9 依頼人の隠した情報


 PM1:38

 中区中央二丁目

 静岡文化芸術大学



 浜松駅から車で5分ほどの場所に、うねった長方形のコンクリートビルと、タワービルを組み合わせた、近代的な建物が現れる。


 静岡文化芸術大学。


 静岡県立大学短期大学部浜松キャンパスを、4年制大学に改組し、2000年に開校した比較的新しい公立大学だ。


 その武骨な外観とは裏腹に、内部はバリアフリーが徹底され開放的である上に、緑豊かな空間が広がっている。


 芝生生い茂る中庭で、エリス達は依頼人を紹介した、あやめの知人と出会った。

 手を振る眼鏡の女の子。

 彼女を見て、あやめも笑顔になり互いに抱き合った。


 「ひさしぶりだね、あやめ!」

 「うん! 沙奈絵も元気してた?」

 「もちろん!

  でも、最初びっくりしたんだよ?

  いきなりメールで、ポルトガルに行くなんて言うんだから」


 北乃沙奈絵きたの さなえ

 この大学に通う、あやめの高校時代のクラスメイト。

 しかも強い霊感持ちのため、あやめの正体や、妖怪の存在も知っている。


 「それで、メールで言ってた先生ってのは?」

 「私のゼミの担当なんだけど、今研究室で待ってもらってる」

 

 北乃の案内で、エリス達はキャンパス内へと足を運ぶ。

 日陰の中、通路のコンクリートが発する冷気が、程よく冷たい。


 「本当に探偵、まだやってたんだ。

  例のアレで、もう引退したかと思ってたんだけど」

 「バリバリ現役だし、仕事に関して嘘を言わないのが、私の取り得よ。

  もう、今は一匹狼じゃないけどね」

 

 心配そうに表情をゆがませた沙奈絵に、あやめはウィンクして、つづけた。


 「それに、あの事件ならもう、きれいさっぱり割り切ったわ」

 「あやめが、それなら、私もいいんだけど……あの事件は、私たちが――」

 「奴がかけた呪いのせいよ。 誰が悪いってわけでもないわ」

 

 気丈にふるまうあやめと、安堵に眉を緩める沙奈絵。

 だが、その後ろで複雑な表情を浮かべるメイコの姿に気づいていたのは、横を歩くエリスだけだった。


 ■


 昔話を挟みながら、たどり着いた研究室。

 ノックして扉を開けると、背の高い黒髪美女がエリス達を出迎える。


 岩崎穂乃果いわさき ほのか

 30歳という若さで、デザイン学科の准教授となった逸材である。


 「穂乃果先生ですね?

  ノクターン探偵社社長のエリス・コルネッタです」

 「リスボンからはるばる、ありがとうございます」

 「いえいえ。

  怪奇事件あるとこ、世界中どこでも飛んでいく。

  それが、我が社のモットーですので」


 柔らかい握手を交わすと、沙奈絵は部屋を出て、エリスとあやめ、メイコは着席。

 穂乃果と向かい合うように、椅子を並べた。

 一方、リオは立ったまま。

 腕組をして話を聞くが、これはオールメンバーで、依頼人の話を聞く際に取る、彼女のクセでもあり、習慣である。

 

 彼女たちと距離を取り、口を噤み、別の視点から事件を考えてみるために。



 「早速ですが、電車と共に消えた妹さんを、助け出してほしいと?」

 「はい」


 彼女はそう言って、机にスマートフォンを出した。

 深緑のアルバーノ。

 画面に映し出されたのは、制服姿のポニーテール少女。

 

 「岩崎美奈いわさき みな、17歳。

  開隆館かいりゅうかん学園に通う2年生です。

  西鹿島行きの最終電車に乗ると、電話をくれたきり、今も連絡が取れないんです」

 「電車に乗ったのは、確かなんですね?」

  

 エリスが聞くと、穂乃果が頷いた。


 「警察がナイスパスの履歴を調べまして――」

 「ナイス……パス?」


 彼女は、ハッとして、その固有名詞を噛み砕く。


 「遠州鉄道で使える、ICカードの定期券です。

  警察が、その定期の履歴を調べたんですが、新浜松駅で乗ってから、どこにも下車していないことが分かったんです。

  それで……」

 「行方不明者リストに入っている、と」

 「ええ」


 すると、今まで弱弱しかった穂乃果が、その内側に貯めていたものを吐露するように、声をしっかり上げて、エリス達に訴えた。


 「北乃さんに相談したところ、事件なら、あなた方が適任だと聞きました!

  怪奇事件を解決できる、世界でただ一つの探偵社だと!

