ、ほいほい客引きについて行ったのは私だ。なんだかんだ難癖をつけられ二束三文で買い叩かれたのは、今となってはいい勉強代だったと思ってる。
「ねえ、兄さんの店には買取保証ってあるの?」
「えっ、そ、それは……」
私の質問に男が一瞬たじろいだのを見て、背の高い女の子が目を鋭く細めた。そしてさりげなく腰の剣の柄に手を置き、男ににじり寄った。
「……アンタ、まさかうちらを騙そうとしたんじゃないだろうね?」
「ヒッ、ち、違う、うちは真っ当な店で……」
「フン、もういい。とっとと失せろ」
「バイバーイ」
慌てて後ずさりして、逃げるように去って行く男の背中を、背の高い女の子が睨む。その横で、背の低い女の子は男に向かって嬉しそうに手を振っていた。
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