聖戦…バチカン・牡牛部隊始動
19 バチカン市国… 牡牛出動命令!
その頃――
現地時間 AM10:02
バチカン市国
イタリアの中心地、ローマ市内に、彼らの本拠地は存在する。
世界最小の主権国家にして、カトリック・キリストの総本山。
バチカン。
真っ青な空に向かってそびえ立つ、純白の大聖堂には、連日世界中から人々が押し掛ける。
信仰のため、そして観光のため。
だが、観光で来た人々にとって、この日はがっくしと落胆したに違いない。
教会催事のため、バチカン観光の目玉、システィーナ礼拝堂が閉鎖されていたからだ。
15世紀に建てられた礼拝堂で、
ひそひそ声ですら反響してしまうほど、小さく狭い石造りの空間に、ミケランジェロが視力を失ってでも描いた、数多の宗教画が埋め尽くされている。
彼の傑作こそ、祭壇の壁一面に描かれた“最後の審判”。
興味なしといった具合に、黒みを帯びた赤髪ポニーテールの若い女性が、この有名絵画に背を向けて立っていた。
彼女の名は、アンナ・ニーデンベルグ。
こう見えて、バチカンの司祭― エクソシストであり、パチュリーに属する諜報員でもある。
■
パチュリーとは、正式名を法王庁極秘諜報作戦機関。
時の法王ピウス二世、エウジェニオ・パチュリーが設立したスパイ組織で、バチカンの持つ、唯一にして最強の軍事・国際警察勢力である。
その中でも、アンナの所属する第18部隊― 通称、牡牛部隊は、世界中で発生する怪奇事件、アンチキリスト事案に介入に、これを抹殺する特殊セクション。
バチカンの持つ影と力が、ここにある。
部隊長である彼女は、ここで一つの審判を待っていた。
■
「来たか」
ギイイ…
目の前の扉が開き、司祭服を纏った1人の男が入ってきた。
彫りの深い顔に、吊り上がった眉と垂れ目。
宗教的な服装でなければ、スター・トレックのMr.スポック、そのままだ。
「元老院の結果がでたってことで、いいのかしら?」
彼女の声が反射する部屋で、彼は顔色一つ変えずに、言い放った。
「そうでなければ、私はまだ、部屋の中にいる。当たり前のことを聞くな」
「相変わらず、冗談も通じないことで」
彼こそが、カルトロス枢機卿。
教皇の下に仕える聖職者であり、パチュリーを統括する、実質的なボスだ。
その立ち回り、振る舞いは、教会内でもかなり強権的でエゴイスチック。
故に、教会内の一部派閥からは、バチカン史上最も世俗にまみれたとされる教皇一族と重ね合わせ、彼の存在を「スポルツァー家の再来」などと揶揄する声もあるほど。
前回のラスベガス事件では、アンナしか使えない権限を強制的に奪い、戦闘ヘリ部隊を勝手に出撃させており、今回彼女は、この行為に関する処罰の審判の結果を聞くために、ここにいた。
アンナの持つ出撃許可コードを使い、カルトロスは武力を行使した。
つまり、それに伴う失態や損害の責任は、全てコードを持つ、アンナの責任になるという訳である。
無茶苦茶だ。
「先ずは、先刻の件からだ。
元老院は、神の代弁なされた声によって、ラスベガス事件での損害、その他越権行為に対する、雄牛への処罰を帳消しにすると決断なされた」
アンナは言う。
「要は、それだけの物的証拠を揃えられなかったってことでしょ?
ヘリとJDAMの攻撃で、街はバグダッドさながらの被害を被ったけど、巨大なケサランパサランが、その能力を使い、跡形もなく直しちゃったからね。
奴が落としたヘリコプターも、殉職した神父たちも」
冷ややかな目線を送っても、カルトロスは鼻で笑うだけで、何の弁明をしない。
「命拾いしたな、モルガナイト」
「
あの時、早とちりしなければ、女であるこの私を、牡牛から追放できたでしょうに。
ブラッドベリル……いいえ、エリス・ヨハネ・コルネッタを辱めた、あの時のように」
「黙れ」
彼女に注がれる視線は、最早、人間を見るソレとは程遠い冷たさを放っている。
一言でいえば、軽蔑。
彼女も眼力を込めて、睨み返す。
アンナも、軽蔑の眼差しの中にあるものを、全て理解していた。
カルトロスは自分の事を、殺したいほどに嫌悪していること。
そしてまた、彼女がエクソシストとして、スパイとして優秀すぎる故に殺せない矛盾を、法衣の内側に隠していることを。
「まあ、いいわ」
緊張の糸を解いたのは、アンナから。
「こんなことしてるほうが、時間の無駄よ。
で、例の列車消失事件に対しての見解は、どうだったの?