  お願いです! 妹をください!」

 

 こういった?

 助け出して?


 その言葉に、エリスは引っかかった。

 奥歯にものが挟まった、いや、詰まりすぎて仕方ないぐらいに、もどかしい。


 「妹さんは、本当に怪奇事件に巻き込まれた……そう、考えるのですね?」

 「考えてるんじゃありません!

  事実なんです! 紛れもない現実ですよ?

  だって、妹の乗った電車は煙のように消えて、今も見つかってないんですから!」


 力説する穂乃果に、エリスは鋭い視線を向ける。


 「確かに、走行中の電車が忽然と消えるのは怪奇事件とみて、間違いないでしょう。

  ですが、警察はこの事件を、テロリストの仕業とする見方を、完全に捨ててはいません」


 これは紛れもない怪奇事件。

 それは間違いないだろうが、それを簡単に受け入れられるのはエリスのように、にいる者のみ。


 現実的に考えれば、何らかの自然的現象、もしくは政治的な何らかの力が働いたと、思考が動くのが妥当だろう。



 「インターネットでは、鉄道会社が何らかの隠ぺいを行ってるんじゃないか、そういう見方をする人もいます。

  世論も……いえ、を知らない人間からすれば、人知の範囲内で起きた事件だと考えるのが、普通と言うものです。

  しかし、ミス・岩崎。

  あなたは、かなり強く、そして確信をもって、この事件を怪奇と断言する」

 「そ、それは……」


 口を挟んでいないリオにも、そして傍らで聞くあやめも、その様子を逃さなかった。

 穂乃果が一瞬、狼狽した。

 

 何かある。


 「大切な肉親が、突然いなくなったことによるヒステリックでもない。

  当てずっぽうでも、嘘でもない。

  その強い自信、根拠は?」

 「どうして、そんなことが分かるんです!?」


 強く反論した穂乃果に、あやめは言う。 


 「穂乃果さん。

  エリスは、ある組織の元スパイで、心理学にもかなり精通しています。

  この4人の中では、特にずば抜けて。

  彼女の言うこともまた、デタラメではないってことなんですよ」

 「……」

 「正直私も、沙奈絵から話を聞いたときに、何かあるとは思いました。

  電車はおろか、乗客の痕跡も見つかっていない、こんな早い段階で、警察ではなく、私たち私立探偵に事件の依頼をするんですから」

 

 穂乃果は黙り込む。


 「警察を頼らないのは、そもそも、この事件が彼らの手に負えるようなものではない、そう判断したからではありませんか?

  ……いや、もしかしたら、妹さんがどこにいるのか、既に知っている」


 俯いたまま、先ほどとは打って変わって、口を開こうとしない。

 ただ手元の、スマートフォンを見つめて。


 「守秘義務は、絶対守ります。

  何があったのか、話してください。

  そうでないと、調査はおろか、あなたを依頼人として信用できないんです」

 「……」

 「穂乃果さん」


 やんわりと説得するあやめに、彼女は心を開いたのか


 「こんなバカげた話……警察が信用するはずがないんです……」

 「バカげているかどうか、それは私たちが判断します。

  そもそも、怪奇事件なんて、普通の世界の人間から見れば、何から何までバカげた話なんですから」


 その言葉に勇気をもらった穂乃果は、スマートフォンを手に取り、画面をタップし始めた。


 「実は、美奈から写真が送られてきたんです」

 「写真……ですか?」

 「それも、電車が消えて、しばらく後に」


 差し出された画面。


 「拝見します」


 あやめが受け取った画面。

 左右から、エリスとメイコ、遠目からリオがのぞき込む。


 「!?」


 無料通話アプリ、ラインの個人通話画面。

 左上には美奈の名前。

 直近で打ち込まれたメッセージは、既読の文字がつかないまま。


 「その写真以降、いくらメッセージを送っても、既読が付かなくなってるんです。

  電車に乗る前、スマホの電池切れそうって言ってたので、それだけだと信じたいんですけど……」


 だが、そのメッセージの前。

 美奈から送られてきた写真の中身が重要なのだ。


 送られてきた時刻は、午前6時04分

 最終電車が消失して6時間が経過した頃だ。


 縮小表示されているソレをタップした時――


 「そんな、バカな……っ!!」

 「こんな事って……っ!!」


 エリスとあやめが瞳を揺らし、言葉を失った。


 フラッシュで真っ白に染まった、錆らだけの駅標。

 そこには、ちゃんと駅名が刻まれていたのだ。


 おおきく、平仮名で、ただ――



 「きさらぎ……彼女は、きさらぎ駅にいるって言うの!?」

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