第15話 デュークの店
「それでね、ターシャが即戦力だって褒めてくれたんだ。そのあとみんなで賄いを食べたんだけど、それがすごく美味くて!」
「そうか。そりゃあよかったな」
「ねえ、部屋の掃除もちゃんとするから、また食堂を手伝ってもいい? ターシャが明日も頼みたいって」
「ああ、勿論だ。だが無理すんじゃねえぞ」
「うん!」
夕方になって部屋に戻って来たアイザックと一緒に、私は市場へとやってきていた。
オレンジ色の西日に照らされた市場は、賑やかな活気で溢れてる。
夕飯の材料を買いに来たのか、子供連れの女の人が真剣な顔で野菜を値切る横で、仕事を終えた風情の冒険者達がどこかに向かう。親しげに寄り添って歩く男女は夕飯の相談でもしているのか、いかにも楽しげだ。
そんな中、私はアイザックと並んで歩きながら、キョロキョロと辺りを見回していた。
モルデンに来てもう一年が経つけど、実は市場にあまり来たことがなかった。
異世界にきて不思議なのが、なぜか知らない言葉も通じるし、文字も読めてしまうこと。
おかげで言葉に関しては大した苦労もなく生活してるけど、困るのが文字が読めても、それが「なに」かまではわからないところだ。
人参が『キャロ』っていう名前だったり、オレンジが『マンダリナ』って名前だったりするのは、まだなんとなくわかる。
でも、トマトだと思って買ったのが甘い果物だったり、鶏肉だと思って食べてたのが得体の知れないカエルみたいな魔物だったり、そんなことはしょっちゅうある。値札や説明書きのない市場での買い物は、結構スリリングなのだ。
でもこうやって誰かと一緒だと、わからないことはすぐに教えてもらえる。実はこの間初めてアイザックと市場に来た時も、すごく楽しかったんだよね。
ふにゃりと緩んでしまいそうな口元を引き締めて、私は隣を見上げた。
「アイザック、お店はまだ先? 時間に余裕があるなら、違うお店を見ても構わない?」
「なんだ、ずいぶんご機嫌だな」
「うん、だって誰かと一緒に市場に来るなんて初めてだもん。そりゃあ楽しいに決まってるよ。あと、この間のククルの屋台にも行きたい!」
「よほどあれが気に入ったんだな。じゃあ帰りにでも寄っていくか」
「やったあ!」
はしゃいで大声を出した私に、アイザックはニヤリと笑って手を差し伸べた。
「おら、はぐれないように握ってろ」
「え? だ、大丈夫だよ。子供じゃあるまいし、迷子になんてならないから」
「いいから、四の五の言わず手を寄越せ」
「わっ……!」
突然ぐいと手を引かれた私の真横を、恰幅のいい男が勢いよく通り過ぎる。驚いて瞬きを繰り返す私の頭に、ポンと大きな手がのった。
「ほら、危ねえだろ? 気をつけろ」
「う……うん。……ありがとう」
「よし、行くか」
「ね、ねえアイザック、これから一体どこに行くの?」
「ああ、これから行くのは俺が行きつけの防具屋だ」
「防具?」
「ああ。ちょっと注文したいもんがあってな」
アイザックに手を引かれてやってきたのは、市場の突き当たりにある大きなお店が並ぶ一角だ。
どの店も立派な店構えで、私みたいな駆け出しの冒険者には縁がないっていうか、ちょっと敷居が高い。そんな中、アイザックは大きな黒いアイアン製の看板の前で立ち止まった。
看板に書かれた文字は『デューク』。立派な観音開きのドアを開けた先には、防具屋とは思えない華やかな空間が広がっていた。
「うわぁ……」
店の中には色とりどりの洋服が整然と並び、ちょっとお洒落なアパレルショップみたい。
でもよく見ると壁側には様々な素材のマントが吊され、その横には革の鎧や胸当てが、更に奥には立派な金属製の鎧がちらりと見えるのが、いかにも異世界だ。
「防具屋って初めて見る……」
ポカンと口を開けお店を見回す私をよそに、アイザックは勝手知ったる様子でお店の奥へ進む。そして一番奥のカウンターに座っていた女性に声をかけた。
「よう、邪魔すんぞ」
「あら、アイザックじゃない。今日は一体なんのご用かしら?」
「なんの用とは、客に向かってずいぶんな挨拶だな」
綺麗な金の髪をサイドで緩く編み、前に流したその人は、年齢はアイザックと同い年くらいだろうか。大輪の薔薇のような、目も覚めるような美人だ。
親しげにアイザックと話していたその女性は、私に気が付くと少し驚いたように目を瞠り、そしてにっこりと微笑んだ。
「あらまあ、ずいぶんと可愛らしいお客様ね? 私はカトレアよ。ようこそデュークの防具屋へ」
「あの、こんにちは、セリです」
「うふふ、アイザックがこんな可愛い女の子と一緒なんて珍しいじゃない。それで今日はなんのご用かしら」
「実はこの間こいつの服を駄目にしちまってよ。似合いそうなやつを何着か見繕ってくれるか。ああ、それとマントも必要だ」
突然アイザックにぐいと前に押し出されて、私は慌ててうしろを振り返った。
「ちょっと待ってよ。そんなの聞いてない。今日はアイザックの防具を見に来たんじゃなかったの?」
