第三十一話 あたし、男運ないのかなー
「はあ? 何言ってんだ」
茉莉が怪訝そうな顔をする。すると、外からスライドドアを閉めて運転席に戻っていた精悍な男がエンジンを始動させながら言った。
「それ、漫画のことですよ。もうだいぶ前のですけど。ギャンブルの」
確かに原作は古いかもしれないが、最近は映画化されているのに、と蓮台寺は思いつつ、走り出した車内でふたたび不安にかられていた。いったい、どこに連れていかれるのだろう。
二時間近くたっただろうか。すぐに高速道路に入ったバンは、富山県に向けて走り出し、立山ICで高速道路を下りた。それから一度、ドライブインでトイレ休憩をして十四、五分経っている。
車は、山中の舗装道路を順調に進んでいた。
車内は無言、ではなかった。茉莉と蓮台寺以外の男二人がとりとめのない会話をしていた。最近モデルチェンジした車がどうの、バイクがどうの。共通の話題のない蓮台寺はまったく入っていけないでいた。どこに向かっているのか聞いても、茉莉はそのうちわかる、の一点張りだ。男たちも何も言わない。
山奥で拉致監禁。蓮台寺の心にふとそんなことが去来したが、何の得もないはずだ。蓮台寺の実家は、借家住まいで、金があるようには思えない。
「昨日、雨が結構降りましたからね。いいかんじじゃないですか」
と、運転席の男が言った。土が湿気ていて掘りやすい、ということだろうか。何を埋めるのだろう。
「そうだな。今日は晴れてるし、もしかしたらもしかするかもな」
と、茉莉が車の窓から空を見ながら言った。
蓮台寺はその隣で縮こまっていた。
「
角間が後ろの席から蓮台寺を睨んだ、と蓮台寺は思った。
「角間、おまえは何もわかってねえみたいだな」
運転席の男、中條は呆れたようにため息をついた。
「茉莉さんが男をおれたちに会わせたことがこれまであったか?」
オトコ? 蓮台寺は
「ね、
角間が情けない声を出した。
「ばっか、中條。そんなんじゃねーよ。角間もわけわかんねーことゆうな」
そう言いながら、茉莉は窓の外を見続けていた。
それからしばらくして、道路は二股に分岐した。案内標識によれば、南が富山地方鉄道の立山駅、東が「称名滝」だ。
バンは東に進路を取った。しばらく行くと、道路わきにログハウスが見えてきた。バンは、そのログハウスの駐車場に駐車した。どうやら目的地に着いたようだった。
「昼前か。上等だな」
茉莉はバンを下りると、伸びをしながら言った。
「茉莉さん、まだ少し時間がありますが」
中條は、てきぱきと車から掃除用具を搬出していた。角間はそれを手伝っている。
「おう。じゃあ、ちっと散歩してくるわ。おめーもこい」
と、茉莉は蓮台寺の服を掴むと歩き出した。蓮台寺は、引きずられるようについていく。
その後ろ姿を見ながら、角間はつぶやいた。
「確かに、あんな姐さんは初めてですね」
中條は、ログハウスの鍵を開けながら言った。
「だろ? まるでライオンがネコだぜ」
茉莉たちがバンを降りたところは私有地で、当然、ほかに停める車はなかったのだが、その先にはいくつか駐車場があり、そのどれもが満車か、それに近かった。警備員も立っているほどだった。
途中から車両通行止めになり、歩道が整備された。どうも歩道の先にある滝が観光スポットらしい。まさかこんな山奥に観光地があるとは、と蓮台寺は驚いた。
茉莉と蓮台寺は観光客のあいまを縫って歩いていく。三十分近く軽い傾斜の坂道を上ると、急に涼しくなってきた。湿気もかなりある。そして、角を曲がったとたんに、急に、どどどどど!という大きな音が聞こえてきた。
滝だ。
「すげーだろ? 日本一の滝なんだぜ」
