22 あやめ焦燥、そして叫び
「雪姉、八咫鞍馬や佐渡銀孤はどう? 何か、動きある?」
湯船の中から、あやめは今一番疑問に思っている事柄を、素直にぶつけた。
雪凪から帰ってきた回答は、意外にも、首を横に振る動き。
「いまのところ、陰陽寮が動いてるって話はないわ。
上層部だけじゃなく、所属してる陰陽師や妖怪たちもね。
咲久弥も、県警の話聞いて、また京都に戻ったし。
今回は静かよ。不気味なほどに」
でも、と雪凪は付け加えて、話をつづけた。
「少し、奇妙な事件なら、この近くで起きたわ」
「なにそれ?」
「つい1時間前、東名高速下り線で車八台の絡んだ、多重衝突事故が起きたの。
大型トラックが横転し、そこに後続の車が突っ込んだ。
ここまで言えば、ありきたりな交通事故よ」
「雪姉が言うんだから、その事故に何かあるってことよね?」
妹の指摘に、姉は頷いた。
「問題は、大型トラックが何故横転したか、にあるのよ。
事故現場は直線道路。片側2車線の道だったけど、トラックの周囲に、事故を誘発する他の車両はいなかった。
運転手は荷物を、あと一時間で岐阜市内に運ばなきゃいけなくて焦ってはいたけど、それが事故原因とは考えにく。
もちろん、エンジンや足回りにも異常は見られなかった」
「じゃあ――」
「ただ一つ、車両の運転台にびっしりと、人の形をした紙が張り付いていることを除けばね」
人型の紙の正体。
そんなもの、あやめは1つしか思い浮かばない。
「式神?」
ええ、と雪凪は短く答える。
「トラックのドライブレコーダーにも、衝突の瞬間がうつっていたそうよ。
愛知県警高速警察隊の要請を受けて、特殊犯罪対策係中京支局が、捜査を開始したわ」
「下り線と言うことは、式神は名古屋方面から飛んできたってことか」
「それも、かなりの数のようなの。
でも問題は、それだけじゃないわ」
「というと?」
彼女は続けた。
「事故の後、蒲郡と豊橋でも、式神の目撃情報が出てるのよ。
渡り鳥みたいな白い群れが100羽ほど、東名高速に沿って、東京方面に飛んで行ったってね。
でも、浜名湖SAの定点カメラで確認されたのを最後に、式神の群れは何処にも現れていないの。
掛川や磐田の警察署と、サービスエリアにも問い合わせたけど、そんな群れがいたって通報は入ってないって」
「じゃあ……」
「この浜松に、私たちの知らない陰陽師がいるってことよ。
どこの誰で何者か分からないけど、100体以上の式神を操れることからして、かなりの術者なのは間違いない」
陰陽師が、この街に。
それだけの力を持つものなら、どこかの陰陽寮に属する人間であっても不思議じゃない。
しかし、もしそうなら冒頭の雪凪の言葉に、矛盾が生じる。
「でも、八咫鞍馬も佐渡銀孤も、事件に関して全く動いてないって……」
「そう、だから厄介なの。
中部域を統括する尾張
今頃、八咫鞍馬の耳に入って、無鄰菴会議が開催されてるかもしれないわ。
警察と歩調を合わせて、慎重に事を運んでいる彼らにとって、その術者が大きな番狂わせ、いいえ、人間世界と妖怪世界の均衡を崩す、大きな爆弾になるかもしれないから」
すると、リオがよこから聞く。
「それだけの式神を扱える陰陽師なんて、日本にごまんとはいないんだろ?」
「その通りよ。
でも、相手が陰陽寮に属する、正式な術者とは限らないわ。
海を渡った陰陽師の子孫、もしくは破門された元術者の可能性もあるからね。
あなた達だって、知ってるでしょ?
