30 破裂式肉人形
その場にいた人間は、今、眼前で何が起きているのか、誰も理解していなかった。
というより、理解しがたい状況が続いている、と言った方が語弊はないだろう。
交差点に停まり、あやめと対峙していたランエボ。
そのトランクから飛び出した、3匹のドーベルマン。
威勢よく鳴いていた――次の瞬間!!
ボぅン!
「!?」
あやめも本能的に後ろへ飛んで、身構えた。
1秒も満たなかっただろう。
ドーベルマンの引き締まった肉体が一斉に膨れ上がり、鈍い音を響かせて破裂したのだ。
「うっ……!!」
最後に鳴くことも許されない。
道路や樹木、街灯、商店の壁……。
血が辺り一面に飛び散り、その中に痙攣する足と顔、転がる目玉に、肉のこびりついた肋骨が散らばっていた。
さっきまで、ドーベルマンだったもの、だ。
胃や腸、心臓と言った臓器まで散らばり、爆心地から200メートル離れた場所に停まるパトカーの窓ガラスまで、血しぶきが到達した。
だが、それだけではない。
豚骨スープのような、獣の煮凝った臭いにおいが、通り一帯に立ち込め、人々の胃腸を刺激する。
野次馬根性をさらけ出していた通行人も、その異臭には耐えられなかった。
顔をしかめる者、臭いだけで恐怖から走り去る者、中にはスマホを掲げたまま、その胃に残っていた夕餉を、公衆の面前などお構いなしに歩道にぶちまける者さえいた。
「え、マジ、テロ?」
「ヤバイヤバイ!」
咳込みえずき、ハンカチで口元を押さえながら、人々は足早に鍛冶町通りから離れていく。
現場の警察官に、雪凪と内山も同じだ。
「全員、ここから離れて!」
「総員退避、退避だ!」
叫び声に、制服警官たちは、乗ってきたパトカーを置いたまま、交差点から後退を開始した。
あやめもまた、顔をしかめ、右手で口鼻を押さえながら、一目散に雪凪のもとに駆け出していく。
「雪姉!」
「あやめ、大丈夫?」
「ええ」
GT-Rの陰に隠れながら、2人は互いの無事を確認し合う。
「それより、周りにいる人をすぐ避難させないと!」
「まさかと思ったけど……やっぱり?」
深く頷くあやめの後ろに、内山が駆け寄ってきた。
「有楽街とザザシティ周辺の封鎖は完了してるが、浜松駅はまだだそうだ。
教えてくれ、アレは一体なんなんだ」
あやめは、起きようとしてる結果をかみしめるように、ゆっくりと口を開いた。
「破裂式肉人形。
陰陽師が使う式神の中で、一番最低で非人道的な、殺戮専用の使い魔です。
生きている動物や人間を殺し、それを人形にして使役する、
「そんな……まさか……」
驚く内山だったが、あやめは車の陰から異臭のする肉片をのぞき込み、話を続ける。
スクランブル式の交差点は、一面血の海となり、その中で藤井のランエボが、ヘッドライトを灯したまま沈黙を決め続けていた。
ヘッドライトからボンネット、窓ガラス、ルーフに至るまで鮮血が飛び散り、赤と黒のツートンカラーに、ボディを染め上げられて。
「この技には、特別なお香をしみこませた、紙の人形を使うんです。
陰陽師は、その人形に術をかけ、生き物を人形に変える。
あのドーベルマンの背中にも、同じ人形があったんですよ。
それも、線香よりきつい、白檀の香りがする、ね」
「その香りが、破裂式肉人形の特徴って訳か。
でも、そこから生き物を人形に変えるって、どうやるんだ?
