31 修羅雪、あやめ


 これは映画か、アニメか、はたまた悪夢か。

 否、現実だ。 


 2メートル越えの肉塊クリーチャーが、浜松市中心部に、それも三体も現れたのだ。

 破裂式肉人形によって殺され、姿をかえられたドーベルマン。

 口から涎を垂らし、唸りながら周囲を見回した。

 警察官だけでなく、雪凪も、あやめも、足がすくむ。


 クリーチャーたちは、警察官たちと通りに広がる無数のパトカーを前に、動こうとはしなかった。


 《どうかな? 私のプレゼントは?》

 

 緊張を壊すように、再度、オーロラビジョンから流れ出す藤井の声。

 気が付けば、藤井の乗っているランエボが動き出し、パトカーとクリーチャーの間に割って入った。

 飼い犬を従える主。

 正にその構図で。


 「フッ…」


 あやめは、冷静を装い、否、弱さを見せないように、おどけてみせた。

 ヘッドライトの前に立ち上がり、ポケットに手を突っ込んで。


 「真心を込めたところ申し訳ないけど、あんまりいい趣味とは言えないわね。

  誕生日にカニ味噌でも貰ってるほうが、まだマトモって感じ?」

 「え、マジ?」


 雪凪の、本気かもしれない茶々。

 あやめは、分かってるのかどうか、そのまま真顔で言う。


 「本当のところ、それもノーセンキュー。

  まあ、なんにせよ、私はアンタから何も貰いたくないし、アンタと踊る気は微塵もない」

 《それは、さっき聞いたさ》

 「だったら同じこと、言わせないで。

  正直に言うわ。

  うっとうしくて嫌いなのよ。 アンタのこと。

  人間としても、魔術師としても未熟だし。

  お願い。 マジで私にかかわらないで!」


 すると、下品な笑い声が浜松の空に響き渡った。


 《フハハハハハ。

  そんなことは言わせないさ。

  お前は一生、俺の呪縛から逃れられない。

  いや、絶対に逃しはしないぜ!

  姉ヶ崎! どんなことをしても、俺を好きにさせてやるからなぁ!》


 堰を切るように、空を裂くクラクション。

 それを合図に、肉人形が咆哮をあげて、警官たちに襲い掛かった!!


 《魔術師として、俺は未熟だって言ったな。

  その言葉、後で後悔するなよっ!》


 警官たちが銃を撃ちまくるが、肉人形には傷一つつかない。

 銃弾が当たっても、びくともしないのだ。

 

 「総員、撤退!!」


 雪凪が叫ぶ中、肉人形は、その鉤爪と強力なパワーで、道路上に停まるパトカーをひっくり返し始めた。

 宙を舞い、屋根から落下してくるパトカーを、警官たちは悲鳴をあげながら交わしてく。

 激突し、転がる車体に、数名が巻き込まれ、そこで意識を失う。

 更に、逃げ遅れた警察官を、肉人形は容易く薙ぎ払っていく。

 

 屈強な男たちが、吹き飛ばされ、店舗の窓ガラスを突き破る。


 三体もいる肉人形を前に、警察官だけでなく、雪凪も手が出せずにいた。


 「これ以上、アイツの好きにはさせない……っ!」


 今のあやめを突き動かしていたのは、正義でも恨みでもないのかもしれない。

 眼前の敵を打ち倒す。

 生物本来の本能。

 藤井や肉人形に対する恐怖が、アドレナリンで消えた結果の帰結なのかもしれない。


 「ハッ!!」


 突き出した右手。

 彼女は、解放の言葉を唱えた!

 アトリビュート。

 彼女だけが使える武器。


 「水よ、地よ、脈よ、たたらに集められしつるぎたちよ。燃え盛る篝火かがりびを薙ぎ払い、その力を我に示せ!」


 唱えられた呪文に呼応して、空気中の水分が白煙を帯びながら凍っていき、やがて刀剣の形へと変わっていく。


 「アトリビュート、村雨むらさめ!」


 一条の光が煌めく時、氷のオブジェは実存の妖刀と化す。

 あやめの右手が、その柄を握ると一振り。

 波紋が大波となって唸り、刃先から水がこぼれる。


 村雨。

 

 とある刀鍛冶が複数の刀剣を溶かし生み出した、架空の妖刀。

 南総里見八犬伝のそれと同じく、刃先より水滴が滴るが、血に飢えた虎徹を加えてしまったため、刀を持つ者は血を求める鬼と化す――。

 

 あやめは、このアトリビュートを使いこなせる、唯一の存在なのだ。


 そう語る間に、電光石火!!

 肉人形の一体が飛びあがり、あやめへと襲い掛かった。

 流石はドーベルマン・ベース。

 

 敏捷な跳躍力は健在のようだ。

 だが、彼女は動じず、その凛とした瞳で敵の動きを捕える!


 瞬時に、後方へと飛び、敵の攻撃を回避。

 肉人形の鉤爪が、アスファルトに食い込む頃、あやめはパトカーのボンネットに着地し、態勢を整える。


 チャキン…


 霞の構え。

 刃先を鳴らし、唸る波紋を夜空にのせて。

 そして、鋭い目線をそらさず、あやめは膝をゆっくりと曲げ始めた。


 次の一撃で、コイツを倒す。


 「……っ!」


 両者、同時に飛びあがった。


 「やあああっ!!」


 あやめの一撃!


 縦一文字に振り下ろした刃が、赤黒い体を両断。

 血を吹き出し、大きな肉片と骨へ分解して崩れていく。


 着地したあやめの背後で、両断された肉人形が地面に叩きつけられた。

 が――!!

 

 「うっ!」


 咄嗟に彼女は飛びあがり、真横に停まるパトカーの屋根に避難した。

 無理はない。

 腐った血液が、発酵した生ごみのような臭いを漂わせ、黒色に変色していく。

 その血は酸となり、煙を発しながらパトカーのタイヤに触れると破裂。

 車体が大きく揺れた。

 

 「そうかい、村雨……こんな不味い血でも、お前は食いつくしたいのかい。

  全く、ジャンキーなアトリビュートだこと」


 自らが握る刀に目をやると、村雨の波紋が動き、刃を染めていた血を、その銀色の海へと引きずり込んでいた。

 たちまち、血は消え、滴る雫が刃先を濡らす。


 そんな光景に、ため息を漏らしながら周囲にはびこる肉人形を見回した。

 気づけば、村雨だけでなく、握る右手甲にも血が飛び散っている。

 あやめは、臭く汚いはずのそれを、涼しい顔で舐め取った。


 雪女の血がそうさせるのか、それとも、恐怖に耐えきれなくなった人間の血の狂気か。

 知る者は彼女のみだが、そんなこと、今はどうでもいい。


 「生きる者を贄し、ただ殺戮のみを生み出す最悪の呪術、肉人形。

  ……ええ、いいわよ。

  藤井がその気なら、私もお前を殺すために修羅になるわ」


 赤色灯のせいか、村雨の波紋がまるで、血を求めて疼いているように見えた。

 否、村雨だけではない。

 周囲のパトカーとも共鳴し、あやめの白く華奢な肌と体をも、真紅に染め上げていた。


 修羅。

 その姿は、正に修羅。


 パトランプに片足をのせ、刃先に滴る水滴を払いながら、あやめは睨みを利かせ高らかに叫んだ!


 「さあ、死にたい奴だけかかってきなさい。

  その据え膳、今宵の村雨がすべて食い尽くしてくれるっ!」

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