最大落差三百五十メートル。立山連峰の雪解け水が流れ込む滝だ。まるで龍のような逞しさを感じる流れが、山肌にかかった雲の間から絶え間なく走り出る。
蓮台寺は初めて見るその光景に圧倒された。
「で、あっちの細いのがハンノキ滝。雨上がりの水量の多いときにしか見れないやつな」
そう言って、茉莉は向かって右のほうを指さした。確かにそこには、目を凝らさないとよく見えないほどの細い滝が流れていた。
とはいえ、二つの滝が同時に流れ込むさまは、圧巻だった。中條の言っていた「いいかんじ」というのはこれのことだったのかもしれない。
観光客たちも、そこここで盛り上がっていた。
茉莉は蓮台寺を近くのベンチにいざなった。そのベンチは滝から遠く、比較的話しやすい。観光客もあまりいない。
ベンチに座ると、茉莉は話し始めた。
「うちの実家は、不動産をやっててな。この辺りに安い物件を見つけて衝動買いしちまったんだが、借り手もつかず放置してたんよ。で、今回、掃除しがてら、様子見ってことになってな。もう一人来るはずだったんだが」
その安い物件、というのがさっきのログハウスというわけだ。
「で、今日、おめーを呼び出したわけだが、バイトだ。デートじゃあ、ない」
そう言って、にやり、と茉莉は笑った。
蓮台寺は、バイトということがわかってほっと一息ついた。デートでなかったのは、残念というか、複雑な気持ちだった。
「あと、聞いたぜ。怜子から。おめー、あたしのナイトに志願したんだってな」
!? 怜子は「蓮台寺は茉莉のナイト」という比喩を使っていた気がするが、ずいぶんと話が歪曲されている。そう感じた蓮台寺は慄然とした。どんな尾ひれがついているのか。
「ま、そんなにビビんなよ。あたしはおめーに感謝してんだよ。あれで、あたしの気は楽になった。まあ、そうだな。やっぱ仕返しは気持ちいいよな」
そう言って、茉莉は蓮台寺を見つめた。
「ぼくも、あんなことしたかいがありました」
そう言いつつ、蓮台寺は心からほっとした。あんなヘンタイ撮影までして、何も状況が変わらないのであれば、それは最も不快なことだ。ヘンタイ撮影をすること自体よりも。
茉莉は、そんな蓮台寺の様子を見てから、真剣な面持ちで言った。
「で、気を楽にするついでに、あたしの話も聞いてもらいたい。あたしが受けたセクハラの話だ」
蓮台寺は下宿での円香の様子を思い出した。茉莉は、どうしてそういう気になったのだろうか。怜子から、蓮台寺にその話をするようにでも言われたのだろうか。いずれにしても、セクハラの話をするということは、当事者にとってよほどの決心がいるようだった。
「あたしはボランティアサークルに入っててな。あるイベントが終わって、打ち上げのときに、たまたま顧問の一人の柴田が隣に座ったんよ」
それから、茉莉はいったん口をつぐんだ。蓮台寺も、息をのむ。円香は胸を掴まれたと言っていたが。
「座ってしゃべってるとな、ケツの辺りがなんかムズムズするんだわ。んで、ふぁって見たら、柴田のクソがガチで揉んでやんのよ」
茉莉は、心底嫌なものを思い出した様子で、言葉を吐き出した。
「いっしゅん、キレかけたんだが。ほら、あたし、本気で殴ったらヤバいからさ。必死で我慢しながら、そのままフケたわけ。最悪の気分だったぜ」
蓮台寺には、想像するしかない。宴席で、もし隣に座った人間がお尻を触ってきたら。確かに、その場にはいられないだろう。
「そのサークルもそのままやめたわ」
そして、当然、そのときの状況を思い出すようなところにもいたくなくなる。茉莉は、それまで蓮台寺が見たことのない気弱な表情を見せた。
「あたし、男運ないのかなー」
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