先のラスベガス事件、発端となったケサランパサラン強奪事件の犯人は、ハワイで修行を積んだ、にわか陰陽師だったんだから」
「そういえば、そうだったな」
その時だった。
あやめは唐突に、エリスの肩を叩いた。
「ちょっといい?」
「ん?」
首を傾け、外に出ようというジェスチャーを向けたあやめに、エリスは微かな疑問を持つも、そのまま2人で湯船から上がり、雪凪たちから遠ざかった。
「どうしたんだ?」
「さあ?」
リオと雪凪も、状況が理解できなかったが、ただ一人、メイコだけは心配そうな表情を遠ざかる裸体に送り続けるのだった。
無論、この後、あやめがエリスに何ていうのかも、想像はついていた――。
■
「エリス、雪姉に話そう」
「まさか!?」
露天風呂に併設されたロウリュ・サウナ。
ひとっこ一人いない、黒壁の個室。
肌を焼き包む熱さの中に2人。
驚くエリスに、あやめは真剣な表情で頷いた。
「それだけの数の式神が、浜松方向に飛んで行ったとなれば、十中八九この事件に関わる人間が、わざわざ飛ばしたって考えるのが普通よ。
それも、かなりの力を持った術者がね。
特に式神のような、人型の器を操る陰陽師を、私たちは“人形使い”って呼んでる」
エリスは手を振って、その提案に質問で返した。
「でも、一体だれが?
式神を使えるのは、21世紀の今でも日本の陰陽師しかいない。
だけど、陰陽師が今のところ、どこかで動いている様子はないんだろ?
君のお姉さんが言うように、全国の陰陽寮が口を噤んでいる状況なら、誰かが勇み足をしただけで、地雷が爆発しかねない。
日本の縦社会、しかも土俗的な組織の中で、そんなスタンドプレーを簡単にできる奴なんて、君たち以外にいるのか?」
すると、あやめは目をぎゅっと瞑って
「いるのよ、それが……」
と、けだるく吐き捨てた。
自分のお腹。
見た目は真っ白で、とても繊細な肌を、ゆっくりとさすって。
「さぎの宮駅で、誰かの気配を感じたって言ったでしょ?」
「ええ」
「実は、あの陰湿な気配に、心当たりはあったのよ。
確証がないから、口にはしなかったけど」
「じゃあ――」
あやめは口元を手で押さえ、深刻な表情を浮かべて一点を見つめる。
「もし、私の勘が正しければ、この事件にアイツが絡んでる。
となれば、皆が危険に晒される。
私だけでなく、今回はエリスやリオも……」
エリスは反対に、穏やかな声であやめの肩を叩きながら諭す。
「危険?
私たち、リスクは承知で、この稼業やってるんじゃない?
いままで、危なくなかった仕事なんて、他にあった?」
だが!!
「あのゲス野郎に、そんな甘い考え通用しないのよっ!」
「!?」
突然の怒号に、エリスは思わず身体をびくつかせ、手を離した。
出会ってから今までに、聞いたことのない、ヒステリックな声。
あやめは、敵の正体を知っていて、尚且つ、その相手への恐怖で思い詰めている。
エリスがそれを理解する頃、小さく「ごめん」とつぶやくと
「とにかく、断片的でも、きさらぎ駅の情報を警察に渡しましょう。
クライアントを裏切る行為にはなるけど、少なくとも私たち……ううん、行方不明になっている乗客全員の安全が、いくらか保証されるはずだから」
「……わかった」
弱弱しいあやめの言葉。
探偵社社長として、ここは依頼人のための確固たる意志を、仕事として見せるべきだったのだろうが、仲間の悲愴な姿を見て切り捨てられるほど、人間ができていなかった。
バチカン時代なら、こんな行為は処罰ものだろうが、ここは自分の作った組織。
エリスが第一に憂慮すべきは、自分の仲間たち。
感情で動いても、咎める者など上にはいない。
「露天風呂に戻ろう。 その汗と私の揺らいでる気持ちを、流し去るために」
「……うん」
「大丈夫。 何があっても、私はアヤを守るから!」
「……ありがとう」
身体にまとう汗は、こころなし重く、すっぱかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます