第四十三話 そんなところです
柴田教授の研究室はすぐそこで、迷いようはない。
先生として好きなのか異性として好きなのかは違うという蓮台寺の指摘に対して「どっち」かわからないのだろうか。それとも、何かほかのことだろうか。蓮台寺にはつかめない。
何にしても、蓮台寺は、とにかく前進させなければ、と思った。選択は、今、行うものだ。
「今の与那さんの気持ちがすべてだと思います」
与那は蓮台寺の顔を見た。蓮台寺はいつものように目を逸らした。
「今のわたし、か」
そうつぶやくと、与那は歩き始めた。追いかける蓮台寺。
約束の時間に、少し遅れていた。
「少し遅刻だが、大目にみよう」
与那が研究室に入ると、柴田教授は作業していた机から目を上げざまに言った。
書棚にはぎっしりと本が詰まっており、部屋はきれいに整頓されている。中央には長机が置いてあり、パイプ椅子が三脚、柴田教授の座っている机に向かって並べてあった。研究室というよりも、応接室のようだ。
柴田教授は、与那に真ん中の椅子に座るように促した。
与那は、いつもの表情、つまり感情を表に出さない無表情で、椅子に座った。
柴田教授は、与那に続いて入ってきた蓮台寺に気づくと、眉を上げた。
「きみのことは覚えているよ。先週の授業で積極的に発言した学生だね。で、質問かね? わたしは名立さんと話があるんだが」
ようするに、出て行け、ということだ。
「……名立さんについてくるように言われまして」
蓮台寺は努めて平静に言った。柴田教授は、驚いたような顔をして、一瞬、止まった。与那が誰かを、それも男子を連れてくるとは思いもしなかったに違いない。
「……すると、きみは名立さんの彼氏かな?」
彼氏や彼女がいるかなど、教師が聞くことではない。しかも、男女が二人一緒に来ただけで彼氏彼女と憶測するなど、飛躍だ。
「いえ、違います。ただの付き添いです」
蓮台寺は、彼氏の真似をするな、と言った与那の言いつけを守った。
ふむ、と、柴田教授はつぶやいた。その顔には、安どのようなものが見えた。
部屋には香水のような匂いさえ漂う。柴田教授は夏用の涼やかなスーツで、いかにも洒落ている。それに対し、蓮台寺はかろうじてシャツを着ているというレベルに等しい。比べれば、いかにも、大人の男と子どもに毛が生えただけの男子だ。かたや高級車に乗っているにちがいなく、かたやせいぜい自転車だ。蓮台寺は、少なくない女子学生が柴田教授に好感をもつのがわかる気がした。ただ、それはあくまで外見の話だ。
「名前を聞いておこうか」
蓮台寺が名乗ると、柴田教授は、手元の端末を操作し、しばらく端末の画面を眺めた。画面は、蓮台寺や与那のいるところからは見えない。
「出席停止の蓮台寺くんか。なぜ大学に出てきてるんだ? 来ちゃいけないはずだろう」
そう言って、柴田教授は蓮台寺を睨んだ。
与那が硬直するのもわかる。かなりの威圧感だ。
「登録している授業に出てはいけないだけと思いまして」
出席停止は、その期間中、「欠席」扱いとなるという罰だ。もしその間に小テストなどがあれば受けられず、マイナス評価となる。逆に言えば、その程度の不利益しかない。出席停止期間に授業に「潜」っていたからといって、何らかの罰が下るとは通常、考えられない。
蓮台寺はなんとかこらえた。ここは、授業に熱心な学生という外面をかぶり続けるしかない。
「……まあいい。しかも一年生じゃないか。先週の授業は『潜り』だったのか」
「先生の授業の評判を先輩から聞いて、これは潜らないといけないな、と思いまして」
嘘はついていない。
「そんなに熱心な学生がカンニングとは。あるいは、カンニングをしたから反省したのかな?」
「そんなところです」
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