第16話 太った兎亭

 市場の一角にある大衆食堂『太った兎亭』。

 美味しい食事と酒を手頃な値段で提供するとあって、若い冒険者の間では大人気。今モルデンで一番熱い人気のスポット!

 ……そんな噂は聞いてたけど、実際お店に行ったことはなかった。

 そもそも一緒に行く相手もいなかったし、一人で外食なんてハードルが高すぎたし。

 だけど、お店の名前をよく耳にしてたから、いつかは行ってみたいなって憧れてた。

 だから、デュークの店の店を出たあとアイザックに外でご飯を食べようって言われた時、私は迷わず『太った兎亭』の名前を出していた。




 威勢のいい注文の声と、それに応える元気な声が広いホールに飛び交う。

 大きな木のテーブルが幾つも並び、その間を両手に大きなジョッキを抱えた店員が忙しそうに走り回る。運ばれる料理からはどれも美味しそうな匂いがたちのぼり、食事と酒を楽しむ客の喧噪で、店は賑やかな活気に満ちていた。


 そんな喧噪の中、私は目の前のテーブルの上に次々と並べられる大量のお皿に、呆気にとられていた。

 表面がこんがり焼けたローストビーフのような肉の塊に、同じくローストされた野菜やポテト。山盛りになったオイル煮のキノコに添えられたのは、香ばしく焼き上がったパン。ピザのような薄い生地の上にのっているのは、香辛料の香りが食欲をそそる肉の炒め物だ。


「ほろ酔い鳥と豆の煮込みは、どこに置きますか?」

「こっちにくれ。あとエールを追加だ」

「は-い、少々お待ちくださーい」

「よし、熱いうちに食うぞ、セリ」

「ええっと……すごい量だね」


 この世界の料理名を知らない私は、注文を全部アイザックに任せていた。

 朝食をあれだけ食べるんだから、きっといっぱい注文するだろうなとは思ってたけど……これって一体何人前あるんだろう!?


「そうか? ほら、まずは肉を食え、肉を」

「う、うん。いただきます。……ん! このお肉、すごく柔らかい!」


 器用に薄く切り分けてくれたお肉は、中は綺麗な赤色で驚くほど柔らかい。噛むたびにじゅわって出てくる肉汁が、ソースと絡まって絶品だ。


「そうだろ? これは暴れ牛って魔物の一種だが、俺の一押しなんだ。こっちの煮込みも熱いうちに食え」

「うん!」


 付け合わせの野菜を肉のソースと絡めて口に入れる。ピリッと辛いキノコのオイル煮は、カリカリのパンにのせて。大きな口で料理を頬張る私を見て、アイザックは笑いながら煮込み料理をたっぷりよそってくれた。


「そんでよ、さっき言ってたセリが見たい店って、一体なんの店だ?」

「ああ、それね。実は私、王都へ行きたいと思ってて……」


 酸味のきいたトマト風の煮込み料理を食べながら、私はアイザックにいずれ王都へ行きたいと思っていることを打ち明けた。

 必要なお金は貯めたから、今その準備をしている最中なんだとも。


「王都にあるっていう図書館に行ってみたいの。馬車を乗り継いで行く予定なんだけど、万が一に備えて野営の準備はしておこうと思って。そもそも一人で旅をするのが初めてだから、なにを準備すればいいのかわからないんだけどさ」

