第19話 迷子の召喚獣

「うー……いったー……」


 食堂の最後のお客さんがはけたあと、私は拭いていたテーブルの上に突っ伏して頭を抱えた。


「おやおや、まだ頭が痛いのかい? よっぽどお酒が合わなかったのかねえ」

「うう、ターシャ……。でも、アイザックが言うにはコップに半分しか飲んでないって」


 酷い頭痛で顔を顰める私を、ターシャが心配そうに覗き込む。

 アイザックの話によると、昨日私は食事中に間違えてお酒を飲んでしまったらしい。

 コップに半分ほどの量だったそうなんだけど、飲んだ直後から私は明らかに普段より饒舌になったらしい。そしてお店の中で突然泣きだした挙げ句、慌てて外に連れ出したアイザックの手を振りほどき、夜の市場をご機嫌で走り回っていたんだそうだ。

 それを聞いた瞬間、私は思わず嘘だ! って叫んだよ。絶対おおげさに盛って話してるでしょって。

 でも……ここだけの話、実は太った兎亭でご飯を食べたあとの記憶が曖昧なんだよね。

 それにアイザックの視線が妙に冷たかったのも、つまり、もしかして、そういうことなのかもしれない。私は大きく溜息を吐いた。


「午後からはアイザックと出かけるんだろう? 大丈夫なのかい?」

「うーん、気持ちは悪くないけど、とにかく頭が痛くって」


 朝ご飯のあと、アイザックは用事があるからと一人で出かけていた。

 そして私は痛む頭を誤魔化しながら食堂を手伝ってたんだけど、どうやらターシャにはお見通しだったみたい。


「ポーションを飲めば楽になるそうだけど、飲んでみるかい?」

「ううん。朝よりはずっと楽になったから、もうしばらくすれば治ると思うんだ」

「おいセリ、中庭にハッカ草が生えてるから積んでこい。ハッカ茶をいれてやる」

「ハッカ茶?」


 頭を抱えて唸る私を見かねたのか、厨房からノートルが声をかけた。

 ハッカ草とは、日本にもあるミントによく似た植物だ。

 繁殖力が旺盛で、こぼれ種でもっさり増えていくところもミントに似てる。

 虫除けになるからと、ここら辺の人は家の敷地に植えることが多いそうだ。


「ハッカ茶は二日酔いに効くっていうぞ。そこの裏口から出るとうちの中庭だ。どの草かわかんねえなら、向かいの家にハンナがいるから声をかけろ」

「でも、まだ片付けが終わってないのに」

「いいから行ってこい。うるさくってしょうがねえ」

「うう、ありがとうございます……」


 ノートルの好意に甘えて中庭に出た私は、眩しい太陽の光に目を眇めた。

 見上げた空は雲一つない快晴。頬を擽る風も気持ちよくて、普段の私なら絶好の採集日和だって喜んでるに違いない。

 でも今日ばかりは、この照りつける太陽が恨めしいよね……。私は軒先の日陰になっているところにしゃがみこんだ。


「ええっと、ハッカ草の特徴は、確か尖った葉っぱに白い産毛が生えてて……スッとするいい香りがするんだっけ」


 手近な場所に生えている草を試しに少し千切ってみるけど、青臭い、いかにも草って匂いに思わず顔を顰める。気を取り直して今度はもう少し奥にある草に手を伸ばした瞬間、私は背中を押されて前につんのめった。


「うわっ、危ない! ちょっとアイザック、なにすんのよ……って、あれ?」


 咄嗟に地面に手をついた私は、振り向きざまにそう怒鳴った。

 だって、こんなことをするのは絶対にアイザックだろうと思ったから。


 でも私の予想に反して、草むらから顔を出してこちらを覗いていたのは、耳の長い兎みたいな猫みたいな、とにかく不思議な生き物だった。

 その生き物は私の前にトコトコやってくると、首を傾げてこちらを見上げた。


「キュ!」





「カーバンクル? この子が?」

「ああ。聖獣の一種でとても珍しい生き物だよ。けどおかしいねえ。普通はこんな街中に姿を現すはずはないんだよ。そもそも人間には懐かないって言われてるんだけどねえ」

「え? こんなに人懐っこいのに?」


 何故か私にくっついて離れないこの子に困って食堂に戻った私は、その言葉に首を捻った。

 ターシャが言うには、この子はカーバンクルという生き物のようだ。

 身体の大きさは子猫くらい。長い耳がロップイヤーみたいに垂れてて、真っ白でフワフワの毛に金色の大きな瞳。そして額には小さな赤い宝石が光っている。

 なんでも額についた宝石目当てに乱獲された時代があり、とても数が少なくなってしまったのだそうだ。

 肩に飛び乗ってきたカーバンクルに思わず首を竦めると、まるで挨拶するみたいに小さな鼻を頬にすりつけた。


「ふふっ、可愛い」

「こんだけ懐っこいんだ。誰かの召喚獣じゃねえか?」

「召喚獣? じゃあこの子には飼い主……じゃなくてご主人様がいるってこと?」

「ああ。カーバンクルを使役できる召喚士サモナーなんて、そうそういるもんじゃねえ。もし主とはぐれたんなら、ギルドで聞きゃあわかるかもな」

「待ちなよ、そもそもカーバンクルは知能が高いんだ。そんなに賢い生き物が主とはぐれたりするもんかね。もしかして誰かに攫われて逃げ出してきたんじゃないのかい?」

「その可能性もあるがなあ……」


 腕を組み、眉間に皺を寄せて話し込むターシャとノートルの姿に、私は思わずカーバンクルに聞いてみた。


「ねえお前、もしかして迷子なの?」

「キュ?」


 まるで人間の言葉がわかってるみたいに、カーバンクルは首を傾げる。

 その様子が可愛すぎて悶えてると、突然カーバンクルの耳がなにかを警戒したようにピクリと動いた。


「キュ!」

「あれ? どうしたの?」


「おい、なんだそれは」


 肩から飛び降りるなり毛を逆立てて警戒するカーバンクルの姿に驚いていると、食堂のドアが開く。そこにいたのは、不機嫌そうな顔をしたアイザックだった。



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