第107話 もう1人の使徒
『
咄嗟に奴は同等の魔術で抵抗しようとする。
だが俺の目的はそこじゃない。
風精霊の力で俺自身を飛ばすことが目的。
一瞬奴の視覚が俺から外れた。
『
奴の足元を崩す。
案の定姿勢を崩した。
『
咄嗟にオレと同様風精霊の力で体勢を立て直し移動しようとしたが遅い!
『
ほんの少しだけ手応えがあった。
だが何とか奴も俺の術から逃れ、崩れた手前の路上へ着地する。
『流石に使徒ですね。今までにない強敵です』
『
奴に付近の木々の枝が襲いかかる。
『
襲いかかる枝々を奴は焼き払う。
だが高温で視界が歪む。
『
水蒸気爆発を起こした。
また少しだけ手応えがあった。
あくまで少しだけだ。
俺は気づいた。
奴は俺と違って五感が使える。
故に感覚が五感に引きずられているのだ。
だから視覚にどうしても惑わされる。
そのせいで今までの攻撃が効いている訳だ。
だが今の処まだまだ序盤戦。
これくらいのダメージ、使徒なら瞬時に回復できる。
削り合いにすらなっていない。
所詮俺がやっているのは時間稼ぎだ。
奴もお遊びでそれに付き合っているに過ぎない。
「さて、そろそろ本気で行きましょう」
『
やばい。
『
とっさに逃げる。
闇がさっきまで俺のいた場所を黒く抉って消えた。
抉られた場所には何も残らない。
『
まずい。
この術を使われるとこの辺一帯が山火事になる。
『
低温で無理矢理炎を無効化するがその分隙が出来てしまった。
『
『
避けるのがやっとだ。
『
『
付近の森を燃やすわけにはいかない。
『
『
まずい。
確実に距離を詰められている。
このままでは周りの被害を気にする俺の方が圧倒的に不利だ。
仕方無い。
『
俺しか使えない
効果は文字通り生命全てに呪われるというもの。
細菌やらウィルス、付近の樹木や草等にとどまらない。
自分の体内の細胞にすら反逆される。
術耐性が無ければ人間の形さえ留めることすら出来ない施術だ。
だが奴は使徒。
俺と同等かそれ以上の能力を持ち、かつ神の恩寵を受けている。
つまり。
『
耐えつつ同じく奴の最大魔術を放ってきやがった。
五感だけで無く現状認識すら何も感じなくなる。
俺という存在すら気を抜くと霧散しそうな虚無。
何も感じない何も聞こえない。
俺はただただ自らの施術と耐力に力を注ぎ込む。
強く意識しないと手順も力も存在も何もかも消えてしまう。
だが俺の施術も奴を捉えていた筈だ。
だから俺が力を注いでいる限り奴も俺の施術に耐えなければならない。
つまりこれは根比べだ。
俺の意思と奴の意思の。
時間の感覚が全くわからない。
何もわからない。
それでも俺は戦っていると意識する。
力を加えていると意識する。
耐えていると意識する。
不意に感覚が戻った。
一瞬だけ手応えを感じた後、奴の気配がふっと消える。
現状認識で確認。
だが俺の術で消えた訳では無い。
あの程度の手応えで倒れるような存在では無い。
ただ逃げただけだ。
奴が逃げた理由はわかっている。
この場に駆けつけたもう1人の男に気づいたからだろう。
チュニックの上に赤いマントを羽織った壮年の体格がいい男だ。
彼の正体は俺にもわかる。
先程の奴が
俺は彼に向けて頭を下げる。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いや、奴は私の敵でもある。だが残念ながら逃がしてしまった」
彼はそう言ってから改めて俺の方を向き直る。
足元から頭の天辺まで舐め回すような視線が通り過ぎたのは気のせいだろうか。
「お初にお目にかかる。
態度に妙な処は見られない。
どう見ても使徒にふさわしい雰囲気だ。
どうもさっき俺が感じた視線は気のせいだったようだ。
ひょっとしたら俺の怪我等をただ案じて確認しただけかもしれない。
ちょっと変な事を思って申し訳無かったな。
「
「お会いするのは初めてだが噂は聞いている。施術院を増やしたり無料の学校を建てたり、貧困農家を助けたりとこの国で数十年間なし得なかった改革の旗印として。お会いできて光栄だ」
「こちらこそ。国及び国王家の守護として著名な
なんて挨拶をした後。
「しかし残念ながら
「いえ、私の施術が足りなかったのです」
俺は奴の施術に耐える事、自分の施術をかけ続ける事だけでやっとの状態だった。
一方で奴は逃げるという行動をとる事が出来た。
残念ながら今の俺の力は奴に劣っていた訳だ。
微妙に疑問も感じるけれど
「いや、奴も
それに逃したのは私だ。まさか使徒と戦いつつもう1人の使徒から逃げられる程だとは思わなかった。私の失敗だ」
「
「ああ。例え瀕死の状態でも隠れる事に徹した奴を発見するのは不可能だ。残念ながら今回は捕らえることは出来ないだろう」
そこまで話してふと気づく。
「ところで何故私と奴が戦っている此処へいらっしゃったのですか」
「貴殿一行が北部で何度か襲われたと私の旧友が耳にしてな。万一の場合を考えて向かうよう頼まれたのだ。来て正解だった。まさか
「旧友の方のお名前を伺ってよろしいでしょうか」
「言うなと言われている。勘弁してくれ」
どうせ国王かスコラダ大司教絡みの誰かだろう。
俺からの緊急通信施術の内容を知っていて
「ところで使徒トマゾ殿は此処までどうやって来られたのですか。見たところ馬も馬車も見当たりませんが」
あるのは
なお馬には罪は無いから戦闘でも極力被害が及ばないようにしておいた。
だから熟睡しているだけで無事だ。
「
「まさかアネイアから、ですか」
「下手な馬車よりその方が早い」
アネイアからここまで馬車3時間分くらいはある。
しかもここは山地でアネイアからだと上りだ。
うーむ。
「流石
「
いや違うだろう。
そう言いたいが言えない。
一応助けてもらった身分だしな。
「さて、では私はリエティに向かいます。仲間をあちらに逃がしていますから。もし使徒トマゾ殿が使われるなら
「私は走った方が早い。王都に待たせている者もいるしな。だから馬車はレン殿が使った方がいいだろう。ただ馬車は証拠品、帰りにアネイアに寄って衛視庁に渡して欲しい」
正直助かった。
俺には30キロそこらを走るような体力は無い。
「ありがとうございます。それでは馬車を一時お借りします」
「それを言うなら
使徒トマゾ氏はそう言うとだーっと走って行ってしまう。
どう見ても走るのには向いていない修道士スタイルなのにえらく速い。
確かにあれなら馬車より速いだろうなと納得させられる。
さて、俺はイザベルを迎えに行くとするか。
勿論俺にまっとうに御者をする技能など無い。
なので馬を施術で起こし、そのまま施術で操らせて貰うことにした。
もう夜の闇があたりを包んでいるが幸い使徒の俺は現状認識で道を把握できる。
だから俺が操っている限り馬車を動かすのは問題無い訳だ。
それにしても疑問が残る。
本当なら
逃れるとしたら俺を殺すか力が無くなるまで抵抗する以外には無い。
それに奴の存在隠蔽、完全すぎる。
俺の施術は
生命を持つ者なら俺の力を逃れる事は出来ない筈だ。
だが事実、奴の移動の痕跡すら掴むことが出来ない。
だが術がある程度通用した以上、奴は生命ある存在だ。
なら何故……
今の俺にはその答は思い浮かばなかった。
使徒の現状認識を使っても。
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