「まあいいじゃねえか。例の蟲ン時に着てた服よ、上から下までナイフで真っ二つにしちまったんだ。マントも無理やり脱がしたもんだから、破けちまったしな。だから弁償させてくれ」
「それは不可抗力っていうか……しょうがないよ。それに、マントは縫えばまた着られると思うし」
「あー、それなんだが、あんまり血だらけだったもんだから、セリが寝てる間に捨てちまったんだ」
「ええ? 捨てちゃったの? マントはあれしか持ってなかったのに……」
「悪かったよ。だから今日はなんでも好きな服を買ってやるから、それで勘弁してくれや」
「でも……いくらなんでも、そこまでしてもらうわけには……」
その時カウンターに積まれた服の山が、ばさりと床に落ちた。
その音に視線を移すと、奥に座っていたカトレアさんがユラリと立ち上がったところだった。
「……ナイフでこの子の服を真っ二つに切った? 血だらけ? それに無理やり脱がしたですって? アイザック、あんた、こんなか弱い女の子に一体なにしたの?」
「はあ? いや待てカトレア、これにはちゃんと理由が……」
「言い訳は無用よ。ちょっと表に出なさい。あんたのその性根、私が叩き直してやる!」
……◊……
「……まったく、人の話を聞けっつーんだ」
「うふふ、ごめんなさいね。だってこんな可愛い子にあんたみたいなおっさん、もったいないじゃない?」
「ああ? 俺がおっさんならお前はバ……痛ぇっ!」
「ああら、今なにか言ったかしら」
誤解が解けたのか二人が奥で相談をしている間、私は一人で服を見ることにした。
「あ、これ可愛い」
思わず手に取ったのは、濃いグリーンのロングスカート。フレアっぽいふわっとした形が可愛い。
このスカートに飾ってある白いブラウスを合わせたら、すごくいいんじゃないかな。
そう思ってウキウキしながら服を手に取ったところで、ふと鏡に映る自分の姿が視界に入った。
日に焼けてくすんだ肌に、中途半端に伸びて不揃いになったボブ。アイザックに借りたシャツの腰にポーチを巻き、スパッツを合わせた姿は、どうみても男の子にしか見えない。
私はそっとスカートを元の位置に戻した。
これでも日本ではお洒落に気を遣ってた。好きなアパレルの新作は欠かさずチェックしてたし、髪型に合わせてメイクも楽しんでた。
ふと奥から笑い声が聞こえて視線を移す。手入れの行き届いた艶々の肌と髪に、洗練された服、そして上品な仕草……アイザックと親しげに話すカトレアさんは、女の私から見てもすごく綺麗だ。
……私も、たまには可愛いスカートはきたいな……
「おいセリ、なんかいいのはあったか?」
ボーっと服を眺めていた私は、アイザックの声でふと我に返った。
「あー、えっと、私にはどれも大きいみたいで」
「じゃあこれなんかどうだ? セリに似合いそうだ」
奥のカウンターから戻ってきたアイザックが手に取ったのは、襟に花の刺繍がしてあるピンクのチュニック。すごく可愛いけど、私が着たらワンピースになるサイズだ。
アイザックは私を鏡の前に立たせ、服を身体に当てた。
「うん。いいんじゃねえか? セリは淡い色が似合うな。じゃあこれと……あとはこの白いのがいいな。そっちの緑のも寄越せ」
「え、ちょっと待ってよ、こんな可愛い服、私には似合わないよ。そもそもどれも大きいし……」
「サイズが合わねえのか? じゃあこっちの短いスカートにするか。お、このドレスも色っぽいな。セリ、これなんていいんじゃねえか?」
そう言ってアイザックが嬉しそうに手にしたのは、一見普通のキャミワンピだけど、生地が透けるくらい薄いドレスだ。
「なっ……そんなの私が着るわけないじゃん! 絶対に着ないから!」
「クククッ、意外に似合うと思うぞ?」
スケスケのドレスを奪って元の棚に戻してる間に、アイザックは奥にいるカトレアさんに手に持っていた服を渡した。
「おい、この服を頼む」
「あら、決まったの?」
カウンターに置いてあるのは、さっきいいなって思ってた緑のスカートと白のブラウス、それにピンクのチュニックだ。
「ねえ、待ってよ! 私、自分の服は自分で買うから!」
「ああ? これはお前の服を駄目にした詫びだって言ってんだろ? おいカトレア、さっき話してた防具、あれはいつ頃できあがるんだ?」
「そうね、ちょっと素材が特殊だから……明日、いいえ明後日までにはなんとかするわ」
「わかった。じゃあ明後日にまた来るから、そん時までにこの服もサイズを合わせといてくれ。よしセリ、行くぞ」
「アイザック! あのカトレアさん、私、今は手持ちのお金がなくて……」
「あらセリちゃん、そんなこと気にしなくていいのよ? だってあなたの服を駄目にしたのはこの男なんだから。ね?」
「でも……」
「おい、早くしろ」
「ま、待って! あの、また来ますから!」
今にも店から出ようとするアイザックに急かされて、私も慌てて入り口へと向かう。
ドアを閉める間際にうしろを振り返ると、満面の笑み浮かべたカトレアさんが手を振っているのが見えた。
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