第1話 使徒、襲来2

「ごめんなさい、あたし、方向音痴で。今日からこっちに引っ越してきたんですけど」

 帰り道を人と一緒に歩くなんて社会人になってから初めてだ。彼女は田舎から上京してきた大学生のようで、東京での暮らしに目をキラキラさせていた。そんな目をした時代が俺にもあったなぁ、なんてセンチな感傷が心にもたれかかってきた。まぁ、それでも無言で独り歩くよりは断然良い。15分ほどかけて、ようやく家路へと着いた。

「あれ? そういえばあたし、鍵って」

 あたりをきょろきょろする彼女。しまいにはキャリーバッグを開けて廊下で散らかしはじめた。

「うえーん」

 半ベソどころか泣き出す彼女。

「ちょっと深夜でアレですけど、下の大家さんに開けてもらいましょう。俺も一緒に行きますから」

「ぐすっ、ありがとうございますー」

 と言っても起きてるかわかんないよなぁ。その場合はどうするか。俺は遠慮気味にピンポンを押した。

「はーい」

「いたっ!」

 後ろの彼女は喜んでいたが、俺は混乱していた。確か大家さんはもう80を超えるおばあちゃんのはずだ。だけど中から聞こえた声は明らかに若かった。

 ガチャとドアが開くと中から寝巻き姿の女性が出てきた。動揺して声が震えた。

「や、夜分にすみません。202の櫻内です。ええと、大家さんは」

「ああ、ちょっとおばあちゃん腰悪くして入院したのよ。それで孫の私がしばらくの間代理を務めることになったんだけど……」

 視線は俺の後ろに隠れる彼女に行った。彼女はチラと大家さん代理に声をかけた。

「あたし、今日からここにお世話になる豊口芽依です。鍵をなくしたので開けて欲しいのですけど」

 そういえば今名前知ったな。と気づく。

 大家さん代理は右手を頬にあて首を傾げるような仕草をした。艶かしく見えるのは濡れ烏のような髪が玄関のすこしオレンジっぽい明かりに照らされているからだろうか。

「豊口さんの話は聞いてるけど、おばあちゃん、鍵を渡したとは言ってなかったわよ?」

「「へ?」」

 俺と豊口さんは同時にポカンとする。

「だから、はい。家の鍵。なくしちゃダメよ?」

 豊口さんの両手に鍵を握らせる。彼女は目を泳がせながら、口をパクパクさせながら俺に謝罪してきた。

「ご、ごめんなさい……そもそも鍵なんて持ってなかったってこと、すっかり忘れてました」

「いやいや気にしないでください、よかったですね」

 なんだか放っておけない感じだなぁといじらしく思っていると大家さん代理はハッと思い出したように声を上げた。

「そうだわ!」

 と言って部屋の方へと消えてゆく。数分後、いい匂いをさせながら戻ってきた。

「カレーを作ったのだけど、よかったらどうぞ」

「わぁ! ありがとうございます!」

「すみません、ありがとうございます」

「いいのよ、それじゃあおやすみなさい」

 こうしてようやく家に着いた。なんだかやけに女性と縁があったような気がする。ま、所詮は一過性のものだ。ラブコメじゃあるまいし。警備員は警備員、隣駅のコンビニ店員はコンビニ店員、お隣さんはお隣さん、大家さん代理は大家さん代理だ。

 そして俺はただの元オタクのサラリーマンだ。家にはずっと好きだったアニメのタペストリーが未練がましく飾ってある。今日も変わらずにこやかに、夢に向かって走り出すようなヒロインがいた。歌詞がなんだったか思い出せないアニソンを口ずさんで、ビールをあおった。もう夜の一時を回っている。カレー、どうしようか。酒の肴としては扱いに困る代物だ。

「普通に米でもあっためるか」

 いつ炊いて、いつから冷凍してあるかわからない米を電子レンジであっためる。

 いつもならカップ麺をお湯入れて1分そこらで食いはじめて、安酒あおってそのまま寝るのが当たり前だったからこうして何かをぼんやり待っている感覚は久しぶりだった。だからか、俺はテレビをなんとなくつけたのだ。


 アニメがやっていた。


 ちょっと前の記憶より、ずいぶん綺麗で、繊細な色使いになったもんだ。CGも違和感なく溶け込んでいる。話は途中からだが、学園ラブコメなのはすぐにわかる。相変わらずヒロインたちの髪はピンクやら青やら金髪で、主人公は鈍感だ。こんなもんかと温めた米はまだ中心が冷たくて、もう一度入れ直した。アニメは「転校生を紹介する」というセリフが入った。

「みなさんはじめまして、東海林歌恋です」

「!!?」

 明らかに聞き覚えがあった。しかもさっきまで。

 見ていないタイミングで起こったのであろう正ヒロインと主人公との出会いや、偶然の再会に驚くシーンでアニメのオープニングテーマがエンディングとして流れる第一話お決まりのパターンはどうだっていい。俺はテレビに近づき流れる声優を凝視した。


 東海林歌恋 豊口芽依


「……まじか」

 間違えようもない澄んだ声だったもんなぁ。空きっ腹にビールをキメたのもあるが、明らかに高揚していた。

 それこそ、さっきの典型的学園ラブコメのような展開じゃないか。隣に越してきた娘が声優? そんなの元オタクの俺が興奮しないわけがないだろう。今度は熱くなりすぎた米をカレーのタッパーに入れ頬張りながら豊口芽依を検索する。

「おお、カレーうまいな!」

 我ながら忙しいやつだ。ウィッキには豊口芽依は赤六プロダクションの声優であると書いてある。高校生時代に女子生徒役でデビュー。その後『ゼロの方程式は現代社会において役立たない』のゼロ役でヒット。翌年の『星のカンバス』シリーズ新作でヒロインのアリス役としても注目を集めた。

「え、『星カン』新作出てたのか…」

 昔からの人気ゲーム。というかそれも2年前の話だった。時代に取り残されてる感を拭えない。

 彼女はどうやら俺がアニメから離れた後に売れた声優みたいだ。そんな人気声優が隣にいるのも興味深いが、今は『星カン』の新作が気になってしょうがない。

「…ポチるか」

 まずは『星カン』をポチった。そして俺はゲーム機本体もポチった。いつからかカートにほったらかしていた漫画もすべてポチった。俺はダムが決壊するかのように夢中でポチりまくった。

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