5 八咫鞍馬…無鄰菴臨時会合

 リスボンでの出来事と同じ頃

 

 現地時間 PM3:14

 日本 京都

 無鄰菴



 午後の温かい日差しは、縁側でうとうと昼寝するには丁度いい心地よさ。

 煎じたての抹茶を膝に、六条咲久弥ろくじょうさくやは遠く、東山と一体となった、西洋絵画のような庭園に1人たそがれていた。

 長い黒髪、そこに光る黒揚羽の髪飾りを光らせながら。



 元総理大臣 山懸有朋が蹴上に建てた別荘。

 琵琶湖疎水から引いた水を使った小川と、苔や芝、樹木をふんだんに使った庭先、そして遠方の山と一体となるよう設計された全体風景は、近代庭園の傑作との呼び名が高い。


 そして別荘となる日本家屋こそ、日本妖怪、そして陰陽師たちの同業組合の頂点、陰陽寮 八咫鞍馬の本拠地である。



 「待たせたな、六条」


 そう言って現れたのは、大層な髭を生やした、ガタイのいい白髪の老人。

 身にまとう着物と腰に提げた刀が、荘厳さを増している。

 八咫鞍馬の大頭目にして、日本妖怪の総大将、山本五郎左衛門やまもとごろうざえもん

 お供にしていた従者に、席を外させると……


 「浜松の一件は、どうなってる?」

 

 開口一声、今日の目的を切り出した。

 六条は立ち上がり、碗を置くと、質問に答え始める。

 

 「現在までに、車両及び乗客の発見には至っておりません。

  生死すら不明です」

 「鉄道会社はどうだ?」

 「各設備、線路、並びに事件前に通過した車両に異常はありませんでした。

  事件前、西ヶ崎駅にある運行管理室内のコムトラックと、浜北駅事務室内にある簡易制御装置で警告が出たそうですが、両者、技術トラブルは見受けられなかったそうです」

 「警察の動きは?」

  

 庭園へと歩みを進めながら、六条は更につづけた。


 「静岡県警が浜松中央署に捜査本部を設置。

  総力を挙げて捜査を行ってますが、収穫無し。

  現在までに、国内外の過激派から犯行声明等は出ていませんし、犯行時刻の前後、現場周辺を大型車両が通過した記録もなかったとのことです」

 「だろうな。

  どう考えても、人間にできる芸当ではない」  


 せせらぎの傍に立ち止まり、六条は続ける。


 「今しがた、県警本部長が、警察庁特殊犯罪対策係に対し、捜査協力要請を出しました。

  事態が事態なので、愛知県警本部にある中京支局ではなく、東京の本部から捜査員を派遣するとのことです」

 「トクハンか……大丈夫なんだろうな?」

 「何がです?

  日本国内で起きた怪奇事件を、合法的に捜査できる機関は、我々陰陽寮を除けば、トクハンだけになります」


 六条は聞き返すが、山本はため息混じりに眉をひそめる。


 「そういうことを聞いてるんじゃない」

 「おっしゃる意味が、分からないんですが……」


 その時だ。


 「ならば、私が教えてあげましょうか?」


 不意に聞こえた声。

 縁側の方に目を向けると、着物姿の若い女性が、そこにいた。

 クリーム色に近い銀髪は背中まで伸び、その整った顔立ちと、凛とした目は、彼女が姉ヶ崎あやめと同じ、20代になったばかりの少女とは思えないほど、大人な雰囲気をまとっていた。


 「お前は…水瀬美月!?」

 「ごきげんよう、半人妖怪さん」


 驚く六条をよそに、柱にもたれかかり、腕組みをする水瀬。

 白菊の髪飾りと、その豊かな胸が揺れる。


 彼女は水瀬美月みなせみつき

 23歳。

 新潟を本拠地とし、日本海側と東京都を、直轄地として手中に収める陰陽寮 佐渡銀孤さどぎんこの幹部だ。


 組織名の通り、上層部は妖狐…つまり狐妖怪で構成されている。

 水瀬も無論、妖怪だ。


 「で、妖狐がこんなところに何の用?」

 「そっけないこと」

 「泥棒狐に、優しく接する程、私は心が広くないもんでね。

  佐渡銀孤はこの事件も、八咫鞍馬から横取りしていくつもり?

  永世中立地帯だった東京の管轄を、何も言わずにか攫って行ったときのように」 


 すると山本は、六条の肩を叩いて諭す。


 「彼女は二条城での定例会議に参加した帰りだ。

  この案件には関係ない。

  ただ六条、君に聞きたいことがあるそうだ」

 「え?」


 縁側へと戻ってくる六条を見ながら、美月は切り出した。


 「浜松の事件に興味がない……と言えばウソになるわね。

  でも、私の興味は事件以上に、あの女が日本に来るかどうかにあるの。

  誰が生きてようが、アカシックレコードとやらが解明されようが、どうでもいい」

 「あの女…って、あなた!」

 

 誰なのか、六条にはすぐわかった。

 八咫鞍馬のほとんどがそうであるように、美月もまた、彼女を嫌っていた。


 「そう、姉ヶ崎あやめ。

  この世で一番嫌いな女であり、私のフィアンセの元カノ」

 「…っ!!」


 薄ら笑いを浮かべる美月に、六条は顔をしかめた。

 明らかな嫌悪感を顔に出さない。

 そういう奴ほど、内心という名のナイフは研ぎ澄まされ、相手を刺突するのを待ち焦がれている。

 彼女の本能、持論がそう言っているからだ。


 「子宮を失い、女として最大限の侮辱を与えられたうえで八咫鞍馬を追放、一時は何もかもどん底に落ちた、あの半妖ふぜい。

  まさか自死せずに、海を渡って探偵になったのには驚いたわ。

  ご自慢のアトリビュート、村雨をふるい、この間はラスベガスでケサランパサラン事件を解決した……たいした阿婆擦れよ」


 美月は縁側を降り、靴脱ぎ石の上に立った。

 六条を完全に、目の前で見下ろす形で。 


 「トクハンには、彼女の姉が捜査官として在籍しているはずよ。

  妖怪だけど、どこの陰陽寮にも属さない、はぐれ者としてね。

  そんな彼女が、浜松の事件解決のために派遣されるとも聞いたわ。

  警察庁長官直々の命令で」

 「あやめが、いや、ノクターン探偵社が、この事件に介入するかどうか……それを聞きたいって訳か」


 六条は、見下す美月を睨み返す。

 靴脱ぎ石さえなければ、身長は自分より下である美月を。


 「そう。

  宮地メイコなきあと、八咫鞍馬のなかで姉ヶ崎と一番親しい人物は六条、あなただけよ。

  どうせ、今でも連絡を取り合ってるんじゃないの?」


 図星。

 確かに六条は、破門されたあやめと親しき仲だ。

 先のケサランパサラン事件でも、八咫鞍馬がもみ消したとある事案を、こっそりとあやめに伝えていたくらいだ。

 だが、彼女は知らぬ存ぜぬを突き通す。


 「さあね。

  他人の面倒を見るほど、私もヒマじゃないの。

  そこまで彼女に執着するなら、あなたが探せばいいんじゃなくて?」


 しかし美月は、フッと笑い


 「私も、そこまで暇じゃないし、人を使って事足りることは、自分からやらないようにしてるの。

  それが、出世の秘訣。

  もう一度聞くわ、姉ヶ崎あやめは、浜松に来るの?」


 遂に、堪忍袋の緒が切れた!


 「だから、知らないって言ってるでしょ!

  しつこいキツネだこと!

  もみあげの下にある人の耳は、ただの飾りかい?」


 六条はキッと、粘着質な妖狐を睨み上げた。

 怒号を吸い込む、小川のせせらぎ。

 沈黙の中を、鳥の鳴き声がかすめていく。


 「本当に知らないみたいね。 とんだ無駄足だったわ」


 フンと失笑。

 縁側にあがった美月は、畳の居間の奥へと消えようとする。


 「私は帰るわ」

 「待て」


 六条の言葉に、振り返ることなく足を止めた。


 「もし、あやめが日本に来るとするなら、彼女をどうする気?

  まさか、殺すの?」


 美月は淡白に答えた。


 「言ったはずよ。

  人を使ってできることは、自分からやらないって。

  あの女に、自分の手を汚すだけの価値はない」

 「なら、どうして?」

 「どうやら、私のフィアンセは、まだ昔の女に未練があるみたいでね。

  彼を縛り上げるために、あやめの情報が知りたかったのよ。

  あの女に出会わないようにね」


 最後に、と六条は水瀬に問う。


 「件の元フィアンセはどうしてる?

  アンタのことだから、近寄れないように、どこかに隔離でもしてるんだろうけど」

 「人聞きの悪いこと、言わないで?

  彼は今、クアラルンプールよ。

  後一週間は帰ってこないけど、単なる個人旅行で、私がどうこうしたことじゃないから。

  では、ごきげんよう。 嫉妬深い半人半霊さん」


 建物の奥へと消える美月を、睨みながら見送った六条に、山本はようやく咳払い。


 「私は君の話を信じることにする。

  とにかく、君は浜松の事件の調査を、引き続き行ってくれ」

 

 まだ、美月に対する怒りを持っているようで、山本に強く当たってくる。


 「いいんですか、私で。

  式神を飛ばして、四六時中監視でもしますか?」


 しかし、山本は苛立ちながら答える。

 

 「お前を信じると言っただろう。

  日本語が通じないのか、貴様は。

  それに、我々はラスベガス事件の処理で忙しんだ」

 「隠ぺい工作、の間違いでは?

  全て、あやめちゃんのせいにして、自分たちはカヤの外を決め込んだが故の後始末。

  あなたこそ、日本語分かってないんじゃありませんか?」

 「御託はいい。

  本来なら、お前も浄蔵じょうぞうと共に、遠野に派遣し、海外の妖怪連中に事情を説明する予定だったのを、こうして特別任務に回してるんだ。

  自分がするべきことを、見誤るんじゃない」

 「……」


 言葉を返さない六条をその場に、山本は回れ右で、無鄰菴を出ていこうと歩き出す。


 「すぐに浜松に戻り、トクハンの動向を探り続けろ。

  ノクターンが来るか否かも含めてな。

  分かったら、すぐに行け。

  この刀を、我が怒りに任せて抜く前に」


 下駄の足音が遠退き、そして、誰もいなくなった。


 「ええ、分かってますとも……」


 せせらぎの中、六条は歩き出し、庭園の前で夕焼け空を仰いだ。

 心の中をすくうように、群青の残る空を、雲は橙色になって泳ぎ続ける。


 「うらやましいよ、あやめちゃん。

  こんな狂った箱庭から、一抜けしちゃって……」


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