「旅が初めてなのか?」

「うん、そうだよ? ギルドで聞いたんだけど、王都に行く道は安全なんでしょう?」

「まあ、そうだな。道は整備されてるし、往来も多いからな」

「でも、念のために最低限の装備は用意しておこうと思って。テントはあったほうがいいよね? あとは毛布と、日数分の携帯食料が必要って言われて……あの、どうかした?」

「いや、なんでもねえ」


 急に黙り込んでしまったアイザックを前に、私はフォークを持つ手を止めた。

 眉間に深い皺をなにかを考え込んでいる様子は、なんだか話しかけてはいけないような雰囲気だ。

 そんなアイザックに戸惑っていると、不意に背後から声がかかった。


「ようアイザック。こんなとこにいやがったか」

「ああ? ……なんだ、またお前か」

「おいおい、ずいぶんなご挨拶だな。朝はあんなにしっぽり仲良くしてたのによ?」


 聞いたことのある特徴的な声に振り向くと、そこにいたのは今朝、食堂で会ったガストンさんだった。

 パーティのメンバーなのか同行する冒険者風の男女に目配せしてから、ガストンさんは一人アイザックの横にやってきた。


「なんの用だ? もう話は済んでるはずだ」

「はははっ、そう怖い顔すんなや。俺の話が終わったらすぐ消えるからよ。……そんでお前、あんなこと言ってどうするつもりだ。向こうさんに喧嘩を売るつもりか?」


 突然ぐっと低くなった声に、なんだか聞いてはいけない話のような気がして、私は慌てて視線を逸らした。


「そんなつもりはねえよ。だがああ言っときゃあ、向こうもさすがに諦めるだろうさ」

「お前、本当にあの通り伝えていいのか? 依頼人は王都のお偉いさんだろうがよ」

「へっ、あいつらお高いプライドの塊だ。そんな奴らがモルデンくんだりまでわざわざ来やしねえよ」

「果たしてそうかねえ」

「ああ?」

「今、この国でまともに動けるAランクの冒険者は、アイザック、お前さんだけだ。そのお前をわざわざ指名してんだからよ。向こうさんにはそれだけの理由があるんじゃねえか?」

「……だとしても、俺には関係ない話だ」

「ま、相手の出方次第だけどな。万が一モルデンくんだりまで来ることがありゃあよ、そん時は俺にも一枚噛ませろや。なあ?」


 ガストンさんは意味ありげにニヤリと笑ってアイザックの肩を叩く。そしてひらりと手を振り、奥へと消えていった。


「……ったく、ゆっくり飯も食えやしねえな」

「ねえアイザック、ガストンさんが話してたのって、もしかして例の指名依頼のこと? あのさ、私は……」

「セリ、その話は却下だ」

「ちょっと、まだなにも言ってないし!」

「どうせあれだろ? 変に気い回して『私のことは気にしないで依頼を受けて』だの言うつもりだろ?」

「うう、でもさ……」


 だって食堂で誰かが言ってた。あいつは大斧のガストンだって。二つ名を持つ冒険者は有名人の証拠だ。それに……


「ねえ、灰燼のアイザックって……アイザックのことなんでしょう?」


 そんな呼び名がついてる有名人が、ギルマスに言われてアイザックを探してるんだよ? よほど大事な依頼なんじゃないの?


「セリが気にする必要はねえ。俺が自分で決めたことだ」

「でも、それはどう考えても」

「だから却下だ。……いや待てよ。そうだな……」


 突然ブツブツ呟き始めたアイザックに、私は仕方なく食事の続きを口に入れた。

 ……ん! この挽き肉がのったピザみたいなやつ、美味しいけど香辛料がきいててかなり辛い! っていうか痛い! やばい! 私は慌てて近くのグラスに入った水を飲み干した。


「なあセリ、お前王都に行きたいんだろう? だったら俺と一緒に行かねえか?」

「え? アイザックと一緒に王都に?」

「ああ。今回の指名依頼な、依頼人は王都にいるんだ。だから本当は俺もあっちに行かなきゃなんねえんだ」

「アイザック、王都に行っちゃうの?」

「行かねえよ。だから断ってんじゃねえか。いやだからよ、俺と一緒に組んで王都に行きゃあいいじゃねえか」

「組むって……もしかしてアイザックとパーティを?」


 アイザックの提案に、私は目を丸くした。

 ギルドや街中で見かける冒険者達のパーティは、密かな憧れだった。だって一緒に依頼を受けたり、ダンジョンに潜る相談をしてるのって、すごく楽しそうだったから。

 でも、私はせいぜい薬草採集くらいしかできないし、そもそも女だって隠してる身だ。

 だから誰かと一緒にパーティを組むなんて、絶対に無理だと思って諦めてた。

 ……でも本当に? アイザックと一緒にパーティを組めるの? どうしよう、なんだかすごく嬉しい……!


「まあ二人組だから、パーティとは違うけどな。お前、冒険者ランクはなんだ?」

「言ってなかったっけ。私はEランクだよ」

「はあ? Eだと!?」


 驚いたように大声を上げるアイザックに、私は首を捻った。


「うん。つい最近上がったばっかりなんだ。でも、それがどうかしたの?」

「冒険者になって一年じゃそんなもんか? しかしEか。思ったより低かったな。……まずいな」


 眉間に皺を寄せすっかりなにかを考えこんでしまったアイザックに、私は急に不安に襲われた。

 やっぱりAランクの冒険者に、私みたいなEランクは相応しくないのかな。まずいって、一体なにがまずいの……?


「……アイザックは、私じゃだめなの?」

「いや、そうじゃねえけどよ、あまりにランクが離れてると、ギルドの規約で……おい待て。なんだ、急にどうした?」

「だって、アイザックが、まずいって」

「いや、それはそういう意味で言ったわけじゃねえぞ? なあセリ、なんで泣きそうになってんだ? あっ! お前、まさかここに置いといた俺の酒、全部飲んだのか?」

「ひどいよアイザック……私を捨てるなんて……」

「おい待て、捨てるってんなんだ。なんで泣くんだよ! クソッ!」


 ──結論。異世界のお酒は、私には強かったみたいです。


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