第12話 留守番
「うーん、まずは床をなんとかしたいよね」
朝食を食べ終えて部屋に戻った私は、足の踏み場もない惨状に溜息を吐いた。
ぱっと見は昨日より部屋が綺麗になってるけど、よく観察すると隅になにかの山が出現してるのがわかる。
……うん。アイザックは整理整頓が苦手なんだね。思わず遠い目になった私は、気合いを入れて片付けを始めた。
「これはお酒の瓶、これも、これも……っていうか、お酒ばっかりじゃん。アイザックって酒豪? うーん、この脱ぎっぱなしの服はどうすればいいかな。っていうか、なんで手袋の片割ればっかりあるの?」
気をつけて見ると革の防具やナイフとかの高そうな物は、きちんと一箇所にまとめてある。床に散らばっているのは、空き瓶や脱いだ服とかそんなものばかり。
きっとアイザックなりのルールがあって、一応は片付けてる……んだと思いたい。
まずはあちこちに脱ぎ散らかしてある服を回収して、まとめてバスルームへ持って行く。それ以外の小物はリビングのテーブルの上へ。ブーツや靴はドア近くに一箇所にまとめて、大量にある空き瓶はキッチンへ持って行って水で濯ぐことにした。
「うーん、それにしてもすごい量だよね。これ、一人で飲んだとしたらすごい量だけど……誰かと一緒に飲んだのかな」
さすがは高級宿。広いシンクは、大量の瓶があってもちっとも邪魔にならない。魔石を使った立派なコンロは、まるで最新のIHクッキングヒーターそっくりだ。作業台も広々として使いやすそうだし、棚には色んな大きさの鍋やフライパンが並ぶ。
作り付けの食器棚にあるお皿の枚数から考えると、本来はこの部屋は単身者向けじゃなくて、カップルとか家族向けなのかもしれない。
実はどれだけキッチンが汚れてるか覚悟してたんだけど、意外なことにシンクの中にはお酒の瓶が数本転がってるだけ。あとは新品同様だ。
「ほんと、もったいないよね。私がここに住んでたら、毎日料理するのに」
キッチンもそうだけど、どの部屋も物は散乱してるけど、汚れはあまり見当たらない。生活感がないというか、部屋を使ってるように感じないんだよね。
普段アイザックは、ここでどんな生活を送ってるんだろう。
もしかして恋人の部屋でご飯を食べて、ここには寝る時だけ帰ってるとか……?
なんだかモヤモヤしてる自分に気がついて、私は慌てて頭を振った。
いやいや、もしそうだとしても、私には関係ないから! そもそもアイザックのプライベートなんて興味ないし!
「だいたい留守番してろとか、いい子だとか、どう考えても子供扱いだもん」
私は瓶を濯ぐ手を止めた。
……大丈夫。ちゃんとわかってる。
期待するな。勘違いもしない。
だって怪我が治ったら、アイザックとの縁は切れるから。
この一週間が終わればあの狭い部屋に戻って、また一人の生活に戻るんだから。
ふと気がつけば、いつの間にか部屋の中はオレンジ色に染まってる。
窓から見える建物の屋根も西日に照らされて、とっくに昼が過ぎているのがわかる。
私は一向に開く気配のない扉を見つめて、小さく溜息を吐いた。
「アイザック、早く帰ってこないかなあ……」
ガチャリという音がドアから聞こえたのと意識が覚醒したのは、ほぼ同時だった。
「おお? なんだ真っ暗だな。セリ、寝ちまったのか?」
どうやらいつの間にかにソファでうたた寝してたみたい。突然の眩しい光に目を細める私の顔を、アイザックが上から覗き込んだ。
「すっかり遅くなっちまったな。ったく、俺は依頼は受けねえって言ってんのによ、あいつら人の話を聞きやしねえ」
「……アイザック? 遅かったね」
「おう、今帰ったぞ。ってなんだ、よく見りゃずいぶん部屋が綺麗になってんな。セリが片付けてくれたのか?」
「うん……」
アイザックは半分寝ぼけたままの私を子供のように抱き上げて、自分の膝の上に座らせた。
「どうした、ぼんやりして。疲れたのか? それともまだ眠いか?」
「……ううん、大丈夫」
「悪かったよ。昼前には帰れると思ってたんだが、あいつら話が長くてな。腹減ったよな? 一応すぐに食べられるように屋台で色々買ってきたんだが、どうする? 下の食堂に食いに行くか?」
「屋台……?」
「ああ。この間セリが気に入ってたククルも買ってある。ピタと串焼き肉と芋の揚げたのと、他にも色々買ってきたぞ。すぐに食うか?」
テーブルの上に置かれた袋からは、すごく美味しそうな匂いが漂ってくる。でも私は首を振ってそれを断った。
「なんだどうした。怒ってんのか?」
「……そうじゃ、ないけど……」
「じゃああれか? 俺がいなくて寂しくて拗ねてんのか?」
