第二十八話 別にぼくは「先生」を敬称だなんて思ってませんけど

 ……セクハラも「手を出した」うちに入るのだろうか、と蓮台寺は疑問に思った。

「あのクズ! ほんっと、人間のクズよ! あんな男がいるなんて!」

 円香は泣きながらしゃべっていた。

「セクハラ委員会にいっても仕方ないなら、直談判しかない。あのときはそう思った。自分が被害者になるなんて、意外に思わないものね」

 蓮台寺は、泣き出した女子を前に何もできない。

「そしたら、『きみも二人っきりになりたいんだね』だって……気持ち悪い! それから、わたしの胸を……」

 円香は泣きじゃくっていた。蓮台寺は、円香が電車や学内で話そうとしなかった理由がわかった気がした。

「ごめん、ごめんね。蓮台寺……伊都くん。ここまで取り乱すなんて思わなかった……もう整理したと思ってたのに」

 円香は、蓮台寺がさりげなく差し出したティッシュ箱からティッシュを二、三枚連続で取り出して涙を拭った。

「でね、何が問題かと言うと。わたしも怜子も茉莉も、自分が何をされたかはっきりと自覚があって、柴田のクソをぶっ殺してやりたいと思ってる反面、関わり合いたくもない、とも思ってる」

 ああ、そうか。蓮台寺は、次に円香が言うことは、きっと不愉快なものに違いないと確信した。つまり、与那はほかの三人とは違う。

「与那だけは、柴田がクソでないと思いたがっているし、関わり合いたがっているフシがある」

 蓮台寺は、今日の授業で与那に感じた違和感の正体に気づいた。確かに与那は、柴田の授業中、気持ち悪そうにしていた。しかし、与那からは、柴田に対する非難を聞いたことがない。

 柴田の授業を受けなければならないことに嫌悪感を感じているのなら、一つや二つ、その手の悪口が出そうなものだ。とくに、円香や茉莉、怜子と一緒のときは。しかし、与那は「大丈夫」としか言っていない。

「もちろん、与那も自分がセクハラ被害者だと認識はしているわ。でも、わたしたちと与那とで一番違うのは、与那の場合、セクハラを受ける前に信頼関係があった可能性があるってところ」

 円香は、冷静さを取り戻していた。もう氷水しか残っていないアイスロイヤルミルクティーを飲み干した。

「怜子も茉莉も、柴田とは違う学部で、接点もセクハラを受けたときくらいしかないと思う。わたしは、そもそもセクハラをやめろって言いにいっただけだし。でも、与那はね。与那は……ほら、いい子だから」

 円香は言い難そうに言った。

「先生ってのを無条件に信じちゃうみたいね。柴田みたいなクズがいるなんて思いもしなかったのよ、きっと。高校までは幸せだったのよ、それで」

 円香は、声を落とした。

「与那は、柴田の『日本文学Ⅰ』の授業を真面目に受けてたんだと思うわ。で、真面目過ぎて、柴田に近づいて、それで」

 蓮台寺は、なんとなく想像できた。きっと、与那は天真爛漫に柴田に近づいたのだ。

「わたしも具体的にはどんなだかわからないんだけど。去年の三期以降、与那は人が変わったようになった。社交的だったのが、誰ともしゃべろうとしなくなり、明るかったのが、暗くなったわ。与那にとっていいことがあったわけない」

 蓮台寺は、与那の自宅で円香の言ったことを思い出した。前にも、学校を休むことがあり、それを境に人が変わった、という。

「セクハラ被害者がわたしたちでもう四人はいるんだから、セクハラ委員会に提訴しようって与那に言ったわ。でも、与那はやっぱりそれじゃダメだっていうのよ。まあ、相手は学部長だし、もみ消されちゃうってのもあるかもしれないんだけど」

 円香は、蓮台寺の目を見て言った。

「だからって、柴田を許しちゃいけない。それで、わたしが考えたのが、この『大学での学修を効率よく進める委員会』。つまり、柴田に復讐するための委員会、そして与那に柴田を許させないための委員会」

 蓮台寺は、息をのんだ。「復讐」とともに、与那を心理的なトラップから救出するという計画。

「複雑ですね」

 ようやく蓮台寺は言葉を絞り出した。

「そう。複雑なのよ。ただ、たぶん与那自身にも、柴田を許せないっていう心はあるみたい。委員長はやってくれるくらいだからね。わたしたちがそうさせたわけだけど」

 円香は、そう言うと、ため息をついた。

「でも、柴田を許したほうが、柴田に無防備に近づいて行ったバカな自分を正当化できる。あの子、自己愛が強いのかも。ナイトも気が重いわね」

 蓮台寺は、円香のことばに、与那に対する非難の色を感じ取った。円香と与那。同じ高校だったが、高校生当時、接点はなかったという。二人の関係も複雑なのかもしれない。

 蓮台寺は話を戻した。

「でもまあ、今日は、与那さんと柴田先生が言葉を交わすということはなかったはずですよ。なんとかして柴田先生の与那さんへの関心を逸らせばいいわけですね」

 円香はため息をついた。

「はぁー、ナイトがそれじゃ先が思いやられるわ。柴田が目をつけた女子から目を逸らすわけないじゃない。逆よ、逆。与那の関心を柴田から逸らすの。あと、柴田『先生』っての禁止ね。ムカつくから」

 蓮台寺は、きょとん、として言った。

「別にぼくは『先生』を敬称だなんて思ってませんけど」

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