第7話 隠れ家
市場を出た私達は、モルデンの目抜き通りに建つアイザックの宿へとやってきた。
三階建ての建物の一階部分が食堂兼酒場で、上の階が宿になってるらしい。
そしてその最上階にあるアイザックの部屋は、まるでリゾートにあるコンドミニアムとかコテージみたいな、とにかくすごく豪華な部屋だった。
「うわあ……すごい」
外が一望できる大きな窓の近くには、大人が横になって眠れそうなほどのソファと、ローテーブルが置かれている。その横にある二つのドアは、ベッドルームとバスルームだろうか。反対側の壁側には立派なキッチンがあって、小洒落たバーカウンターまである。
でも、私を驚かせたのは部屋の広さとか豪華な家具じゃなくて、なんていうかその……凄まじく荒れた室内の様子だった。
キッチンやローテーブルに散乱する大量のお酒と思わしき瓶。脱ぎっぱなしの服がソファや椅子やテーブルに無造作に置かれ、床の至る所に革の胸当てとかブーツが転がっている。
「なんていうか……すごいね」
「……男の一人暮らしなんて、こんなもんじゃねえか?」
「へー、そうなんだ。男の人の部屋って初めてだからよく知らなくて。ふーん」
よく考えたら、異世界はもちろん、日本にいた時も含めて、男性の部屋に入るのって初めてだ。
こういうものなのかと物珍しさでまじまじと観察していたら、アイザックはなぜか気不味そうに目を泳がせた。そして床に落ちたものを器用に避けて奥へと進み、リビングにあるドアを開けてベッドの上に私を下ろした。
「あー、見てわかったと思うが、お前の仕事はこの部屋の掃除だ。住み込みで一週間もありゃあ大丈夫だよな?」
「住み込みで一週間って、それ本気で言ってるの?」
「む、一週間じゃ片付かねえか? ギルドで言った通り飯もつけるぞ?」
「いやいやそうじゃなくって!」
この部屋の広さと汚れ具合なら、間違いなく一週間もかからないで綺麗になる。気合を入れれば、一日で終わるかもしれない。
問題は、この部屋を掃除するだけで一週間分の宿代と食費が浮くなんて、どう考えても条件が良すぎるってことだ。
「これじゃあ僕に都合が良すぎるよね。そもそもポーション代を弁償するのはこっちなのに……」
「なんだ、そんなこと気にしてんのか。俺は元々片付けが苦手でよ。いつも宿に金を余分に払ってやってもらってんだ」
「そうなの?」
「ああ。だが、ここにはちょっと特殊な道具もあるんでな。できれば信用できる人間に頼みたいんだ。……やってくれるか?」
「それなら……うん。わかった」
肯いた私の頭を、アイザックは乱暴にくしゃりと撫でた。
「今日はもう遅いから、掃除は明日からでいい」
「明日から? でも」
「いや、床に危ねえモンが転がってるかもしれねえんだ。ちょっとここで待ってろ」
そそくさと部屋を出て行く背中を見送って、私は部屋をぐるりと見回した。
キングサイズはありそうなベッドと立派なクローゼットが置かれた部屋は、ドアの向こうとは違って綺麗に片付いている。
唯一ものが置いてあるのはサイドテーブルの上だけ。革の鞘に入った数本のナイフとオイルの小瓶、それに磨き布が無造作に置かれていた。
「……まさか女の人を連れ込むために、この部屋だけ綺麗にしてるとか……? まあそうだとしても、私には関係ないけどさ」
一瞬過った想像を打ち消すように頭を振って、私はベッドにぼふんと身体を沈めた。
冷たくサラサラした肌触りのシーツから仄かに漂うのは、ライムみたいな爽やかな香り。
抱っこしてもらった時にいい匂いすると思ってたけど、あれは市場の果物じゃなくて、アイザックの香りだったのかもしれない。
「アイザックって、なんかモテそうだよね……」
口と目つきは悪いけどイケメンで、優しい上に面倒見もいいなんて、モテないわけがない。しかもAランクの冒険者だ。
……でも、そんなすごい人が、なんで私なんかを構うんだろう。
「私が目の前で倒れたりしたから、責任感じてるのかな。それとも、そんなに子供に見える……?
冗談めかして掃除しろだなんて言ってたけど、一週間もここにいろだなんてちょっと変だ。
もしかして、蟲の毒に後遺症があるとか? それを心配してる……?
