第13話 謎の男

 眩しい朝の光に、ゆっくり目を開ける。

 ぼやけた目に映るのは、真っ白なシーツにふわふわの布団。それから背中に温かい重みを感じて、うしろになにか……ううん、アイザックが寝てるのがわかる。

 っていうか、このシチュエーションに慣れつつある自分が図太くて怖い。


「ん……と」


 もぞもぞ寝返りをして見上げた先には、男らしい少し角張った顎と無精髭。

 ……無精髭って硬いのかな。それとも柔らかい? 

 そっと触れたアイザックの顎は、掌にチクチク当たる。

 ……そうだ、髭が肌に当たった時、ちょっとくすぐったくて痛かった気がする。でも、一体いつ触ったんだろう……?

 

「おいセリ、くすぐってえぞ」


 その時、頭の上でくつくつと笑う声が聞こえた。驚いて顔を上げると、いつの間に起きたのかぱっちり開いた目が私を見つめていた。


「……起きてたの?」

「ああ。セリが起きる前からな。それより俺の髭に興味があるのか? 言ってくれりゃあ、いつでも好きなだけ触らせてやんのによ」

「べ、別にアイザックの髭に興味とかないし! ちょっと触ってみたかったっていうか、確認したかったっていうか、ええと……うわっ」


 くしゃくしゃと乱暴に頭が撫でられて思わず目を瞑ると、手とは違うなにかが額に触れる。それが気になって目を開けたら、優しく眇めた蒼い瞳と視線がぶつかった。


「腹が減っただろう? 飯に行くか」

「……うん!」



 ……◊……



「はいよ、本日の肉料理とスープ、お待ちどお!」

「うわー、今日のスープも美味しそう!」

「はは、こっちはパンだよ。たんとお上がり」

「うん、いただきます」


 今日のスープは、大きな肉団子と野菜がごろごろ入ったスープ。一体これはなんのお肉だろう? 柔らかくてふわふわの肉団子は、口の中に入れた途端ほろりと崩れていく。よく煮込まれた野菜も、味がしみててすごく美味しい。

 

「そんなに旨いか? 頬が緩んでるぞ」


 夢中でスープを食べていた私は、どうやら気が付かないうちに笑っていたみたい。ニヤニヤしながらこちらを見るアイザックの視線に、大きく頷いた。


「だって、これすごく美味しいんだもん。肉団子もいっぱい入ってるし、それに野菜が美味しいんだ」

「野菜なんて旨くねえだろ。俺は朝はしっかり肉を食わねえと、動く気になんねえんだよな」


 そんなアイザックの目の前にあるのは、ビックボアのステーキだ。

 ビックボアって巨大化したイノシシみたいな魔物なんだけど、味はちょっと固い豚肉に近い。その分厚いステーキを朝からペロリと平らげるんだから、アイザックの胃袋はどうなってるんだと思ってしまう。


「私は朝からステーキは無理だなあ。にほ……じゃなくて、私が以前違う国に住んでた時は、朝は基本パンだったんだよね。パンの上にハムとチーズをのせてトースターで焼いて、あとはコーヒーかスープ。和食も好きだけど、朝は断然パン派だな」

「へー、以前住んでた国、ね。……そんでワショクってなんだ?」

「ああ、それは主食がお米っていう穀物で、こっちでは見たことないけど……」

「アイザック! 探したぞ!」


 その時私達の会話を遮るように、食堂に大声が響いた。

 びっくりしてうしろを振り向くと、そこにいたのは癖のある黒髪を結んだ、見上げるような巨漢の男性だった。これで浴衣を着てたら、どこの力士ですか? って思わず聞いてしまいそう。


「まったく、こんな場所に隠れてたとはよう。わざわざこの俺様が迎えに来てやったんだ。今日は逃がさねえぞ?」

「チッ……」

「お? なんか旨そうなもん食ってるな。おーい、俺にも同じのくれや。二人前、いや三人前で頼む」

「ガス、見てわからねえのか? 俺は連れと朝飯中だ。邪魔すんな」

「カカカッ、いいじゃねえか。おう、かわい子ちゃん、ちょっとここ失礼するぞ」

「は、はい」

 

