第98話 生ハム? の誘惑
そんなこんなで夜半まで検討だの話だのした結果、翌日はフラフラだ。
まあ俺やイザベルはいい。
どうせ今日はニコラまで1日中馬車だから。
でも他の皆さんは大丈夫だろうか。
◇◇◇
昨晩は遅くなってしまった。
理由は幾つかある。
まずは丘の上の街の改良計画だ。
あの後、更に1時間位地図を見ながら皆さんで検討してしまった。
工事方法とか水路の工夫とか地震・大雨等で配水池が溢れそうな場合に備えた地形の工夫とか。
さらに屋内水道の施設がない既存住宅用の外付け流し台等も考えた。
水車も軸受けや潤滑、ベルト部分のたるみをとる仕組み等一部設計変更を行い、より抵抗が低く長期間稼働しやすいように考えた。
結果かなり完成度は上がった。
「楽しみですね。これを実際に作るとなると」
「この辺の名所になりますね、この大きな揚水装置は」
確かにそうだなと思う。
でも非常に遅くなってしまったのは都市計画や水車の改良のせいでは無い。
次の部屋でだった。
「さて、遅くなりましたが他にここで開発している物をお見せ致しましょう」
案内してもらって見たのは巨大な肉のかたまりが吊り下げられている場所だった。
「今は肉類も保存する場合は術で冷凍するようになっています。しかし市場や流通関係に術使いがいなかった昔、肉類を保存するには塩につけたり煙で燻したりしていたと書籍にはありました。またこのように加工する事で生や冷凍の肉には無いうま味が出たともあります。
その頃の技術を一部再現してみたのがここにあるものです」
俺にはすぐわかった。
吊り下げられているのは生ハムだ。
スモークを効かせたものや逆にスモーク無しのもの等数種類試作している模様。
「カビが生えている物もあるのですよ」
確かに知らない人にとってはカビが生えたままの食べ物というのは変だよな。
「表面は流石に食べられません。でも黄色く変化した脂肪の層が中身を守って熟成させています。見本用があるのでお試し下さい」
アレシア司教はそう説明し、部屋の片隅へ。
どう見てもハモネロにしか見えない台に削り途中の生ハム原木がセットしてある。
こういうものも収斂進化というのだろうか。
俺にはもうなんだかよくわからない。
「普段はこうやって切り落とした脂肪部分をカバー代わりに切り口にかけてあります。周りは時々オリーブオイルで拭いてやります。それだけで夏でも傷まずに保存出来ます。でもまず削る前に」
近くに置いてあった瓜をナイフで縦に4つに割る。
この辺ではアマウリと呼ばれていて、日本でマクワウリと呼ばれているものと良く似た瓜だ。
違いはアマウリは甘さ控え目でやや青臭く、皮も食べられる事だろうか。
メロンとキュウリの合いの子という感じかもしれない。
「そしてこの熟成塩漬けの赤身と脂がちょうど混じる部分を薄く削って、このアマウリの上に載せます。これで食べてみて下さい」
生ハムメロンだよな、美味しいのは当たり前だよな。
そう思いつつ食べる。
うん、間違いない味だ。
ハム部分の塩がやや強めだがそれだけでは無い。
肉がじっくり熟成した旨味を確かに感じる。
「これは……危険な組み合わせなのです。最初は塩と瓜の味なのですが、食べているうちに旨味が広がっていくのです」
イザベルがはまってしまったようだ。
もう少し味見を寄越せ光線を目から発しているイザベルの横で、俺はどうももやもやする思いを感じる。
結局俺は疑問を直接本人にぶつけてみる事にした。
「申し訳無いですがアレシア司教、前世の記憶とか別世界の知識とかをお持ちではないですよね」
「これと同じ物が他の世界にもありましたでしょうか」
アレシア司教のこの反応には嘘は無い。
それは使徒としての直感でわかる。
とするとこれは異世界発の知識では無かった訳か。
「ええ。向こうでは生ハムと呼んでいました」
「なるほど。残念ながら私は他の世界の知識はありません。これは昔の本の記載を元に今の材料で作ったものです。
もし宜しければこれに関する他の世界の知識を教えていただけないでしょうか」
しまった藪蛇だったか。
