第三十八話 みんな、楽しそうだね。うらやましい

「建物と、授業があればそれでいい。もし、学部がなくなれば、学部が成績や卒業を判定するためのテストもなくなる。学長がテストを続けても、そんなの、カンニングの慣行があれば関係ない」

と、与那は続けた。

「しかし、教授陣は研究もされているのでは? 学部の独立性がなければ、教授の研究の専門性を誰がどうやって担保するんですか?」

 蓮台寺は食い下がった。大学が独立性を保障されてきているのは、専門家集団である学部が研究を評価するためのはずだ。学部が存在しなければ、専門性を判断する主体が存在しないことになり、結果、アカデミズムが崩壊するのではないか。

「学長よ。実際、学長に権限が集中するように制度は改正されているわ」

 与那は大学の制度に詳しいようだ。

「しかし、学長の専門と、教授の専門はまったく違うこともあるじゃないですか。とくに総合大学では」

 例えば、学長が医学部出身の場合。経済学部や法学部、教育学部、そして人文学部の研究をどうやって評価するというのか。蓮台寺は疑問に思った。

「それでもいいのよ。専門性は、それぞれの教授が個人的に、学会とのコミュニケーションとかで維持すればいいの」

 無茶だ、と蓮台寺は思った。

 確かに、研究者同士のつながりである学会は、研究を個人的な修行ではなく集団的な追求として陶冶するための主軸の一つだ。しかし、学会は研究者に給与を支払わない。給与を支払うのは研究者それぞれの所属機関であり、それが生殺与奪を握っている。仮に与那がいうように学長が一手に大学の研究者の生殺与奪を握れば、どうなるか。いくら学会があったところで、分野に関係なく学長をとにかくヨイショする研究者しかいなくなるなら、アカデミズムの将来は暗い。

「大学が研究者をきちんと評価できなくなるなら、大学の存在意義自体が問われますよ」

 そうなれば、大学は、単に一定のカリキュラムを教え込むだけの学校にすぎない。せいぜい中途半端な就職予備校だ。研究機関ではなくなる。

「どうせ、少子化で二十年後にはつぶれるよ」

 与那は悪びれる様子もなく言ってのけた。

「本気でカンニングを防止しようと思ったら、あらかじめランダムに受験番号を割り振って座席指定しなきゃダメ。でも、それをする人がいないんだって。事務員はすでに過労状態、教員にさせてもいいけど、その分、研究や教育ができなくない」

 与那は、大学というものを、よほど腹に据えかねているのだろう。

「それで、『不正行為には厳正に対処』ってお題目ばっか唱えててさ。真面目に考えれば考えるほど、フザケンナってかんじじゃない?」

 そう言って、与那は蓮台寺を見つめた。

「とくに、『厳正に対処』されちゃった蓮台寺くんは、そう思わない?」

 蓮台寺は言葉に詰まった。

 蓮台寺は、大学で積極的に何かを学ぼうと思って進学したわけではなかった。単に、自分の成績からネームヴァリューや学費、生活費から最も費用対効果の高そうな大学・学部を選んだにすぎない。

 だが、だからといって、与那ほど大学に絶望してはいない。

 与那以外の「委員」は、どうか。

「みなさんも、委員長と同意見なんですか?」

 蓮台寺は周りに座っていた円香、茉莉、怜子を見回した。

 円香は、黙って与那の演説を聞いていたが、手元のグレープフルーツジュースを一口すすると、自分の意見を開陳した。

「少なくとも、人文学部はいらないでしょ。心理学とか、統計使うけど、そんなの、経済学部でもやってるし」

 茉莉も負けていない。

「経済学部もいらないな。しょせん、机上の空論じゃね? ほんとの経済の動きなんて、ノーベル賞級の経済学者でも読めないんだから、意味ないじゃん。でも、教育学部はいるぜ! なんたって、人間をつくるのが教育だからな!」

 怜子も黙っていない。

「はあ? 教育なんて誰だってできるでしょ。親をやるのに免許がいらないのと同じ。わざわざ教育学部なんて必要はない。必要なのはルール。ルールがないと争いになっちゃうわ。争いこそ最も不毛よ」

 円香が割り込んできた。

「ルールよりも前に経済。経済が回らないと、争いのまえに飢えて死にかねない。歴史的に、争いの火種は、ルールが適切かどうかよりも経済の停滞によって招かれているわ」

「いや、教育の不足だね。きちんと教育されなかったから、バカなヤツが増えるんだよ!」

 円香、茉莉、怜子の言い争いを尻目に、立ち上がっていた与那は、隅っこに座っていた蓮台寺の隣に座った。そして、力なく笑いかけた。

「みんな、楽しそうだね。うらやましい」


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