第四十二話 どっちだろう

 「お泊まり会」は、あの後、単なるカラオケパーティーとなり、朝方に解散した。


 水曜日の午後、蓮台寺は、与那と学生談話室で待ち合わせしていた。

 柴田教授との待ち合わせは午後一時。与那との約束は、その十分前だ。与那の几帳面な性格からすれば、時間通りに来るはずだ。

 与那は、セクハラを受けたことを自分の責任と考えようとしている。つまり、GPA欲しさに柴田先生に近付いたからセクハラにあった、と。そう蓮台寺は考えた。痴漢された人が、自分に隙があったと思うのと同じだ。

 柴田教授は、与那の心を縛りつけた。与那が先生という立場の人間に簡単に心を許すから、柴田教授はそうできた。出会って一年未満で、教員と学生という立場を超えた結びつきなど得られない。では、なぜ、与那は先生に簡単に心を許すのか? 蓮台寺の疑問はそこに行きついていた。

 蓮台寺の思考が何度か堂々巡りをしはじめた頃、与那がやってきた。学内で他の学生の目があるところで会うのは初めてだ。以前の蓮台寺なら、異性と二人だけで待ち合わせるという事態にドギマギしっぱなしだったろう。彼氏と周囲に誤解されるかもしれない。しかし、今は蓮台寺が自分自身で意外に思うほどに冷静だ。

「与那さん、おつかれです」

 蓮台寺は業界人のようなあいさつをした。

「あ、うん。おつかれ」

 与那の表情はいつもと変わらない。だが、今の蓮台寺には、簡単に作られた表情だとわかる。誰にも心の中を覗かれないようにするための無表情。

 学生談話室には何人かの学生がおり、談笑していた。

 行こうか、と与那が言ったので、二人は談話室を出た。

 柴田教授の部屋は、研究室棟という別の建物にあり、蓮台寺たちの今いる講義棟と渡り廊下でつながっている。

 昼休みが終わり、人気がなくなった渡り廊下を二人が歩いていると、与那が口を開いた。

 「わたし、本当は柴田先生のことが好きなのかな」

 蓮台寺は与那の顔を見た。やはり何も読み取れない。

 ふつうに考えれば、セクハラ教員を好きになるというのはおかしな話だ。だが、通り魔的な痴漢とは異なり、教員と学生とのあいだには、何らかのつながりがある。例えば、授業とは教員の個性そのものだし、学生はそれにいくらか感化されたり、あるいは拒否の感情をもつものだ。それが与那を混乱させている。

 蓮台寺は少し考えてから言った。

「先生として好きなのと、異性として好きなのとは、別じゃないですか」

 蓮台寺は恋愛経験豊富ではまったくない。ただ、失恋に似たことはあった。中学生時代、担任の女性教師に気に入られたくて猛勉強し、成績を急に上げたことがあった。そのとき、座高が高いから他人の答案を覗き見ていたんじゃないかと、その教師に軽口を叩かれ、それから人間不信に陥った。本当にカンニングに手を染めるようになったのは、それからだ。クラスで一番の成績なら、誰も「他人の答案を覗き見た」とは疑わない。

 そして、教師と生徒はあくまで上司と部下のような、一方的な関係だ、と蓮台寺は思うようになった。部下がいくら上司のご機嫌をとろうとそんたくしても、上司は気まぐれに部下を翻弄する。気に入られたければ、誰よりも業績を上げるしかない。そうすれば、不正を疑われることもない。疑えば困るのは上司だからだ。

 与那は「先生」に気に入られたかったのだろう。だが、大学では、それまでの学校とは異なり、「生徒」ではなく「学生」。年齢的にも「大人」だ。つまり、守られるのが当然の「子ども」とは違う。大学に入っただけで、心がそれまでとは別モノになるわけではないのに。

 「先生として好き」な気持ちを「異性として好き」に勘違いさせて「大人」未満の学生を毒牙にかけるのは、一部の「先生」業の人間にはたやすいことなのだろう。優等生の与那はいい獲物に見えたに違いない。しかし、追い詰めた先で逃げられてしまった。その獲物は傷を負い、まだ獣の目から逃れられたわけではない。

 与那は柴田教授を先生として好き、あるいは好きになりはじめていたのは間違いないだろう。しかし、手荒に性欲の対象として扱われたことで、異性として意識させられ、混乱している。そう、蓮代寺は分析していた。

 異性として憧れた気持ちが、教師の心ない一言でくだかれ、失恋にすら至らなかった蓮台寺。先生として憧れた気持ちがセクハラで異性に対する感情に変換されてしまった与那。

 蓮台寺は意識していないが、与那とは逆だ。異性として好きだった相手に、蓮台寺は先生として不信を抱いた。結果、女性教員というカテゴリーの人間が信じられなくなった。ならば、与那はどうなる?


 与那が足を止めた。柴田教授の研究室は目と鼻のさきだ。約束の時間まで、あと五分。

 与那はつぶやいた。

「どっちだろう」







 



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