支払いの本当の意味

「ただいま」


 よし子はミネばあちゃんの家に着くと、鍵を開けた。振り返るとちょうどミネがシルバーカーを片付けているところだった。その表情は明るい。それを見てまた一つ、よし子はふうと息をついた。


 結局あの後、神社からの帰り途中だったミネと合流し、家まで一緒に帰って来たのだった。帰り道でもミネばあちゃんはずっと同じことを繰り返していた。


「もう正夫がね、立派になってね。ばあちゃんばあちゃんっていうんだよ、それがね、もうほんと可愛くてね……」


 まったく、どうなってるんだか。

 よし子はもう一度タンスの引き出しを確認した。やはり無い、そこにいつも入れている通帳と印鑑。見間違いではなかった。

 おかしいな、そう呟きながらその奥をあさると、


「あっ!」


 何かの手応え。それを引っ張ってみると、


「……あったし」


 あった、しっかりと。

 通帳と印鑑。無くなった訳ではない、ただ奥に押し込まれていただけだった。


 え、ちょっと待って……。


 何かを思い出して、黒電話の前に立った。そして受話器をとる。耳に当てると普通ならプー、という音が鳴る。しかし——


 やっぱり。


 黒電話はうんともすんとも言わなかった。そう、おとといから故障していたのだった。そしてまだ直っていない。


 これで全て辻褄が合った。

 通帳はあるし、誰かから連絡が来るはずがない。つまりこの状況を一言で言うと……。


「ばあちゃんの……思い込み?」


 と何よりよし子の早とちりである。


「もう、ばあちゃん! 勘弁してよ……」


 よし子は自分の確認不足を棚に上げておいて、ミネの元へ向かった。

 もう既に日差しは優しい色に変えており、時折頬を撫でる風は心地よい時間となっていた。軒先に座り、空を見上げるミネ。その表情はここ数ヶ月で一番輝いていた。

 それを見て、よし子はつい黙った。

 いつもならきっとよし子はこう言っていただろう


『ばあちゃん、しっかりしてよね。通帳も印鑑もちゃんとあったよ、電話も壊れているし。正夫さんは来てないんだよ』


 しかし、時間も気にせず鳴り響く蝉の鳴き声を遠くに聞きながら、あの言葉がなぜか蘇って来た。


『大事な人守りたいんなら、お前がしっかりしないといけないんじゃないのかよ』


 よし子はゆっくりとミネの隣に座り、足をぶらぶらさせた。そして自分も空を見上げた、ミネが見ているものを見ようと思った。


「ばあちゃん、正夫さんどんなだった?」

「そりゃねえ、かわいくてねぇ、まんまるでねぇ。いい子なんだよ、あの子は」


 その言葉を聞きながら、よし子の目には精霊馬しょうりょううまが目に入った。ナスで出来たそれは乗りごごちは悪そうだし、頼りない。移動するにはかなり時間が要るだろう。でもそれに乗ってきっと正夫はやってきたのだ。


 本当だろうか?

 ただもうこの際そんなことはどうでもいい。ばあちゃんの中には今でも正夫さんは生きていて、託したかった思いはたった今、成し遂げられたのだ。それでいいじゃない、よし子はそう思っていた。


「正夫さん、無事に帰れたかな」


 ふと、自然とそんなセリフが口をついてでた。

 そうねえ、そんなつぶやきがミネの口元から聞こえて来た。

 辺りは時間も憚らないセミの大合唱、まだまだ終わりそうにない。その目覚まし時計のようなけたたましい音量はまるでよし子に何か思い出させようとしているようにも思えた。


 何か……忘れてる?


「あっ!」


 よし子は飛び上がると、家を出る準備をした。


「まずい、店番忘れてた! ばあちゃん、また明日ね、しっかり布団で寝るんだよ!」


 そう念を押してから、よし子は家へ向かってピッチ走行を始めたのだった。


(了) 

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