28 私が踊るのは夜想曲(ノクターン)だけ


 「さあ、そろそろ姿を見せなさい。

  中にいるのは分かってるのよ。

  欲望の傀儡師くぐつし―― 藤井薫ふじい かおるっ!!」


 鍛冶町通りに響き渡る、彼女の声。

 徳川統治時代、鍛冶職人を集めたことから、その名がついた浜松随一の歓楽街。


 光り輝く雑居ビルの光を、そのボディに反射するだけで、目の前で沈黙するランエボに全く動きがない。


 そんな車と彼女を囲むパトカー群。

 ポルシェの覆面車から降りてきた男性が、雪凪の元へと近づいていく。

 高級スーツが似合う、舘ひろし似のダンディなおじさま。


 「雪凪、彼女は?」

 「私の妹、あやめよ。

  前に話したでしょ、内山サン?」

 「ああ。 例の琵琶湖テロ事件を解決したっていう、女子校生探偵か」


 彼の名は内山俊喜うちやま としき

 警察庁特殊犯罪対策係所属の警部補で、雪凪の仕事仲間だ。


 「そっ。 ついでに言うけど、あのランエボの車内にいるのよ。

  琵琶湖と新宿駅のテロ事件を起こした、主犯の男がね」

 「今回の事件もか?」

 「そこまでは分からないけど、ありえないとも言い切れないわ。

  奴はあやめを狙ってきた。

  彼女もまた、探偵として事件を追っている最中だったからね。

  無関係とは考えにくい」

 「もしくは、彼女に対する私怨か」


 内山の言葉に、雪凪は頷くが、2人はその間も、あやめの後ろ姿を凝視するのみ。


 ウイイイイン……


 不意に、ランエボのパワーウィンドウが作動し、運転席側の窓が全開になった。

 そこから伸びる色白の左腕。

 ハッと息をのんだ。

 開かれた手の平に残る、大きなケロイド状の傷跡。


 「雪姉……間違いない……藤井だ!」

 「なんで、分かるの?」


 興奮か、それとも恐怖か。

 肩を使い、大きく深呼吸した彼女は、銃を構えたまま話し続ける。


 「あの傷よ……ええ、そう……絶対に忘れない!

  私が、ライフルで撃ちぬいたのよ。

  琵琶湖で……奴の持ってた式神もろどもっ!」


 すると、ザザシティの建物に埋め込まれていた、オーロラビジョンの映像が突然に途切れた。

 

 「!?」


 カラーバーになったかと思いきや、そのスピーカーから、若い男の声が流れ出したのだ。


 《その通りだよ、姉ヶ崎あやめ。

  こうして君と向きあうのは、3年ぶりになるかな。

  私の子どもの頃からの夢を踏みにじり、その代償を身体を以て支払ってもらった、あの日以来。

  茜色の夕焼けが差し込む体育倉庫、マットの上で二人っきり。

  今思い出しても、最高のムードだったと思うんだけどねぇ》


 聞こえてくる甘ったるい男の声に、あやめは嫌悪と吐き捨てた。


 「茜色? 真っ赤な血の間違いでしょ。

  アンタとは、もう二度と会いたくなかった。

  とっとと、閻魔様のところにでも行ってて欲しかったわよ」

 《おいおい、同級生との再会なのに、寂しいことを言うなぁ》


 神経を逆なでする声が響き渡っても、彼女の眼はランエボに向けられたまま。


 「寂しいも何も、本心を言っただけだし、お前はクラスメイトでもなんでもない。

  第一、私の興味は、お前にはない。

  どうして、私たちを狙った?

  この街で起きた神隠しは、お前の仕業か?」

 《全く……自分だけ話を進めるなんて、ますます、寂しくなるよ》


 刹那、スピーカーの音量に負けない、ドスの効いた怒号。


 「答えろ、藤井っ!」

 

 雪凪や内山だけではない、取り巻く警官たちも、後ずさりする程に恐ろしく。


 《……悪いけど、答える気はないよ。

  そんな上から目線で冷たくされたらさ》

 「貴様っ!」

 《そうだねぇ、同窓生としてのよしみだ。 最初の質問ぐらいは答えてやるよ。

  君を襲ったのはね、久しぶりに君と踊りたくなったからだよ。 あやめ。

  あの時と同じように、いいや、それ以上に長く、甘くとろけるワルツをね》


 恋人に囁くように放たれたスピーカーの声は、あやめを一方的に包み込んだ。

 だが、その手に鳥肌を立たせようとも、トリガーに絡めた指は動じない。


 「生憎だけど、私、の踊り方なんて忘れたわ。

  今の私に踊れるのは、だけ。

  唯一無二で、最高に綺麗な夜想曲よ」


 そう、彼女が踊っているのは、ノクターン。

 世界でただ一つの楽曲。

 3人、いや、4人の奏者がいて初めて、滑らかなメロディを奏でられる。


 その中に、藤井は含まれていない。

 

 恐怖の中に光る一条の光が、今のあやめを精神的に支えていた。


 《しょうがない、私が思い出させてあげよう》


 ため息交じりの声に、あやめは運転席の見えない相手に言い放つ。

 奴と面と向かって話している訳じゃない。

 目をそらせた瞬間に、やられる。

 そんな、妖怪の血の本能が叫んでいたから。


 「お前なんかに、私のノクターンは汚させない!

  いや、汚せやしないっ!」

 《どうかな?》


 刹那!


 ガコン!


 「!?」


 唐突に、ランエボのトランクが開いた。


 《そいつは俺からのプレゼントだ。

  今夜の再会の記念に、是非とも受け取ってほしいんだ。

  この日のために、ずっとずっと、真心と丹精込めて用意したんだからさ》


 その声を待っていたかのように、中から荒い鼻息が聞こえる。

 人間ではなく獣のもの。


 中から飛び出したのは――


 「犬……だと?」


 身構えていた内山は面食らった。

 中から出てきたのは、ガタイのいい、三匹のドーベルマン。

 車の前に行き、銃を構えるあやめに向って吠え始めた。


 いや、内山だけじゃない。

 雪凪も、警察官も、数名の野次馬も。

 起こっていることが意味不明過ぎた。


 「何のつもりなの?」


 最初は、意味も分からず目線と銃口を、下に上にとやって困惑していたあやめだったが、段々と状況を理解し始めた。


 「……えっ!?」


 揺らぐ瞳の中に映ったのは、ドーベルマンの背中。

 硬くざらざらした毛先に貼りついた、半紙で出来た人形。

 一見すれが、なんら変哲のないシールだ。

 しばらくすると、異変はより具体的に、その姿を見せ始めた。


 何故かほのかに、線香のような匂いが、通り一帯に立ち込め始めたではないか。

 

 首をかしげる程度に困惑する警察官たちだったが、あやめは違った。

 それまで動じていなかった彼女の足が、半歩後ろに下がったのだ!


 「きつい白檀の香り……この式神、まさかっ!!」

 《君は俺を忘れられない。

  この白檀と同じように。

  例え子宮を失っても、その体は俺を覚えているはずだからね》

 「藤井、お前っ!」

 《さあ、踊れぇっ!

  そんな汚いノクターン、俺が忘れさせてやるぅっ!!》


 スピーカーから声が消え、元の広告動画に戻ったオーロラビジョン。


 同時に、あやめの恐怖は臨界点を超え、まぶたを引きつらせる。

 

 奴は、藤井は、ここにいる全員を殺す気だ!!

  

 銃を握る手をほどき、あやめは周囲に向けて、腹の底からできる限りの声を振り絞った!


 「みんな、にげてぇっ!!」

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