第二十七話 「与那には手を出すな」?

 蓮台寺は違和感を覚えた。与那はどうだった? というのならわかる。心配されていたのは与那の体調だったはずだ。柴田の様子を聞く必要なんて、あるのだろうか。

「柴田先生は、今日も与那さんをあてようとしました。与那さんは気持ち悪そうでした」

 蓮台寺はなぜか正座で報告していた。

 それで? と言って、背もたれを抱くように座った円香は椅子の上から続けるように促した。

「挙手を求めるようにぼくから柴田先生に言いました。あてられた人だけ得点チャンスなのは不公平だから」

 円香はふん、と鼻を鳴らした。

「授業中に? きみって、案外目立ちたがりなのね」

 蓮台寺はむっとした。

「ほかにやりようがなかったんです」

「与那を連れて教室から出るとか」

「そっちのが目立つでしょ」

 蓮台寺は呆れた。

「怜子から聞いたわ。与那のナイトになったって」

 これが女子の情報網か。蓮台寺は戦慄した。すべての情報が共有されていると思って間違いなさそうだ。

「わたしのナイトにもなってもらおうかなー。早くエアコンつけなさいよ」

 前半と後半のつながりがまったくない。蓮台寺は従うほかなかった。涼しくなったとはいえ、若干汗ばむ気温だ。

 手でぱたぱたと「暑い」ジェスチャーをしている円香は、薄手のブラウスを着ていた。椅子の背もたれに押し潰されて否応なく意識させられるエグい体の輪郭がどうしても目に入る。

「ナイトとか、怜子さんが言ってるだけじゃないですか」

 蓮台寺は視線を円香から逸らしつつ言った。

「そのことなんだけどね、それ、意外に大切なのよ」

 円香は、机の上からアイスロイヤルミルクティーをとり、口をつけた。カップのまわりの水滴が落ちて円香のスカートに染みをつくった。

 蓮台寺には円香が何を言っているのか、わけがわからない。

 円香のことばを待っていると、円香は、ようやく涼しくなってきたわね、とか言って、しばらく間を置いた。それから、おもむろに切り出した。

「わたしたちが柴田のセクハラの被害者だってことは知ってるわね」

 蓮台寺は緊張した。あらためて、目の前の女子がセクハラの被害者だと聞くと、どうリアクションしていいのかわからない。安易に共感を示すこともできないし、笑い飛ばすこともできない。性暴力をただの暴力に置き換えて想像するくらいだ。

「柴田がほかのセクハラ加害者と違うのは、ぜったいに、セクハラと認めないこと」

 円香は、淡々と言った。感情を抑えているのだろう。

「だから、被害者の証言だけでは、うやむやにされてしまう。柴田は、女子が二人っきりになっては絶対いけないタイプの男だった」

 蓮台寺は思った。円香は、今、蓮台寺と二人っきりになっている。実は、不安に思っていやしないか、と蓮台寺は心配になった。

「でもね。先生と話すときに、いちいち『先生は男なので、二人っきりで密室で話すことはできません』って言えると思う? それに、話す内容によっては実際に他人に聞かれたくないことだってあるかもしれない。それこそ、テストのこととか」

 確かに、そうだ。最初からセクハラで知られる教師ならともかく。

「わたしの場合は、柴田の研究室で胸をつかまれたの」

 蓮台寺は、度肝を抜かれた。どうしても、円香の胸に目がいってしまう。円香も、それは仕方がないと思っているのか、蓮台寺を責めない。

「もちろん、セクハラ委員会に訴えるって言ってやったわ。そしたら、『きみ以外に証言者がいないのに、どうやって証明するんだ』って開き直り。信じられる?」

 円香の目には、涙がにじんでいた。突然の涙を前に、蓮台寺は、首を振ることしかできない。

 あの「日本文学Ⅱ」の柴田教授は、そこまでの痴漢だというのか。にわかには信じることができない。だが、円香が嘘を言っているようにも思えない。

「それは……信じられませんね」

 とまどいつつも、蓮台寺はそう言うのがやっとだった。

 ただ、次第に円香に共感を覚え始めていた。自室に二人きりというのも作用しているかもしれない。明らかに相手が悪いのに、それを追及できない。胸を掴まれるのがどういうことなのか、蓮台寺には想像もつかないが、密室で殴られたというのなら、想像できる。相手のほうが腕力があり、殴り返したいのに、できない。いっそ、相手を一撃で黙らせるしかない、と思い詰める。そういう気持ちなら、想像できる。

 一方、どこか冷めた頭に疑問も湧いた。経済学部の円香がなぜ人文学部の柴田の研究室に行ったのだろう。

「与那と電車で会わなくなって、おかしいと思って与那に聞いたら、柴田が手を出したってわかったの。もう手を出すなって言いに行ったのに! あのクズ……!」

 クズ、のあたりは涙声になっていた。

 ……「与那には手を出すな」?

 

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