例のドーベルマン、跡形もなく吹き飛んでるんだぜ。
あれじゃあ、人形と言うよりシチューだ」
内山の言う通りだ。
確かに、目の前にあるのは“犬だったもの”である。
何ら形を成していない。
それを人形にして、使い魔にするとは、どういうことなのか。
姉ヶ崎姉妹以外は、この事態に正直、危機感は持っていなかった。
テロであろうが、それは毒ガスや爆弾を使う、既存の反体制派が行うそれとは、全く異質。
何に警戒すればいいのか、分からなかったからだ。
「破裂式肉人形は、主の命令を成し遂げるまで、誰彼構わず、目につく生き物は全て殺すわ。
あんなのが浜松駅に行ったら大変なことになるわよ!」
雪凪は、すぐに動いた。
「あやめの言うとおりね。
内山警部補、現場の全警察官に伝令。
有楽街を中心に、半径5キロメートルの区画と浜松駅、アクトシティを完全封鎖。
それと、遠州鉄道とJR東海にも連絡して、全列車とバスの運行を停止。
今現在、浜松駅に残ってる車両は、乗客をのせ、直ちにそこから離れるよう、指示を出してください」
「了解!」
内山が遠ざかると、今度は携帯電話を取り出しコール。
「姉ヶ崎より本部。
浜松市中区で201発生! 報道管制を、コードK07で大至急出してください!」
相手は警察庁の本部。
それだけを言い残し、電話を切った時だ!
「雪姉!」
あやめの声に、雪凪は交差点の方を見た。
さっきまで広がっていた血の海が、文字通り引き潮となってアスファルトの上を動いていた。
異臭も、いつの間にか消えている。
一体、何が?
血は交差点中心に向って、渦を巻きながら流れていた。
そこには肉片―― ではなく、人型の紙片。
ドーベルマンに張り付けられていたもので、一匹ずつ、計3枚。
半紙で出来た、至極変哲もないそれが、凄まじい勢いで血を吸収していたのだ。
どんどん、際限なく。
血を大方吸い終わると、今度は散らばった骨と肉片が、人型に吸い寄せられていく。
ズルズルと、それも意志を持ってるように、電柱や車を避けながら。
心臓が人型の紙片を、道路に押し付け絡めとると、そこに肉塊が憑りつき、骨が覆いかぶさって、肉団子となる。
交差点に出来た、赤黒い3つの肉塊。
ドクン、ドクンと脈打つ。
錯覚か、塊は段々と大きくなってるように見える。
最後に足と尻尾、目玉と犬の首が、ひとりでに動き、肉片に呑み込まれると―― 遂に破裂式肉人形の本当の恐怖が始動する。
グオオオオオオオ……
地面を震わせる唸り声。
それは、ちょうど上空に飛来した、静岡県警のヘリの音すらも切り裂いた。
ドーベルマンの咆哮とは全然違う、低く、くぐもった声。
「雪姉、来るわよ」
「うん!」
声の正体は肉片。
錯覚ではない。
肉塊は、軽自動車ほどの大きさまで膨れ上がっていたのだ!
あやめと雪凪は、互いに銃のセーフティーを片手で解いて、身構えた。
丸い肉塊が動きだした!
「なんだ…これ……」
内山も、取り囲む県警の警察官たちも、言葉を失い、これが現実かと、自身に必死で問いかける。
無理はない。
犬だった肉塊が、今、立ち上がったのだから。
肥大した後ろ脚で。
同体からはみ出す肋骨。
腸の絡みついた右腕。
左手首から生えた尻尾は、血を帯びて鎖鞭のようだ。
犬の面影はない。
そこにあるのは、全長2メートルを優に超える、二足歩行の人型クリーチャー。
最後に頭部だ。
首元に埋め込まれた頭とは別に、口だけしか無い頭が生えると、更に頭頂部から、やせ細った前足がニョッキリ。
足裏には目玉が。
鍛冶町通りにいる全ての人間を、ぎろりと見渡した。
「これが、破裂式肉人形……」
完全形態。
藤井がかけた術が完成した。
ゴワオオオオオオオオ!!
涎を垂らす口に、ぎらりと光る牙。
三体のクリーチャーの雄たけびが、通りに響き渡り、ビルの窓ガラスがガタガタと震える。
百戦錬磨のあやめでも、その非現実的な光景には呆れて笑うしかなかった。
「ハハッ……冗談きついわよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます