黒のセダンを追いかける

 よし子は走っていた。

 周りの景色が残像を伴って後ろに流れて行く。

 お願い、止まってて……あそこの信号が変わっていれば。

 よし子が交差点をきゅっとターンし、目を見開く。そこで見えた光景に、また一つ心拍数が上がった。


 いた! 赤信号で止まっている!


 無我夢中だった。

 先ほど見た黒いセダン目掛けて道路を横断、走って来た車にぶつかりそうになり、はちきれんばかりのクラクションを鳴らされた。しかしそんなのは関係ない、よし子は黒塗りの前に立ちはだかり、両手を広げた、ちょうど信号が青に変わったところだった。


 ブー、とクラクションが鳴る。

 よし子が怒りに満ちた剣幕で立ち尽くす、息が上がっていた。

 セダンがよし子を避けようと少しハンドルを右に切るがそこにまたよし子が立ちはだかる。今度は左に切ってもまた同じ。

 観念したのか、運転手が降りて来る、サングラスをしていた。


「あの、すいませんが……」


 その声を聞くや否や、よし子は後部座席の窓へ駆けつけた、そしてドアをガチャガチャさせる。


「おい! 返せ、返せって! ばあちゃんの通帳」


 しばらくガチャガチャやった後、窓ガラスがウィーン、と開いた。そして中から声が漏れる。


「なんだようるせえな……ってお前」


 え?

 よし子の顔面がまるで氷水をかけられたように冷えた。状況を理解するまでに少し時間を要した。


英留える? なんであんたがここに?」

「別にいたっていいだろ。仕事から帰るところだ」


 本城ほんじょう英留える

 地元銀行頭取のドラ息子。よし子とは腐れ縁とも言える仲だが、その仲とは犬猿の仲だった。小中学生と同じクラスだったが、正義感の強いよし子に、悪ガキ代表の英留は度々ボコボコにされて来た。英留は未だにそれを根に持っている。

 キリっとした目つきで、よし子は英留えるを見つめる。

 

「あんた、ばあちゃんの通帳、持って……無いよね」


  言いながらもよし子は、自分がおかしな内容を聞いている事に気付き始めた。青信号でも黒のセダンが止まっていたため、後ろに待ちの車が溜まり始めている。


「通帳? なんだよ、それ」


 英留えるはこの街じゃ一番の金持ち。そんな奴がオレオレ詐欺のような真似をする訳が無い。


「あんた……じゃないのね?」

「無いもなんも。何? 一体」


 よし子は事の経緯を簡単に話した。英留はセダンにもたれかかりながら、タバコに火をつけた。そしてぷは、と煙を吐く。


「へえ、大体話は分かった。それ、いつもの勘違いじゃねーの? しっかり調べたか?」

「そんな……調べたわよ! もー、大体あんたがこんな趣味悪い車に乗ってるから悪い!」

「はあ? これ父ちゃんからのお下がりで、ずっと前から乗ってるんですけど。それよりそのばあちゃん、大丈夫か?」


 はっ、とした。

 そうだった、ミネばあちゃん! ばあちゃんを置いてきてしまった。

 よし子はスイッチが入ったように再び元来た道を走り始めた。その背中に英留えるの声が投げつけられた


「おい、たまにはちゃんと地に足つけたらどうなんだよ。大事な人守りたいんだろ? だったら、お前がしっかりしないといけないんじゃないのかよ」


 よし子は足を止めた。そして振り返ると思いっきり睨みつけた。

 ふん、あんたに言われたくないわ、そう目で思いっきり睨んでから、再び走り始めた。


 英留えるが一つ舌打ちをしてから、

「あいつ、ほんっとに変わってねえな」

 そうつぶやいてから、再び黒のセダンへ乗り込んだ。

 気づけば10台以上の渋滞が発生していた。

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