一瞬なにを言ってるのかわからなくて、でも理解した途端に頬が熱くなる。
私はニヤニヤ笑ってるアイザックの胸を叩いた。
「はあ? なに言ってんの? そんなわけないじゃん」
「ククッ、顔が真っ赤だぞ」
「違うし! そうじゃなくて、その、言いたいことがあるっていうか……」
「ああ? 言いたいこと?」
「……あのね、あの……おかえりなさい」
ちょっと照れくさいのを我慢してそう伝えると、アイザックは驚いたように目を瞬かせる。
それから目の前でゆっくり口の端が上がって、大きな掌がくしゃりと私の頭を撫でた。
「……ただいま。遅くなって悪かったな」
「ううん。気にしなくていいよ。仕事なんだからしょうがないもん」
「だがよ、昼抜きじゃあ……そういや今日はセリに土産があったな」
「お土産?」
「ああ。すっげえいいもんだ。夕飯が終わったら見せてやる」
首を傾げた私に、アイザックはなぜか不敵な笑みを浮かべた。
……◊……
「セリはこれがなんだか知ってるか?」
夕食のあとアイザックが鞄から取り出したのは、透き通ったガラスの小瓶だった。
中に揺れるトロリとした濃いピンク色の液体は、なにかの蜜みたいに美味しそう。
アイザックによると、これはシミ、ソバカスが綺麗に消えるという化粧品で、王都のご婦人方に絶大な人気を誇るそうだ。
「へー、王都にはすごいものがあるんだね」
「というわけだからよ、今すぐ服を脱げ」
「はあ?」
「お前の背中に塗ってやる。これで傷痕が薄くなるかもしれねえからな」
「ちょ、ちょっと待ってよ、いきなり脱げってそんなの無理だから! それに、それくらい自分で塗れるし!」
「なに言ってんだ。背中だぞ? 手が届かねえだろうが」
「ええっとー……、多分大丈夫だよ。私、こう見えて手が長くて器用なんだ!」
「おい、セリ。いいからベッドに横になれ」
「それにほら……そうそう、お風呂で鏡を見ながら塗れば、なんとかなると思うし」
「セリ。選択肢をやろう。俺に無理矢理服を脱がされてベッドに押し倒されるのと、自分で服を捲って大人しく横になるのと、どっちがいいんだ?」
「うっ……」
激しい攻防の末……というか上手く言いくるめられたような気もするけど、私が妥協したのは服(・)|を(・)着(・)|た(・)|ま(・)|ま(・)|で(・)背中に塗ってもらう、という案だった。
「……じゃあ塗るぞ?」
「う、うん」
ベッドルームの少し暗い照明の下、私はベッドに俯せになった。
お風呂上がりで身体は火照ってるのに、緊張のせいで手が震えそうになる。
ガラスの瓶を開けるカチャリという音が聞こえてぎゅっと目を瞑った途端、シャツの裾が捲られたのがわかった。
「ひゃっ……」
「寒いのか?」
「う、ううん、大丈夫」
「そうか。痛かったら言えよ」
「う、うん」
筋張った長い指が、慎重に私の背中に触れる。
肌に乗せた瞬間はヒヤリと冷たい液体は、アイザックの指の熱と私の体温を奪って、ゆっくり同じ温度に同化する。
肩甲骨の下でくるくると円を描いていた指が背骨に沿って移動して、そしてまた違う場所で円を描く。
背中に新しい円が描かれるたびに変な声が出そうになるのを、私は唇を噛んで我慢した。
「っ……」
「おいセリ、もっと力を抜け」
「……え? でも……」
「ガチガチになってんじゃねえか。大丈夫だ、俺を信用しろ。変なことはしねえから」
「う、うん」
大きな手がゆっくり下へ移動して、腰の上辺りで止まる。それからまた上に移動して、今度は肩甲骨の間で止まる。繰り返される手の動きは、まるで身体を解すマッサージみたい。
優しい掌の温度に安心して、私は力を抜いた。
「……セリ、終わったぞ」
一体どれくらいの間、微睡んでいたんだろう。アイザックの声に、私はふと目を開けた。
「ん……終わった……?」
「ああ。今日はこれくらいにしておこう。明日も忘れずに風呂上がりに薬を……どうした?」
上から覗き込む蒼い瞳に見入っていた私は、ふるふると頭を振った。自分でもよくわからないけど、身体に上手く力が入らなくてとろんとしてしまう。
「今日は一日頑張ってたみてえだからな。疲れたんだろう。もう寝ていいぞ」
「うん……アイザックは……?」
「俺はまだやることがある。気にせず寝てろ」
「うん……じゃあ……おやすみなさい」
急激な眠気から逃げられなくて、私は再び目を閉じる。
直後になにか暖かいものに包まれた気がするけど、それを確認する間もなく、私は深い眠りに落ちていった。
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