10 きさらぎ駅概論― 都市伝説の始まり


 駅で酔っ払いに絡まれた美女を助けた、電車というハンドルネームのオタク青年が、掲示板の仲間に助けられ、その女性と恋をしゴールインする――。


 巨大掲示板サイト「2ちゃんねる」において起きたサクセスストーリーは、後に「電車男」という名で書籍化、映像化され、2000年代前半のネット黎明期を代表する出来事として、日本の平成文化史に刻まれることとなった。


 しかし、この「電車男」の出来事と同年、現在でも語り継がれるネット都市伝説が、同じく掲示板「2ちゃんねる」で誕生したことを知る人は少ない。


 それこそ、存在しない異界の駅「きさらぎ」なのである――。


 ◆


 2004年1月8日午後23時23分。


 「2ちゃんねる」内にある、オカルトネタ専門のスレッドに、はすみと名乗る女性が書き込んだ、一つの投稿がすべての始まりだった。。



 「気のせいかも知れませんがよろしいですか?」 


 

 と、前置きをしたうえで彼女は、自身の乗る電車が、いつもなら数分間隔で停まるはずが、今は10分以上どこの駅にも停車せず、走り続けていると訴えたのだ。

 状況を確認しようにも、他の乗客は全員眠っており、運転席にはブラインドがかかっている状態なのだという。


 周囲が半信半疑で掲示板に書き込む中、はすみの乗る電車が減速し、とある駅に停車した。

 

 その駅の名前こそ、この「きさらぎ」なのである。


 はすみの書き込みによれば、そこは周囲に人家のない無人駅で、電話ボックスはおろか、時刻表すら存在していないのだという。

 しかし、電話やメールと言った携帯電話の機能は使えるようで、はすみは家族に迎えの連絡を入れる。

 

 だが、否、無論と言うべきか、家族も「きさらぎ駅」がどこにあるのか分からない。

 父親や掲示板の参加者が地図で調べても、一向に出てこない。

 警察に通報したが、イタズラで切られる始末。

 その上、付近から太鼓と鈴の音が、どこからか聞こえ始めてくるではないか。


 不安に駆られたはすみは、仕方なく線路をたどり、来た方へと戻ることにした。

 だが―― 


 「線路の上を歩いては行けない」


 暫くして、唐突に聞こえた声に振り返ると、彼女の背後、遠く向こうに片足の老爺が立っていて、すぐに消えてしまった。

 とめどない恐怖に駆られながらも、歩き続けるはすみ。


 しばらくすると、電車で通った覚えのある「伊佐貫いさぬき」というトンネルに差し掛かり、抜けた先でようやく人に出会った。

 親切なその人は、自分の車ではすみを、近くのビジネスホテルがある街まで送ってくれることになった。


 これで一安心……とはいかなかった。


 はすみを乗せた車は、どんどん山の中へと突き進んでいく。

 街に着く気配すらない。

 どこへ向かっているのか、その人に尋ねても何も答えず、それどころか、意味の分からない独り言をブツブツ呟き始めた。


 このままでは危ない。


 「もうバッテリーがピンチです。様子が変なので隙を見て逃げようと思っています。(中略) いざという時の為に、一応これで最後の書き込みにします」


 1月9日午前3時44分。


 この書き込みを最後に、はすみによる報告は途切れ、きさらぎ駅の怪異は唐突に幕を閉じたのであった――。

 


 ■


 突如、電子の海に現れた異界駅の話は、たった一夜の、それも数回の書き込みにもかかわらず、瞬く間に掲示板の枠を超えて広まり、インターネットが生んだ新時代の都市伝説として語り継がれることとなったのだ。


 この話の特徴は、その怪異がネット掲示板を介してリアルタイムで起き、掲示板の参加者が同じ時間軸を体験したことが特筆される。

 が、しかし、異界駅に迷い込むまでの“舞台”が実在し、この嘘か真か分からないストーリーに、ある種の信ぴょう性を加えたことも、大きなポイントだ。



 はすみは、連続した投稿の冒頭、この電車が「いつもは5分か長くても7、8分で停車する」こと、そして「新浜松駅を始点とする静岡県の私鉄」であることを明記している。


 以下の条件に該当する鉄道路線こそ、今回事件が起きた遠州鉄道西鹿島線であり、きさらぎ駅の怪談が、単なる噂ではないことを証明する一因ともなったのだ。

 駅間の停車時間、そして新浜松発の最終電車の発車時刻まで合致するからである。


 この指摘は、掲示板でも行われているが、遠州鉄道や静岡県内はおろか、日本全国に「きさらぎ」という駅は存在しない。

 掲示板でも、はすみに現在の場所を問う書き込みがあるが、彼女は終始、自分のいる正確な場所を答えていないのだ。


 そのため、この話には、はすみは無意識に異世界に迷い込んだという説のほか、彼女は死人で冥界の駅にたどり着いたという説、そもそもが注目を集めるための“釣り”である説など、数多くの仮説が立てられている。



 また、本人なのかは不明であるが、2011年6月30日に、あるウェブサイトに「はすみ」を名乗る者が、現実世界に戻れた旨を伝える書き込みをしている。

 それによれば、最後の書き込みの後、森の中で車が止まり、右手から男性が出てきたかと思うと、強い衝撃と白い光が車を襲い、運転手が消失。

 光の差す方へと歩くと、はすみは自分が利用する最寄り駅にたどり着いていたという。


 その時既に、2011年4月。

 7年という月日が経過していたそうだ――。


 ■


 「きさらぎ駅」の出現以降、日本各地で地図に存在しない駅に迷い込んだとの投稿が、掲示板、そしてSNSへ相次ぐようになる。



 JR京都線、長岡京駅の次駅として出現した、すたか駅。


 濃い霧に包まれ、西武秩父線と接続してしまった、霧島駅。


 神奈川県の私鉄に現れた、地下空間を有する谷木尾上駅。


 東海道線の寝台車が遭遇した、超高層摩天楼が周囲にそびえる、月の宮駅。



 ほんの一例であるが、このように異界駅に関するインターネットの都市伝説は、枚挙にいとまがない。


 

 駅の様子や、その場所で出会う人物、迷い込んだ者の運命も多種多様。

 だが、共通するのは、その駅が地球上のどこにも存在していないことである。


 迷い込んだ駅の写真を添付するものもいたが、その全てが日本国内に実在する別の駅であることが、鉄道マニア等による特定で暴かれている。



 しかし、今回の事件の被害者が送ってきた、きさらぎ駅の写真。

 イタズラにしては、手が込み入りすぎている。

 最終電車ははすみの時と同じように、この異界の駅に迷い込んだのだろうか?


 エリス達は浜松に来て早々、この事件の異質さ、複雑さに、思考をかき乱されるのであった――。

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