第18話 アイザック視点 酔っ払い

 すっかり闇の濃くなった夜の市場を、露天のテントに吊された色とりどりの魔石ランプが照らす。

 店仕舞いを済ませたテントも多い中、未だ賑わいを見せるのは酒を扱う屋台の一角か。野郎共のでけえ声が辺りに響く。

 コップ半分の酒でご機嫌になったセリを宥めすかして店を出た俺達は、そんな喧噪を避けながら夜の市場を歩いていた。





「アイザックのケチ! もっと飲みたかったのに、急に帰るなんてひどいよ」

「誰がケチだ。だいたいさんざん泣いた酔っ払いが、なに偉そうなこと言ってやがる」


 怒ったように睨み付けるセリの瞳はすっかり潤み、市場の暗い照明でもわかるほど頬が赤く染まる。

 ったく、こんなにフラフラしてんのに自分ではわからねえのか? 

 すれ違いざまに人とぶつかりそうになったところで、呆れた俺はセリの腰を引き寄せた。


「それはアイザックが意地悪だからじゃん。だいたいあれがお酒だなんて知らなかったんだから、そんなに怒らなくていいのに」

「お前なあ、辛いもん食って気が付かなかったのかもしれねえが、あれは結構キツい酒だぞ?」

「そうなの? でも私、全然酔っ払ってないよ」

「はいはい。ガキが無理すんなって」

「ガキじゃありませんよーだ! 今年の誕生日でちゃーんとお酒が飲める歳になったんだから」

「はあ? じゃあお前、つい最近成人になったばかりなのか?」


 この国の成人年齢は十五歳。飲酒が可能になる年齢も同じだ。

 待てよ、つまりセリは十五になったばかりなのか? 若いとは思ってが、まさかそこまで歳が離れてんのか…… 

 思わず唸り声を上げる俺をよそに、セリはご機嫌で喋り続ける。


「うん! 本当なら今年は成人式だったんだよね。あーあ、一度でいいから振り袖とか着てみたかったな。友達とも会う約束してたのに……」

「成人式? フリソデ? なんだそれ」

「あ-、ううん、なんでもない。ねえ、せっかくだから市場で買い物していこうよ。一度こういうのしてみたかったんだ」

「はあ? おい、待て!」

「アイザック! こっちこっち!」


 突然はしゃいだように走り出したセリは、とある露天のテントの前で止まり手を振った。

 どうやら装飾品を取り扱う店らしく、机の上には耳飾りや首飾り、指輪や腕輪なんかの女の好きそうな品が並ぶ。

 興味深げに机の上を眺めていたセリは、突然真剣な眼差しでその中の一つを手に取った。


「なんだ、セリは首飾りが欲しいのか?」

「え? ああ、これ? ううん、違うの。前に持ってたやつに似てたから気になって。……お気に入りだったんだけど、前にお金がない時に手放しちゃったんだよね」

「ふーん。気に入ったなら買ってやるぞ?」

「え? 可愛いけど、うーん……やっぱりいいや。やめとく」

「なんだ、気に入ったのがねえなら、他の店も見るか?」

「ううん、いいんだ。アクセサリーは好きな人からもらいたいから。ねえ、あっちのお店も見たい」

「ああ? おい! ちょっと待て!」


 突然立ち上がり駆け出した背中に、思わず苦笑いが零れる。

 なんでこんなに色気のねえ女が気になるのか、我ながら不思議でしょうがねえ。

 これだけ一緒にいても、ちっとも俺に頼ろうとしねえのが気に喰わねえのか。それとも、他の女みてえにAランクの肩書きに靡かねえのが気に入ったのか……。そもそも俺の好みは、もっと大人の女だったはずなんだがな。


「こら、危ねえだろ。勝手に先に行くな」

「ちゃんと見てるから大丈夫だってば。それよりほら、こっちこっち、早く!」

「セリ、待て!」


 雑踏に紛れて見失いそうになる白い腕を咄嗟に掴む。そして抱きしめるように細い身体を腕の中に閉じ込めた。


「……ったく、目が離せねえ女だ」

「アイザック……?」


 こいつはなにか重大なことを隠している。

 素性もそうだが、カトレアが言っていた魔力もそうだ。それに一体なんの目的があって王都の図書館に行こうとしてるのか。

 セリといれば当分飽きることはねえと、俺の勘が告げる。


 なあセリ、お前は一体俺になにを隠してる?

 まさか俺から離れようなんて考えてるんじゃねえだろうな?

 ……まあ、簡単には手放さねえがな。


 ぺしぺしと俺の腕を叩くセリをより強く抱きしめると、見上げたセリは花が綻ぶように笑みを零した。


「なんだ? なにがおかしい?」

「だってさ、こうしてると、まるで恋人みたいだと思って」


 腕の中で向きを変えたセリは、俺の胸に額をつけ息を吐いた。そして小さな手でぎゅっと服を掴んだ。


「おいどうした」

「ん……なんか、急に、身体がふわふわして」

「お前、はしゃいだせいで酔いが回ったんじゃねえか?」

「うー、酔ってないし」

「酔っ払いはみんなそう言うんだ。おら、ちょっと上を向け」

「ん……なに……?」


 顎を掴んで上を向かせたセリの黒い瞳に、ランプの明かりがゆらゆらと揺れる。

 そのままじっと瞳を覗いていると、ゆっくりと瞼が閉じた。


 ……おい、もしかしてこれは誘われてんのか?


「どうしたセリ、そんな顔して。……キスでもして欲しいのか?」


 普段のセリなら真っ赤になって怒るところだ。

 だが、返ってきたのは思いも寄らねえ反応だった。


「アイザック……どうしよう……」

「セリ? どうした、甘えてんのか?」

「ねむくて……もう、限界……」

「はあ? っと、おい、危ねえ!」


 突然ぐったりと寄りかかってきたセリを、俺は慌てて抱きとめる。

 腕の中のセリは、幸せそうな顔をして眠っていた。


「……ったくよ、覚えてろよ」


 


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