どちらにせよ、アイザックが私のことを男だと思ってるのは間違いないだろう。だって女だとバレてたら、こんなに気軽に部屋にこいとか言わないと思うし。
「……一週間かあ。バレないように気を付けないと」
そんなことを考えながらベッドでごろごろしてると、ガチャリとドアが開く音が聞こえた。
「セリ、支度ができたから……ってお前、なにしてんだ?」
「あの、えっと、ベッドがふかふかだったからつい。えへへ。それより支度って?」
「ああ、いいもん見せてやる。ほら来い」
「え、ちょっと抱っこしなくても歩けるってば!」
「いいからほら、暴れんな」
再び抱っこされて連れてこられたのは、リビングにあるもう一つの扉。
扉を開けた先にあったのは、なんと広々としたバスルームだった。
「うそ、これって……お風呂だ!」
……◊……
「大丈夫だよ。子供じゃないんだから、お風呂くらい一人で入れるってば!」
「一人じゃ危ねえっつってんだろ? まだフラフラしてんじゃねえか」
「いや待ってよ。その前に、どうしてアイザックと一緒にお風呂に入らなきゃいけないの?」
「なんだ照れてんのか? 男同士なんだからよ、そんなの気にする必要ねえぞ」
「無理なものは無理なの! じゃあね!」
「おいセリ! ちょっと待て!」
ニヤニヤ笑うアイザックをなんとか追い出した私は服を脱ぎ、広いバスタブの中でゆっくりと手足を伸ばした。
「あー……気持ちいい……最高……」
こちらの世界に来てからというもの、いつも部屋にある桶で身体や髪を洗っていた。
本当は宿にも狭い共用のシャワーがあるんだけど、女だとバレるのが怖かったから、滅多に使う機会はなかったんだよね。だからこんな風にゆっくりお湯に浸かるのって、すごく久しぶり。
綺麗なモザイクタイルで模様が描かれたバスルームは、ちょっとした温泉みたいな広さがある。泳げるくらい広いバスタブが嬉しくて、ついにやけてしまう。
そもそもこの世界は身体を綺麗にする魔法があるせいか、お風呂よりシャワーのほうが一般的だ。
つまり、こんな風に部屋にお風呂があるのは、かなり高級な宿ってことだよね?
「さすがはAランクの冒険者、住む世界が違う」
低ランクの向けの依頼は難易度が低い分、報酬も安い。それに対して高ランク向けの依頼は難易度が高く、その分報酬も高くなる。
恐らくアイザックくらいの冒険者になると、一回の依頼で私の一ヶ月分の報酬をゆうにこえるんじゃないだろうか。
毎日の食費を切り詰めてる私には、手の届かない夢みたいな話だ。
そんなことを考えながらぱしゃぱしゃとお湯を掬っていた私は、ふと自分の掌を眺めた。
蟲に襲われた時に血だらけになった掌は、今ではよく見ないとわからない薄い線が残ってるだけだ。
「そりゃあ上級ポーションだって買えるよね」
毒に侵されてぼんやりしてたけど、ほんの少しだけ覚えてる。
何度も背中を往復した大きな手と、私を励ます声。そして子供の頃飲んだ、お薬のシロップみたいな甘い味。
すごく美味しくて何回もお代わりした気がするけど、もしかしてあれがポーションだったんだろうか。
あれ? そういえば、アイザックはどうやって私にポーションを飲ませてたんだろう。
あの時もっと飲みたくて口を開けたら、すかさず唇になにか柔らかいものが押し付けられて……って、まさか、あれって……!
思わず大声で叫びそうになった私は、咄嗟に口を塞いでザブンと湯船に潜った。
いやいや、あの時は怪我人だったし、あれは看病っていうか治療行為だから!
確かにアイザックは優しいし好みのタイプだけど、出会って間もないし、そもそも向こうは私のこと男だと思ってるから! その前に異世界で恋愛とかありえないから!
そんなことをお湯の中で考えていた私は、突然強い力で上に引き揚げられた。
「なにしてんだお前!」
「ちょ、ちょっと急になにすんのよ」
余りの勢いにお湯で噎せた私が咳き込みながら顔を上げると、そこには般若のような顔をしたアイザックがいた。
「だから一人じゃ危ねえって言っただろうが!」
え? ちょっと待って、私、裸なんだけど……!
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