第四十九話 やっぱり、何もしてくれないじゃないですか

「なによー、結局、待ってりゃ柴田消えたんじゃん。わたしたちの苦労はいったい何だったのー」

 水着姿の怜子が、パラソルの下で体育座りをしている与那に向かって管を巻いた。

「そんなことないよ。わたしたちが相談したから、あんなに早く消えたんだよ」

 苦笑する与那も水着だ。

 蓮台寺が「大学での学修を効率よく進める委員会」に入ってから三度目の「お泊り会」。温泉から海が見えるので有名な街まで委員会は遠征に来ていた。もう夏休だ。


 蓮台寺たちが西山助教に相談しに行くと、そのあとはとんとん拍子だった。

 西山助教は蓮台が女子を四人も連れてきたことに驚愕していたが、ことがことだけに、すぐに蓮台寺を研究室から叩き出して女子四人から事情を聴いた。

 西山助教は、もちろんハラスメント委員会に事態を報告した。直接の上司である加藤教授にも、だ。

 テスト期間中は何も起こらなかった。ただ、「大学での学修を効率よく進める委員会」ご謹製のノートが多数の学生の役に立っただけだ。カンニング犯罪者リストはお蔵入りになった。

 テストが終わると、すぐに柴田教授から西山助教にお呼びがかかった。そこで、柴田教授は西山助教に「学生のたわごとにつきあっている暇があったら、男とつきあったらどうだ」などと言い、本気で西山助教を怒らせることになる。

 西山助教は、手当たり次第に柴田教授のセクハラ発言を言いふらした。すると、次から次へと被害者の声が集まってきた。

 柴田教授の致命傷につながったのは、柴田教授がミスをした女性事務員を無理やり食事に誘っていたことが明るみに出たことだった。その事務員は、すでにハラスメント委員会に提訴していたが、ハラスメント委員会は現職の学部長だということで、あまり意欲的には調査していなかった。しかし、西山助教と四人の学生のセクハラ被害が申し立てられたことで、ようやく本気を出したようだった。

 ハラスメント委員会は、柴田教授を「有罪」と認定した。そして、柴田教授は学部長を辞め、次いで退職することとなった。


「待ってるだけじゃあ、与那の気持ちの整理がつかなかったわ」

 ビーチボールを頭の上に乗せた水着姿の円香はいつの間にか与那のそばまで来ていた。

「だな!」

と、茉莉。茉莉はライフセーバーもかくやの見事な肉体美だ。

「結局、与那が一人で解決しちゃったってことよねー」

 怜子が伸びをしながら言った。

「え? なんで? わたし何もしてないよー」

 と与那が手をぶんぶんと振る。

「伊都くんを巻き込んだじゃない」

 円香が与那を軽く睨んだ。

「どう考えたって部外者の、一年の、しかも男子を巻き込むなんて、思いもしなかったわ」

「だな。どうやって伊都くんを引き込んだんだよ? あいつ、いろいろと一生懸命だったぜ? ま、あたしにもだけどな!」

 茉莉は自慢げに言った。

「あらー、茉莉。奇遇ね。伊都くんはわたしにも一生懸命よ?」

 怜子も負けていない。

「……わたしなんて、抱きしめられたことあるし」

 円香が小声で言った。しばらく、その場を沈黙が支配した。

「それは聞き捨てられねーな。ま、あたしが抱きしめたら伊都くんなんて逃げられねーし!」

 茉莉がよくわからないことを言い始めた。

「ええ、そうね。伊都くんなら、わたしが言えばいくらでも抱きついてくるわ。なんのアドバンテージにもならないわね」

 怜子などはもはや蓮台寺をイヌ扱いだ。

「わたしなんて……なんでもしてあげるって言った……」

 与那がぼそっとつぶやいた。また、その場を沈黙が支配した。

「それは年頃の男子にはちっと刺激が強すぎんじゃねー?」

 茉莉が笑いながら与那を叩く。痛そうな顔をする与那。

「で、ナニをしてあげたのかしら?」

 怜子の声が心なしか上ずっている。

「まだ……何もしてない……」

 与那の声は消え入りそうだ。

「べっつに、何もしなくていいんじゃない? 伊都くんも忘れてるでしょ」

 円香がこともなげに言った。

「だな。あいつはそういうトボケたヤツだぜ」

「そうね。無理にナニかしてあげることはないわね。お互いにツラいわよ」

 急に、与那は立ち上がった。

「蓮台寺くんのところに行ってくる」

 そう言って、与那は駆け出した。

「そういうとこ、ほんと、よくわかんないわ」

と、円香はため息をつきながら見送った。


 蓮台寺は、先輩たちから注文されたフランクフルト、焼きそば、ドリンクを購入するため、浜茶屋にいた。焼きそばがちょうど出来上がったところで、与那がやってきた。

「蓮台寺くん、話があるの」

「はあ。なんでしょう」

 蓮台寺はフランクフルトと焼きそばの入ったビニール袋と、人数のペットボトルの入ったビニール袋をそれぞれ手にもった。

「わたし、なんでもしてあげるって言ったよね」

「あー、そういえば、そうでしたね。でも、結局、あのリストは配布しませんでしたし、ぼくも与那さんのお手伝いできた気はしないんで、いいです」

 何度も同じ冗談は通用しないとばかりに蓮台寺がとぼけた。すると。

「よくない!」

 与那は急に大きな声を出した。周囲の人々が驚いて二人を見る。

「何か言って。なんでもしてあげるから」

 蓮台寺は、しばらく考えてから、言った。

「わかりました。じゃあ、みんなと同じように、ぼくも名前で呼んでください」

 与那は無理難題を言われるかと思い覚悟していたようだった。

「……それだけでいいの?」

「いえ、実はまだあります」

 そう言うと、蓮台寺はペットボトル一本差し出した。

「自分の分はもってください」

 与那は、それを受け取ると、笑った。

「あれー? 蓮台寺くんって、先輩にそんなことさせるキャラだったー?」

「先輩、名前呼びですよ」

 蓮台寺が注意すると、与那は顔を蓮台寺からそむけた。

「ムリ。今はまだ」

 今度は蓮台寺が笑った。

「やっぱり、何もしてくれないじゃないですか」



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