第四十八話 ……その案を採用します
「だって、それ、加藤先生のテストだけじゃないですか。あまり意味があるようにも思えないんですが」
蓮台寺は正論を説いた。
「いや、ある。一つでも集団カンニングをさせれば、学部の大問題」
与那は鋭く言った。
「そうかもしれませんが、ぼくたちのリスクも大きいですよ。柴田先生に復讐するなら、ぼくたちが先に潰れるわけにはいかないでしょう」
「と、言うと? 何かほかにいい手があるの?」
円香が隅っこにいた蓮台寺の隣に移動してきた。蓮台寺は思わずたじろぐ。
「やっぱり、きみはおバカさんね。与那がどういう思いだったか、聞いたでしょ。泣き寝入りなんてイヤよ」
円香が蓮台寺を睨む。蓮台寺は、大きく息を吸うと、言った。
「この前の柴田先生との面談で、柴田先生はかなりあせっているのではないか、という気がしています。それまでは一対一だったのが、ぼくがいたわけですから」
「だがよ、『一人で研究室に来い』って一回言っただけだって言われたらよ、たいした問題でもねーっていわれそうじゃん」
茉莉が腕を組みながら指摘した。
「それはそうですが、ぼくがハラスメント委員会に提訴するのではないか、と不安に思っているはずです。たたみかけるチャンスです」
「ハラスメント委員会に提訴ってこと? 信用できなさそうだけど」
怜子が呆れ顔で蓮台寺を見た。わかりきったことを言うな、と言いたそうだ。
「学内のハラスメント委員会が信用できなくても、信用できそうな先生に相談してみるって手はあると思います」
「そんな先生、いるの?」
円香が疑わしそうに蓮台寺を見た。
「加藤先生と西山先生。あの二人なら、もみ消すということはしないでしょう」
「マジかよ。加藤って言やー、おめーのカンニングを見つけたヤローだろ。ムカついてんじゃないのか?」
茉莉が驚いたように声を出した。
「西山先生って、あの?」
それまで黙っていた与那が口を開いた。
「ぼくのカンニングを直接見つけたのは西山先生で、そのあと……怒られました」
セクハラを非難されたとは言いにくい。
「なんていうか、融通が利かないというか、正直、あまり会いたくはないんですが、セクハラには敏感なのははっきりしてて……」
蓮台寺はしどろもどろだ。
「へー。西山先生に詳しいんだ、蓮台寺くんは」
与那が突っ込む。
「詳しくはないんですが、一度、研究室に呼ばれたことがあるというか」
蓮台寺は、西山助教と研究室で話したことを思い出した。そのときは、西山助教を耐えがたいと思ったし、ムカつきもした。しかし、柴田教授との面談と比べれば、西山助教が真摯に蓮台寺のことを慮っていたことが、はっきりとわかる。今でも重過失を故意とみなされたことに蓮台寺は納得していない。しかし、今は、西山助教を正当に評価できる。そう蓮台寺は思った。
「その、西山先生ってのはナニモンだよ」
と、茉莉。
「加藤先生の助手みたいなのをやってる人なんだけど、なんていうか、こう」
与那は自分の胸の周りに大きく弧を描くようなジェスチャーをした。
「男子学生に人気の女子教員、か」
怜子が意味ありげな顔つきで蓮台寺を見た。
「……何かあれば相談しに来ていい、と言われているので」
蓮台寺は消え入りそうな声で言った。
「ふーん、じゃ、蓮台寺くんは、西山先生に相談すればいいんじゃないかって、そういうことね」
そう言って、与那は腕を組んだ。
「で、カンニング犯罪者リストを配布するのをやめろってことね」
「はい。まあ……そうです」
蓮台寺が答えると、突然、与那は立ち上がった。
「それじゃダメ! わたしが柴田先生に何をされたか、蓮台寺くんはぜんぜんわかってない」
与那は叫んだ。
「押し倒されただけじゃない。夢も奪われたの。文学者になるっていうわたしの夢。大学の先生になるっていう夢」
与那の両手はきつく握りしめられている。
「あんな柴田先生みたいな人が、新書なんて書いてて、有名な研究者で、それで学部長で、好き放題やってて、許せないよ。だから、わたし、柴田先生を受け容れようとした。そうすれば、夢は夢のままだって」
与那の目から涙がこぼれた。
「GPAを高くしようとしたのも、大学院に進学するときのため。優秀な学生だったって思われたかった」
与那は力なくそうつぶやくと、ソファーにへたり込んだ。
「でも、ダメだった! やっぱりダメ! そのことを教えてくれたのは蓮台寺くんじゃない。わたしの小さい頃からの夢よりも、今のわたしの気持ちだって」
そう言って、与那はすすり泣き始めた。
円香が、与那の隣に座り直して、その肩を抱いた。
「与那。じゃあ、なおさら、柴田を倒さないと。その前にわたしたちが大学から排除されたら意味ないわ」
「だな。カンニング犯罪者リストは、いつでも使えるっちゃ使える」
茉莉はそう言って、頭の後ろに腕を回した。
「そういうことなら、アンケート募集に協力してもらった人たちには、『ちょっとした冗談』って伝えとくけど?」
怜子が円香の隣に座りながら言った。
「与那さん、ぼくは、柴田先生とあのとき話して、『先生』って本当に色んな人たちがいるんだなって思いました。杓子定規で、思い込みで人を責める人もいれば、融通を効かせる代わりに人を思い通りにしようとする人もいる」
蓮台寺がそう言うと、与那が涙で濡れた目を蓮台寺に向けた。
「信用しすぎてもよくないし、信用しなさすぎてもきっとよくない。相談してみましょう」
与那が円香から渡されたハンカチで涙を拭いながら言った。
「……その案を採用します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます