20 アンナとナナカ


 出動命令が下る前から、既に準備は整っている。

 今更、用意するものは何もない。

 全部、愛車につめこんである。


 アンナが、サンピエトロ大聖堂の裏口から出てくると、そこには、愛車の傍に立つ、ナナカの姿が。

 ショートカットの金髪が、爽やかな風に揺れている。

 

 「ナナカ!」


 彼女の名は、ナナカ・L・リンドグレーン。

 まだ17歳と若いが、れっきとした牡牛部隊に所属するエクソシスト。

 アンナの部下だ。

 音楽用語とルーン文字を組み合わせた、音楽アルケスタルーンという魔術の使い手でもある。


 「モルガナイト!」


 アンナの姿に気づいた彼女は、子犬のよう。

 明るい表情と声で、その聖名を呼ぶ。


 「カルトロスの“洗礼”を受けてきた。

  正式に牡牛への、出動命令が下ったわよ!」


 2人は素早く、細い目をした、平べったいセダンタイプの車に乗り込む。

 そのボディは、深いワインレッド。

 エッジの効いたフロントノーズの先端には、輝かしいアストンマーチンのエンブレムが光る。


 「ってことは、ベガスの件はお咎めなし」

 「オフコース」


 そんな、ワインレッドのアストンマーチンは、アンナのアイデンティティ・アイテム。

 世界各国の教会に、彼女が乗り回すマシンが置いてある。


 自分がそこにいて、今この時を生きていることを知らせ、知らしめるためのもの。

 

 本拠地であるバチカンで、彼女が乗り回すのは、88年式ラゴンダ4。

 アストンマーチンの傑作とも称される、高級4ドアセダン。

 その中でも、アンナの愛車に使われているマシンは、教皇警護にも使用できるよう、各種装備を搭載した、世界に一台だけのカスタムカーである。



 「馬鹿な枢機卿が早とちりしたお陰で、助かったわよ。

  まだ、ベガスが壊滅してなかった時に、私のコードを借りて、レギオンを出動させたから、私を含め、雄牛を越権行為で断罪できなかったってわけ。

  責任はカルトロスにあるからね。

  だから、神の代弁した声を既成事実に、元老院の老害達は逃げたのよ」


 カルトロスも言っていた、神の声。

 それには、カラクリがあった。


 「神罰の判決に際し、その意見が満場一致とならなかった場合、神がその場に居合わせた聖職者の口を借り、その者への処罰を発することができる。

  コンクラーベのチートスキルを応用した、逃げの好手」

 「そういうこと」

 「まったく、あの老人ホームに、聡明の類はいないんですかね?」

 「奴らにそんな知恵があるなら、私たちはいらないし、イエス様はとっくの昔に、ナザレで家業を継いでるわ。

  それが、本当の意味で聡明ってもんよ」

 

 アンナはキーを回すと、アクセル全開。

 石畳を走り、を超え、ローマ市内のアスファルトをひた走る。


 ハイウェイに乗れば、目的地のローマ・フィウチミーノ国際空港まで、一直線だ。

 

 「で、状況は?」


 道なりになったところで、アンナは口を開く。


 「マハロからの情報によると、人員、及び最低限の装備品の搬入は終了しています。

  東京教会とのランデブーポイントは、富士山静岡空港。

  事件が起きた浜松市から、最も近い空港です。

  到着は、日本時間、明日午前6時30分ごろを予定」

 「民間空港か……いけるのか?」

 「移動には、中華桃源ちゅうかとうげん航空に偽装した、ボーイング737型機を使用します。

  静岡空港に乗り入れている航空会社ですから、不審がられることはないかと」


 それから、とナナカは付け足し


 「ノクターンが、既に現地で捜査を開始したそうです」

 「流石、元相棒。 仕事が早いわね~」

 「呑気な事言ってる場合ですか!」


 ヒステリックとまではいかないが、ナナカが小さく語気を荒げた。

 エリスの事を知らない彼女は、教会が裏切り者のレッテルを張った彼女と、その一味、つまりは探偵社の人間を敵視している。


 「先を越されて、事件を解決されたら、今度こそ枢機卿に叩かれますよ?」


 だが、アンナはハンドルを握りながら、諭す。

 