そう思ったがもう遅いし仕方無い。
生ハムじゃないボイルするハム、更にこれらの外にカビつけする等を含め、俺の知っている限りの製法とかその後の料理方法等を教える羽目になった。
なお横でイザベルがちゃっかりメモをとっているのはいつも通り。
「なるほど、塩ではなく色々な香草を入れた塩水に漬けるのですか。あと乾燥と燻製の後茹でる方法もある訳ですか。まさか積極的に外側にカビつけするまでは考えませんでした」
「使う塩は海塩ではなく岩塩の方がいいです。出来れば成分に……説明しにくいですが、こっちの塩に多くてこっちの塩にはほとんど無い成分がわかりますでしょうか、これが少量ある塩の方が肉を加工する場合は適しています。多すぎると害になりますけれど」
「うーん、この菱形が集まったような形のものですか」
「そうです。その成分が若干含まれている方が肉の発色が良くなりますし、傷みにくくなります。あまり多いと人体にも害がでますが普通に塩に含まれている程度なら問題無いでしょう」
「なるほど、確かに塩によって発色や痛みにくさの違いが出ますがこの成分が鍵でしたか」
そんな感じで色々と情報提供が続く。
途中から他の技術に脱線したり討論会になったり。
「あの繭を糸にする工程はどうやって考えられたのですか」
「基本的には海外の書籍です。類似技術を探してその方法を真似たものがほとんどです。例えばあの糸繰り装置は南方バーラニア国の植物糸を繰る装置を見本に作ってあります」
なんて話をしたり、
「あの浸け込み酒、オレンジもいいですけれど梅も美味しいです」
「ほう、その梅とはどんな植物ですか」
「プラムやすももに似た青い果実をつける植物で、この辺でも山地等に見られます。生の青い果実ですとそのままでは毒がありますが、これを同量程度の砂糖とつけ込むと……」
なんて話になったり。
更に焼酎を木の樽に入れて寝かせるウィスキー風にする話も出てしまった。
そして更に……
「そろそろいい時間だと思うのですよ」
妙に冷たいイザベルの声で俺達は我にかえった。
ちなみに俺達とは俺とアレシア司教である。
気がつくとイザベルがジト目で、他2人が生温い目で俺達を見ていた。
「これはすみません。思った以上にお時間を取らせてしまいました」
「いえ、こちらこそ。大変貴重なヒントを色々ありがとうございました」
「さあ、冷め切った夕食を食べて寝る為に孤児院に戻るのですよ」
そんな訳で挨拶も早々に俺はイザベルに引っ張られていく……
◇◇◇
俺は馬車の後で大あくびをひとつした。
「それにしてもアレシア司教はやっぱりイザベルの師匠だよな。あの知識量と知識に関する貪欲さ、あと知識を使う事に夢中になるところとかさ」
「私はあそこまででは無いのです。それに途中からはむしろ使徒様の方がアレシア司教とダブって見えたのですよ。まさか一般外知識の討論会をあの場でやるとは思わなかったのです。私でもあそこまではしないのです」
そう言われると一言も無い。
確かに昨夜は色々と白熱してしまった。
それにアンナ嬢とマウラ司教補まで巻き込んでしまった。
ただただ反省するしかない。
「今頃はアレシア司教もマウラ司教補に色々お小言を言われていると思うのですよ。あの人もお目付役がいないと何をするかわかったものではないのですから」
うーむ。
それは俺に対する皮肉だろうか。
「それでは私は足りない睡眠をとらせて貰うのです。昼食は勝手に食べるのでニコラに着くまで起こさないでいいのです」
ちなみに昼食は生ハムとチーズ、野菜を挟んだハムサンドだ。
おやつ用にアマウリと生ハムカット済みまで用意してある。
俺は荷馬車の後席で背後の街を現状認識を使って振り返る。
この次の夏にはこの街はどれ位発展しているのだろうか。
発展しすぎて俺が必要無い位までになっているだろうか。
だとしてもまた来て、どうなっているか見てみたい。
そんな事を思う俺と寝息を立て始めたイザベルを乗せ、馬車は進んでいく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます