3 リスボンの朝…ノクターン始動
2日後――
現地時間 AM6:53
ポルトガル・リスボン
夜も開け、朝陽がリスボンの街を照らし出す頃、ノクターン探偵社社長、エリス・コルネッタは、愛車に乗ってドライブにしゃれこんでいた。
青のルノーアルピーヌ A110 。
全長17.2キロ。
テーション河にかかる、ヨーロッパ最長のヴァスコ・ダ・ガマ・ブリッジを、小さな四つ目のマシンが、優雅に走り抜けていく。
車内で流れるリック・アストリーの Never Gonna Give You Up に、ハンドルを握る右手人差し指でビートを刻みながら。
サビをハミングで口ずさむ、自分の時間を切り裂く着信。
助手席に放り出されたiphoneを見ると、画面にはアヤの文字が。
すぐに、ステレオの音量を落とすと、右耳のワイヤレスホンを通話状態に。
「アヤ?」
――今、どこ?
「ヴァスコ・ダ・ガマ・ブリッジよ」
――ジェロニモス修道院の前で落ち合えないかしら?
仕事が入ったの。
「分かった」
電話を切ると、エリスは愛車を、制限速度の120キロまで加速させ、一気に橋を渡った。
集合場所となったジェロニモス修道院は、ノクターン探偵社の事務所のすぐ近くにある観光名所で、ここからなら30分とかからない。
荘厳なマヌエル様式の真っ白な建築物は、生まれたての太陽を浴びて朱に染まっている。
修道院の前を走る道路。
路肩に、幼さの残る黒髪ショートの女の子、姉ヶ崎あやめと、もたれかかっている彼女の愛車、白のニスモ フェアレディZを見つけると、A110をフェアレディの前にゆっくりと停車させた。
「また、リック・アストリー聴きながらランデブー?
ソウルフルな歌声で、すぐに判ったわ」
「渚のアデリーヌを聞くほど、私は湿っぽいドライブはしないわよ」
腰まである長い茶髪と、首に光る赤い十字架のペンダントをなびかせ、愛車から降りてきたエリス。
互いに微笑むと、あやめが切り出す。
「コーヒー飲む? マクドナルドのだけど」
「いただくわ」
屋根に載せていた、コーヒーカップを受け取りながら
「で、その仕事ってのは、副業の私立探偵?
それとも、本業の探偵の方?」
汗を噴く透明なカップに、並々注がれた氷とアイスコーヒー。
むしろコーヒー入りアイスと言わんばかりの薄いビターな味も、可も無ければ、不可でもなく。
別段、モーニング・ルーティーンにこだわりのないエリスにとって、味も店も、どこでもいいというのが、率直な感想だった。
「本業よ。 ノクターン探偵社の本業」
「怪奇事件絡み?」
そう聞かれ頷き、あやめは続ける。
「依頼主は、私の高校時代の旧友」
「というと、日本か」
「今は、静岡の学校で、絵の勉強をしているわ」
「シズオカ……」
エリスには、その単語に聞き覚えが、否、何の事件で依頼が入ったのかを即座に理解した。
「まさか」
「その、まさかよ。
CNNすらトップニュースで報道した、列車蒸発事件。
アレを解決してほしいって依頼なのよ」
そう聞くと、顔をにやけさせるエリスだった。
「願ったり叶ったりね。
消失事件なんて、怪奇の匂いがプンプンするもの。
私達が追い求めてる怪奇の根源、アカシックレコードを突き止めるヒントになる事件のはずよ」
「まあ正確には、消えた乗客の1人を救って…だけどね」
「乗客?」
あやめは言う。
「依頼主の妹が、その消えた列車に乗っていたそうよ」
「なるほど、メインは依頼人の親族の奪還…か。
それでも難易度高めなのは変わらないわね」
「私達の仕事に、難易度低めなんてチート設定、あるわけないじゃない?」
「違いない」
2人は互いにコーヒーを一口。
ただ冷たい感触が喉を伝う。
「でも、列車が簡単に消えるなんて、私もバチカンの頃に出会ったことのない種類の事件だわ。
ハリー・フーディーニの奇術を暴くより、難しい仕事になりそう……。
アヤは、どう思う?」
エリスが、あやめの横で同じように、車にもたれかかる。
その眼前を、低床車体の路面電車が静かに通過していく。
「西村京太郎の書いた“ミステリー列車が消えた!”って言う推理小説。
昔読んだ、あの本を思い出したってのが、率直な印象かしら。
行先不明の特急が、線路上から忽然と消え、乗客を誘拐した旨の脅迫が鉄道会社に入るっていうお話」
「ふぅーん…」
「でも、そのトリックは、荒唐無稽かつ奇想天外。
廃止された駅で客を降ろし、別の特急のマークを先頭車に取り付けて、車庫に戻す。
なかなか面白い仕掛けなんだけど、現実問題、再現するのは不可能よ」
「しかし、今回の犯人は、難なくソレをやってのけたって訳だ。
客を降ろすことも、別の列車に偽装することもなく。
線路上から、完全に車両と人間を消し去ってね」
乗り物の絡んだ消失事件――。
バチカンでの経験豊富なエリスは、その脳内からいくつかの事例を引っ張り出していた。
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