 「そこは、柔軟に考えなさい、ナナカ」

 「え?」


 驚くナナカだったが、アンナは続けた。


 「相手は、バチカンですら滅多に遭遇しない、消失という、正体不明の敵よ。

  いいえ、異次元って言葉に置き換えてもいいわ。

  信用できる情報も皆無だし、そんな場所を見たという、確たる物証はどこにもないってレベルの事件。

  調べるだけでも、骨が折れる。

  でも、誰かが先に、私たちのために手間暇かけて調べてくれていて、それを有難くすることができれば……」

 「漁夫の利」

 「そういうこと」


 アンナは溜息を1つ。


 「元相棒をたたえていた言葉、どこに消えたんですかね?」

 「さあね。

  ラスベガスでは共闘関係ってことで、最後は力を貸したけど、そう毎回はできないし、一応、ノクターン探偵社はパチュリーにとって、ライバルであり脅威。

  全体的に見ても。不穏なタネは摘むに限るわ。

  最も、彼女たちの…いえ、神の御加護に導かれ、その道筋に一条の光明が見える程、コイツが簡単な事件だったらの話だけどね」


 その目は、聖職者とは思えないほど曇っている。

 一条の光明どころか、差し込む光すらない。

 まあ、神の名のもと、バチカンのいわばゴミ処理係を行ってるのだ。

 当然の姿なのだろうが……。


 「神の御加護ねぇ……貴女が、綺麗ごとを言うとは思いませんでしたが」


 そんな上司を、部下も理解し嘲笑。


 「口実としての神よ。

  私たちに信仰ホーリー隣人愛アガペーも必要ない。

  ただ、教会にとって不都合な異端を抹殺し、黒歴史アカシックレコードを破壊する。

  共通した思想と、誇大妄想家の利益のために、自分の正義と命を切り売りすることが、私たちの仕事。

  そこに神がいるのか否かなんて、死んでから考えなさい」


 2人の頭上を、空港の案内看板が横切る。

 まもなく始まる、長い旅。

 そして、心躍る怪奇との闘い。


 「バチカンにおける、無名で最大の抑止力。

  それが牡牛部隊……かぁ……。

  まあ、いずれにせよ、日本へ行かないことには、全てのナゾは分からない。

  行こう、一分一秒でも早く」

 「ええ、誰よりも早く……でも、その前にターミナルに寄っていい?」

 「いいですけど?」


 深い意味があるのか?

 ナナカは、瞬時に思ったが――


 「いや、実はさ、朝から何も食べてなくてね。

  サンドイッチの一つでも買わないと、力が出ないもんだから」

 「はあ~?」

 「で、ちょっとね」


 先ほどと打って変わって、アンナの眼には光が戻っていた。

 しかし、今度はナナカの態度が冷たくなる。


 「マハロが非常食積み込んでますから、それで我慢してください」

 「え~、アレ不味いから嫌いなの~」

 「文句言わないでください! もうすぐ11時ですよ!」

 「うわ~ん…ナナカの薄情者~っ!」


 これでは、どっちが上司か分からない。

 何はともあれ、2人の乗るラゴンダ4は無事に、空港に到着したのであった。

 サンドイッチには、ありつけなかったが……。


 ■


 一方で、日本では不穏な動きが現場周辺で起きていた。

 

 午後6時31分、愛知県。

 東名高速道路下り線、美合みあいパーキングエリア付近で突如、車8台の絡む多重衝突事故が起きたのだ。


 現場に最初に駆け付けた、高速警察隊が目にしたのは、横転した冷凍トラック。

 普段は目にすることのない部位を、運転手たちに見せつけている。

 これが、事故の引き金となったようだった。


 「なんか、このトラックおかしくないか?」

 「確かに、妙ですね」


 パトカーを降りた2人は、けが人の有無を確認し、ひと段落してから首をひねった。

 トラックの車体が、異様に白かったのだ。

 ドアや荷台だけでなく、窓ガラスも。


 「これは…一体なんなんだ……っ!!」


 警察官は、トラックに近づき、我が目を疑った。

 白いものの正体。

 それは――。


 人の形をした、おびただしい数の紙。

 

 そう、事故を起こした犯人は“式神”だったのだ。


 トラックの荷台から、人知れず剥がれ落ちた式神が、風もないのに舞い上がり、素早く飛び去っていく。

 ただ東に。

 静岡方面に――。



 

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