第二十三話 きみには、本日の授業に貢献する資格がない

 六月第四週の木曜日。蓮台寺は、来月からの一週間、つまり来週のあいだ、出席停止処分を受ける。したがって、再来週は与那は一人で柴田教授の授業を受けることになる。蓮台寺は、何ができるかもわからないが、何かすることを「大学での学修を効率よく進める委員会」から求められていた。

 「日本文学Ⅱ」は二年生配当の授業で、基本的には二年生が受講する。二年生でなければ、単位を落とした三、四年生(あるいはもっと上)だ。一年生には履修制限がかかっている。

 一時間目の朝は、バイトその他で夜遅くまで活動することもある学生にとっては早朝だ。それでも、時間通りに出席しなければ担当教員の不興を買うような授業ならば、いやがおうにもほとんどの学生が揃う。柴田教授の授業はそんな授業だった。

 少人数のクラスなら、途中参加の者があれば目立つ。しかし、「日本文学Ⅱ」は、きちんと時間通りに毎回出席すればほぼ落とすことがない授業と言われており、百五十人の二年生の、ほぼ全員が履修登録をする。百五十人は、当然、お互いに見知った顔とは限らない。途中参加だから目立つということは、本来ない。

 蓮台寺が教室に少し早めに到着すると、すでに与那は来ていて、教室最後方の扉近くにある座席に座っていた。その机のもう一方の端に、蓮台寺は座った。

 すると、意外なことに、与那のほうから近づいてきた。与那は、トートバッグを挟んで一つ空けた隣の席に座った。

 与那は、蓮台寺のほうを見ずに言った。

「あのね、あのとき、『不正行為なんてしたくせに』って言って、ごめんね」

 あのとき? ああ、「大学での学修を効率よく進める委員会」に勧誘されたときのことか。蓮台寺は思い出すのにしばらくかかった。それにしても、よく覚えているものだ。

「初めてコンビニで会ったとき、覚えてる? あのとき、わたし、不正行為してたの。きみのことをどうこういえないの、本当はね」

 コンビニの自習スポットに置かれた、テスト中の、まだみんなが受けているはずの、終わってないはずのテストの問題用紙。蓮台寺は、それはすぐに思い出せた。だが、何と答えればよいかはわからない。蓮台寺が黙っていると、与那はそのまま蓮台寺に目を合せないようにしながら続けた。

「といっても、わたしはカンニングさせた側なんだけどね。あらかじめわたしが解答しておいた答案を渡したの。トイレでね」

 そう言って、与那は俯いたまま続けた。

「『不正行為には厳正に対処』、だって。バッカみたい。女子トイレのなかまで試験監督は入ってこないし、調べもしない。問題用紙だって簡単に持ち出せる。その授業の単位が必要じゃなきゃ、簡単よね」

 なるほど。つまり、テスト開始前にその授業の単位が不要な円香だか茉莉だか(怜子は目立つからナシだろう。比較的目立たないという点では円香か)が教室に紛れ込んでおいて、問題用紙が配布された後、隙を見計らって問題用紙を持ち出し、外にいる与那がそれを受け取り、急いで解答を作成、それからあらかじめ申し合わせておいたトイレに解答用紙を仕込み、それを後から依頼者が回収、自分の答案と交換する、ということか。依頼者には交換時に人に見られるリスクがあるが、教室最後方の机で受験していれば、見咎められる危険は少ない。他の学生に見られたとしても、余った答案用紙か二枚目の答案用紙のように思われるだけだろう。そう蓮台寺は推測した。そして、おそらく依頼者は女子だ。

「ほんと、厳正に対処されちゃった蓮台寺くんも、バッカみたい」

 蓮台寺が二の句も継げないでいると、教室最前方の扉から、柴田教授が入ってきた。時間通りだ。

 与那の体が心なしか強張ったように蓮台寺には思えた。

 柴田教授四十代。すらりと背が高く、スーツを着こなすダンディな紳士だ。裏学校サイト「大学クラブ」では、「柴田がいなくなれば人文学部の女子は半減する」などという書き込みすらあるほどだった。

 授業が始まって二十分が経過した。豆知識を披露して学生たちの興味を引きつつ、柴田はなかなかうまい具合に授業を進行させていた。

 突然、蓮台寺たちの後方にある扉が開き、男子学生が飛び込んできた。急いだ様子で蓮台寺たちの近くの椅子に座る。かなり大きな音が立った。

 柴田教授の顔色がみるみる変わった。

「そこのきみ。遅れてきたばかりか、授業を妨害する気かね。そんな音を立てて」

 そして、柴田は教室最前方から蓮台寺のいる後方まで歩いてくる。与那の顔色が青くなったように蓮台寺には見えた。

 柴田は、遅れてきた男子学生のところに真っすぐ歩み寄ると、厳しい調子で学籍番号を聞いた。そして、強い調子で命じた。

「教室から出ていきたまえ」

 有無を言わせぬ口調に、その学生は黙って従おうとしていた。隣に置いたバッグを肩にかける。追い打ちをかけるように、柴田教授は続けた。

「きみには、本日の授業に貢献する資格はない」

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