第三十七話 そ。学部なんて必要ない

「おいおい、マジかよ……」

 茉莉は、怜子から手渡された書類を確認し始めた。円香も息を呑む。与那は、その様子を横から覗き込んでいた。

「わたしの『ファン』十人にお願いしたら、なんと、十人とも十人分集めてきちゃいました! 十かける十は百!」

 アルコールも入っていないのに、怜子のテンションは高い。

「……重複かぶりあるじゃねーか」

 茉莉は「会計」らしく眉間にしわを寄せた。

「えっ……そりゃ、わたしの『ファン』だから、多少は交友関係被るんじゃない。だめ?」

 怜子のテンションは急激に下がった。

「でも、待って。重複を外していくと……」

 与那が書類を茉莉から引き取り、重複する名前を消していく。すると。

「全部で七十五名ね。で、わたしも入れると、ちょうど過半数! わたしはカンニングさせる側だけど」

 与那は満足そうにつぶやいた。円香が、おおー、と軽く拍手する。

「こんなにカンニングしたい人っているものなの? 全然理解できないわ」

と、リスト作成の張本人の怜子が不思議そうに言った。

「単にノートが欲しいからサインアップしたという人も多いかもね。でも、流出すれば十分にインパクトのある機密文書ができたわ」

 円香がうれしそうに言った。

 それを見てうなづいた与那は、おもむろに立ち上がり、話し出した。

「みんなのおかげで、二年生七十六人分と一年生十一人分の『カンニング犯罪者リスト』が出来上がりました」

 与那の話を聞きながら、蓮台寺はくだんのアンケート用紙を一枚、取り出して見てみた。そこには、名前と連絡先、「わたしはカンニングを行います」や「他人から答案を見られることに同意します」といった言葉の脇に添えられたチェックボックスなどがあった。もちろん、チェックが入っている。また、「注意書き」には、ノートは、メールやメッセージに添付して配布とある。なりすましや偽装は難しそうだ。リストに名前と連絡先を書いた者は、話を持ちかけた亜有利や怜子のファンと直接の面識があるはずだからだ。嘘をつけば簡単にバレる。しかも、リストの学生がさらにこのアンケートを使ってノート希望者を集めていけば、マルチ商法のように「カンニング犯罪者」を増やすこともできそうだ。

 質の悪いおふざけのようにしか見えないが、あまりの質の悪さから、十分に学内で問題になりそうだった。

「一回でこれだけ集まるとは思っていませんでしたが、予想以上に、人文学部の崩壊は進んでいたようです」

 崩壊? テストからの解放が目的と言っていなかったか。どちらが本当なのだろうか、蓮台寺は疑問に思った。

「今後の進行ですが、まず、このリストのメンバーに、わたしたちの『大学での学修を効率よく進める委員会』のノートを配布します」

 二年生用には与那が、一年生用には蓮台寺が準備した渾身のノートがある。

「一年生にこの福音がもたらされるのは、蓮台寺くんのおかげよ。亜有利ちゃんのノートったら、論外だからね」

 そう、与那は蓮台寺に向けて言った。しかし、ノートの配布だけでは与那の望む「カンニングし合う」慣行の成立には届かない。

「そして、このリスト自体も配布します。このリストにあるメンバーの答案は見てもいいと了承がとれています。これからは、同じような答案を超えた、『ほぼ同じ答案』が量産されることになるでしょう」

 なるほど、と蓮台寺は思った。総勢七十五人のカンニング組合。一蓮托生。オフ会みたく、リストの学生があらかじめ何人かで申し合わせて、テストのときに固まって座れば、それだけでカンニングの準備が整う。持ち込み物件があろうが、なかろうが、関係なく、この手のカンニングは可能だ。蓮台寺が最も許せないテストの不正が。

「これで、人文学部はテストという悪夢から解放されるのです!」

 「テストからの解放」という建前は、サインアップ勧誘のためならばともかく、はたして柴田への復讐のために組織された「大学での学修を効率よく進める委員会」のメンバーにも必要なのだろうか? それに、明らかにおかしなところがある、と蓮台寺は思った。このまま、与那の企みを実現させるわけにはいかない。

「すみません、与那さん。いや、委員長。カンニング希望者が多いのは人文学部の崩壊を示していると言われましたが、人文学部の崩壊とテストからの解放って、つながるんですか?」

 与那は、うんうん、と頷いた。

「さすが蓮台寺くん。いいところに気が付いたね。そうよ。テストから解放されれば、人文学部は崩壊する。だって、そうでしょう? テストが成り立たない学部なんて、意味がないわ。残るのは、授業だけ」

「つまり、『大学での学修』には、学部は必要ない、と?」

 蓮台寺は与那の、そして「大学での学修を効率よく進める委員会」の、闇をついに見た気がした。

 与那は、あっけらかんと答えた。

「そ。学部なんて必要ない」

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