第95話 使徒様はアル中疑惑

 蚊取り線香工場はフル稼働していた。

 30名位の主に女性が材料を練ったり型に入れたり取り出したりしている。

「5月くらいから材料が入ってきて、8月いっぱいまでフル稼働状態ですわ。この場所がメインの工房ですが、他に材料を粉にする部門や出来上がったものの乾燥状態を確認する部門、袋詰めや箱詰めの部門もあります。それを全部含めて工場では60名位、花を育てる農家からこれらを運送する業者までを含めると100人以上の雇用が確保されました」

 何気に100名の雇用は大きい。

 それぞれの家族を含めると300人以上の生活を支えている事になる。

 更にその300名が使う生活費等が街を潤す訳だ。

 ただ少し気になる事がある。


「ここの工場は大体4ヶ月程度の稼働なんですね」

「ええ。ですのでそれ以外の季節は砂糖工場で働いていただいています。あちらは9月半ばから4月位までフル稼働ですので、ちょうどこちらと対を成している形です。なお事務部門などは双方にまたがった仕事をしていますわ」

 なるほど。

 砂糖は秋にテンサイを収穫してからがお仕事という訳か。

 よく出来ている。


「そんな訳で砂糖工場は現在お休み状態です。ただ砂糖を作る過程で出た廃糖蜜を使って現在新製品を試作している最中です。こちらはアレシア司教の発案になります」

 何だろう。

 案内されるまま隣の工場へ。

 でっかい瓶が並んでいた。

 そして中に漂う香り。

 勿論俺は……えっ。


 気づいた。

 この感じは現状認識ではない。

 間違いなく匂いだ。匂いがわかるぞ。

「イザベル、匂いがわかるぞ。わかるようになったぞ」

「えっ、嗅覚が戻ったのですか」

「ああ。確かにわかる。これは酒の香りだ。多分蒸留酒を熟成させているんだな。それもオレンジ系の何かを加えて」

 酒の香りで嗅覚が戻るとは飲み助っぽくていまいち。

 少なくとも宗教の使徒様っぽくは無い。

 でもこれで残りは視覚と聴覚だ。


「おめでとうございます。嗅覚が戻られたのですね。とすると残りも……」

 皆さん俺の状態については知っているようだ。

「ああ。大分期待できるかな」

 そう返事してから気づいた。

 イザベル、涙ぐんでいる。

「どうしたイザベル」

「だって、やっとなのですよ。それに元々は私のせいなのです……」

「それは逆だ。イザベルのおかげで俺は助かったんだから。それにこの調子ならそう遠くないうちに他の感覚も戻るだろ。その際に度々泣かれたら俺が困るぞ」

 我ながら途中から妙な事を言っていると思うが仕方無い。


 何とかイザベルの様子が少しおさまったので質問開始。

「これは蒸留酒ですか。砂糖の廃液の甘い液体を使った」

「その通りですわ。御存知でしたか」

「他の世界で似たようなものを見た事があったので」

 もっともテンサイの廃糖蜜で作った酒は聞くのも初めてだ。

 サトウキビの廃糖蜜では甲類焼酎なんかを造ったりするらしいけれど。

「作っただけの状態ではとても飲めるようなものではありません。蒸留して酔う成分だけを取りだしてもまだ味も香りもいまひとつです。ですので蒸留した後果物をつけて熟成させています。今はその熟成中の段階です。冬から生産を始め、製品になるのは夏から秋頃になる予定です」

 いわゆる果実酒だな。


「まだ若いですけれど試飲してみますか」

「是非お願いなのです」

 そんな訳でグラスにちょっとだけ入れて貰う。

 黄金色で酸味と甘味の調和が取れた飲みやすい果実酒だ。

 確かに美味しいしこの国に今まで無かった味だな。

 

「これはきっと売れるのです。なんなら『使徒様が失われた嗅覚を取り戻す程の香り』とでもコピーを付けてもいいのです」

 おい待てイザベル。

「それじゃ俺がアルコール中毒みたいじゃないか」

「私は今起きた事実を述べているだけなのですよ」

 2人に笑われる。

「確かに飲酒は普通宗教的な行為の反対側ですわね」

「でも事実ですから仕方無いでしょう。市販する際にこの話を説明書きにでも付け加えましょう」

 俺の味方は誰もいないようだ。


「それにしてもアレシア司教、よくこんなものを作られましたね」

「廃糖蜜はまだ甘みが残っているのに雑味のせいで食用に使えない。勿体ないから何か別のものを作れないか。そう思った時にワインのように甘いものから酒を作る方法を思い出したそうです。

 ただ甘い物を酒にする成分がわからない。そこで北部からワイン醸造時に使った廃樽を取り寄せて実験したところ、それらしい微生物を増やすことに成功しました。

 しかし今度は酔う成分は出来たのですが苦みが多くて飲用には向かない。ですので蒸留して酔う成分を多く含み苦みのないものを取り出しています。更に味と香り付けのため、砂糖とオレンジ果実につけ込んでいるのが今の状態です。秋には爽やかで飲みやすいお酒になる予定です。

 ほぼ製法が確立しましたので来期からは量産して販売する予定です」


「これは使徒様でもやっていない事業なのですよ」

「確かにこれは凄いな」

 何せこの国、酒は高価だ。

 葡萄とか林檎とか高価な果実で作るものがほとんどだから仕方無い。

 でもそこでこの酒が出てきたらどうだろう。

 他の酒より飲みやすいお酒が手頃な値段で。

「間違いなく売れるな、これは」

「確かに期待できるのです」


「それでは次、今度は布の部門の方をご案内します」

 酒の熟成場所から出て、少し離れた場所にある建物へ向かう。

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