 アイザックが忌々しげに舌打ちするのを気にせず、ガスさんは豪快に笑って同じテーブルに座った。


「で? こんな朝っぱらからなんの用事だ」

「なに言ってやがる。昨日お前さんが途中で帰ったもんだから、話し合いが終わらねえんじゃねえか」

「チッ、面倒くせえ」

「おかげで俺は朝っぱらからギルマスのお使いだ。お前さんの首に縄をかけてでも連れてこいって、じいさんずいぶんお冠だぞ」

「昨日はっきり断った筈だ。俺はやらねえぞ」

「おいおい、あんな一方的な言い訳じゃあ、俺らはもちろん、ギルドの連中だって素直に納得できるもんじゃねえぞ。なにせお偉いさんから直々のご指名だ。断るなら断るで、ちゃんと理由を説明すんのが筋ってもんだろう」


 むっつりと黙り込むアイザックの顔からはすっかり表情が消え、見たことのない冷たい目をしてる。

 そんな仏頂面を気にせず話し続けるガスさんの前に、ステーキが三枚積み上げられた大皿がどんと置かれた。


「はいよ、ステーキ三人前お待たせ。こっちは付け合わせの野菜だよ。パンはお代わり自由だからね、いつでも声をかけとくれ」

「おお、こりゃあ旨そうだ! すまねえがパンはすぐに持ってきてもらえるか」

「はははっ、こりゃあ気持ちのいい食べっぷりだね。ちょっと待ってな」


 ガスさんはその手には小さく見えるナイフとフォークで、器用に肉を切り分けて口に運ぶ。付け合わせの野菜とパンを一口で、しかもまるで飲み物のように食べていくさまは、見ていて気持ちのいいくらいだ。


「だいたいよ、お前さんだっていつかは王都に戻るんだろう? ダンジョンでは依頼が終わったらすぐに拠点に帰るって、さんざん息巻いてたじゃねえか」

「……」

「だったら一石二鳥じゃねえか。それともあれか? お前さん、拠点をモルデンに移すつもりか?」

「……ガス、詳しい話はあとだ。飯が不味くなる。おいセリ、手が止まってる。ちゃんと食え」

「う、うん」


 思わず食事の手を止めて二人を眺めていた私は、慌てて目の前の食事を再開した。その様子を見たアイッザックは、私のお皿にパンを追加した。


「セリ、これを全部食い終わったら部屋に戻るんだ。今日こそ遅くならねえように帰るからよ」

「う、うん。わかった」

「よし、いい子だな」

「カカッ、なんだお前、まるで子供の世話をする親父みてえだな」

「うるせえ。行くぞ」


 気が付くとアイザックはもちろん、あれだけ肉が山盛りだったガスさんのお皿も綺麗に片付いている。

 唐突に立ち上がったアイザックは、尚も話そうとするガスさんを急かすように席を立った。


「おお? なんだずいぶん忙しないな。それじゃあかわい子ちゃん、邪魔して悪かったな。今度はちゃんと紹介して……」

「いいから早く出ろ」

「へいへい。じゃあ嬢ちゃんまたな」


 二人が慌ただしく食堂を出て行くと、それまでの静けさが嘘だったように、食堂のあちこちから声が聞こえ始めた。


「なあ、今のあいつ、大斧のガストンじゃねえか?」

「ギルマスの使いでガストンが迎えに来るって、あの優男一体何者だよ」

「もしかしたらあいつ、噂の灰燼かいじんのアイザックじゃねえか?」

「はっ、まさか! あんな有名人がこんなど田舎にいるわけねえだろ。だいたいAランクの冒険者は王都を拠点にしてるって聞くぜ」


 ざわざわした食堂の中で食べる一人の朝ご飯は、急に味がしなくなったように感じた。


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