断罪より、そっちの方が知りたくしてねぇ」
アンナが知りたいのは、そこだった。
ノクターンが既に、現地に入って捜査を開始したのは、東京教会関係者からのリークで把握済み。
怪奇事件への介入と解決、それと並行するアカシックレコード理論の完全なる抹消は、牡牛の最重要任務。
故に、ライバルへの遅れは許されない。
同じ目的を掲げるかつての仲間、否、バチカン史上最強かつ禁断の力を手にしている、元諜報部員が相手なら猶更。
「満場一致で、牡牛への異端介入指令が下され、教皇陛下の承認も得られた。
第三司教聖士、聖名モルガナイト。
本日午前10時を以て、第18部隊及びカトリック東京教会に、日本国内における私鉄消失事件への介入と、その根源の解決及び破壊を命ずる」
「かしこまりました」
すると、アンナは片膝をつくと、深々と頭を下げた。
その頭上で、カルトロスが三本の指で十字を切れば、部隊長が正式に、教皇からの密命を受諾したということになる。
僅か数秒の儀式。
これで、バチカンも大手を振って、怪奇事件に介入できる。
立ち上がると、カルトロスは言った。
「事件が起きた場所は、陰陽寮のテリトリーだ。
できる限りの隠密行動を心掛け、一切の軍事的、魔術的戦闘は、これを極力避けてほしいというのが、元老院からのオーダーだ。
ノクターン探偵社との衝突も、可能な限り避けろとの通達だ」
「難しい注文だこと……」
「今回の事件は、各国で報道されている。
日本警察の対怪奇事件捜査班も、現地に派遣されている。
ここでパチュリーの存在が公になるような失態や、陰陽師たちとの間に新たな軋轢が起きれば、結果として、カトリック教会そのものへの信頼が損なわれる事態になりかねない。
元老院は、そのことを一番、気にかけているのだ」
つまりは、面子ってことである。
そんなことで、諜報活動は務まらないと、アンナは声を大にして言いたかったが、自分も組織の一員である身。
苦い毒を、腹の底まで飲み下すくらいしかできないのが、つらい。
「不承不承ながら、心得ました」
「よろしい。 君が選抜した行動部隊は、既に空港に用意した専用機に乗り込んでいる。
1時間後に離陸の予定だ」
「了解」
ですが―― と、最後の抵抗でもあり疑問を、カルトロスに投げかけた。
「ノクターンと八咫鞍馬はともかく、ネオ・メイスンが介入したら、厄介です。
彼らの怪奇事件探査部隊は、歴史的な殺人鬼の子孫で構成されています。
こちらが消極的でも、彼らは一瞬の躊躇なく、我々を襲撃してくるでしょう。
その場合は、どうします?」
すると、意外な返答が。
「連中の事は案ずるな」
「言ってる意味が、分かりませんが?」
カルトロスは言う。
「第2班が、結社と親密な関係にある、巨大企業との交信を傍受した。
その内容によると、ネオメイスンは今回の事件には、一切介入しないということだ。
どうやら、先の事件で、調査部隊リーダー、マーガレット・ボーデンが重傷を負ったことと関係があるらしい」
そのことを聞いて、アンナは内心、安堵した。
ラスベガスの事件で、彼女たちの執拗な攻撃に、苦慮したからだ。
それだけでなく、殺人マニアな彼女たちの行為のおかげで、事件に関わった人間のほとんどを惨殺された。
自分たちの仲間も、同じく――。
今回も、ネオ・メイスンの実働部隊が日本に上陸すれば、血祭は避けられない。
が、幸運にも回避できたのだ。
「名前だけのリーダーでしょうに。
マザーグースにもなった親殺し、リジー・ボーデンの末裔。
ええ、彼女は確かに、ベガスの事件で大怪我を追ってます。
ホテル王が爆破した、秘密鉄道の崩落に巻きこまれて。
私が、その瞬間を見てますから」
「彼女は、全治2か月程度の傷で、それまでは、アカシックレコードの調査をいったん見合わせることが、ネオメイスンの幹部会議で決まったそうだ」
大きなため息が、アンナの口から出た。
飲み込んだ毒を、朗報で浄化しながら。
「その方がありがたい。
無駄な銃弾と、寝る前の御祈り程、くだらないものはありませんから」
違いない。
と、彼は初めて、彼女の意見に同調した。
表情は変わってないが……。
しかし、こうしている間にも時間は過ぎていく。
「さあ、無駄話はおしまいだ。
行け!
父と子と、聖霊の御名において、その旅路に加護があらんことを」
「エイメン」
首元に光る銀の十字架。
ネックレスに差し込む太陽を反射させながら、彼女はシスティーナ礼拝堂を後にするのだった。
「それとだ、モルガナイト」
かけられた声に、彼女の足が止まった。
振り向くことなく、アンナはカルトロスの言葉を受け止める。
「いい加減、あの女を始末しておけよ。
お前の元相棒、エリス・ヨハネ・コルネッタ。
神の前で栗を拾い、その処女に汚辱を塗りたくった、忌々しい阿婆擦れ」
「……」
「奴への殺害命令は、まだ教皇令として生き続けていて、牡牛には異端者殲滅の使命がある。
それを決して忘れるな。
裏でなにをしているのか知らんが、ユダ以上の裏切り者として、教会の恥晒しにならないよう、せいぜい、おつむは賢くすることだ」
分かりきったこと……
今更、その言葉に反抗しようとも、否、彼が教皇の名を口実に発報した命令そのものに対し、論理的に否定しようとも、彼の前ではこれ即ち「口ごたえ」として、切り捨てられるのがオチ。
アンナにできることは、口を噤むこと。
そして、この大聖堂から立ち去ることだけだ。
暗い瞳で睨みつけている、枢機卿に背を向けて。
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