第二十一話 きみには与那の騎士になる資格がある
「復讐、ですか」
蓮台寺は、与那のお見舞いに行く途中の電車のなかでの円香の言葉を思い出した。
「そう。バカみたいかもしれないけど」
怜子は、少し目を伏せた。ふだんはクールな印象で人を寄せ付けない雰囲気の怜子だが、蓮台寺には、今の怜子は心なしか気弱にみえた。
「そうですか? 泣き寝入りよりいいじゃないですか」
蓮台寺は、理不尽なことが嫌いだ。自然にそんな言葉が口をついて出てきていた。
蓮台寺がなんとはなしに見ていた机の木目から目を戻すと、怜子が蓮台寺のほうを意外そうに見つめていた。蓮台寺は慌てて目を逸らした。
「へーえ。きみ、変わってるわ。早く忘れたほうがいいとか、そんなことを言う人はいるけど。それに、わたしが『触られた』って言ったとき、『どこ』とも聞かなかった。けっこう、この話すると聞かれたりするんだけどね」
怜子はきれいに整えられた眉を少し上げると、少し笑った。「どこ」だなどと蓮台寺が聞くわけはない。触られたらイヤなところに決まっている。蓮台寺には、それだけで情報としては十分だった。
「そうね。泣き寝入りよりはマシよね」
そして、怜子の顔から笑みが消えた。
「でもね、復讐しても、わたしたちのされたことがなくなるわけではないの」
蓮台寺は、想像するしかない。
理不尽な暴力。
例えば、道を歩いていて。いきなりブン殴られたとする。
笑って許せるだろうか? そんなわけはない。一方的な暴力に蹂躙されたという事実。痛いとか怪我したとか以前に、誇りが傷つけられるのだ。
「復讐は、自分の中でバランスをとるために必要なことなのかもしれませんね」
意識的に忘れることなんてできない。誇りを傷つけられても忘れられるなんて言うヤツは嘘つきだ、と蓮台寺は思った。できるのは、自分の心のバランスをとることだけ。
怜子は蓮台寺をしばらく見つめていた。蓮台寺は目を逸らした。とてもではないが、見つめ返すことなどできはしなかった。
怜子は突然、それまでの真剣な面持ちから、力を抜いたような表情になった。
「ホントのことをいえば、わたしは柴田なんてどうでもいいのよ。あんなクズのことを考えるだけ時間と労力の無駄。学部も違うしね」
突然、ちゃぶ台を返すようなことを言い、怜子は呼び鈴を押して店員を呼んだ。
「甘いのが食べたくなっちゃった。きみも何か頼んでもいいわよ。お姉さんがおごってあげるわ」
怜子の口調が急に柔らかくなったように蓮台寺は感じた。メニューに押し出されているのは、チョコレートパフェと季節のフルーツパフェだった。今の時間だと、夕ご飯の代わりになるな、と蓮台寺は計算した。チョコレートのほうが腹にたまりそうだ。
店員がやってきた。
「チョ……」
「チョコレートパフェお願いします」
と、怜子は言った。
「じゃあ、季節のフルーツパフェで」
蓮台寺はおずおずと言い直した。
「わたしのより高いじゃない」
チョコレートパフェは八百五十円、きせつのフルーツパフェは九百五十円だった。
「すみません、オゴリだと聞いたもんで」
蓮台寺は、形だけ謝った。同じものを頼むほうが気恥ずかしい。
「紅茶頼むときは気を遣ってたみたいだったけど、気のせいだったかしら」
怜子は呆れたように、しかし少し面白そうに言った。
「で、柴田先生は、ほかのみなさんにもその、セク……ラをしたわけですよね」
蓮台寺はぼそぼそと聞いた。セクハラとは、いくら小声でも言いづらい。
「わたしの口から勝手に言うわけにはいかない。茉莉はたぶん気にしないけど、一応、本人から聞いてちょうだい」
怜子は、お冷に口をつけると、意味ありげな笑みを浮かべた。
「どうもきみは、茉莉に気に入られてるみたいだしね」
怜子につられてお冷に口をつけていた蓮台寺だが、思わず噴き出した。
「はあ!? どういうことですか」
「言葉通りよ。茉莉はきみに心を開いているみたいだから、どんなセクハラを受けたかきみが聞いても、キレたりはしないだろうってことよ」
確かに、どんなセクハラを受けたか聞くこと自体が二次的セクハラになることはある。
「その辺のオトコがテキトーにそんなこと聞こうもんなら、骨の一つや二つ折られるわね」
怜子は微笑みながら恐ろしいことを言った。蓮台寺が「その辺のオトコ」でないという保証は、怜子の根拠のない見立てでは不十分のように蓮台寺には思えた。
「わたしと茉莉は、ちょっとしたパーティでも一緒になることがあるの。茉莉は美人だしスタイルも抜群だからモテるのよ。ジャージ以外の服を着ているときはね。でもあの性格だから、大人しい男の子は寄ってこなくて」
怜子はそう言うと、ふうっとため息をついた。
「キョースケも、ちょっときれいめだったけど、バカだったしね。男運がないのかしらね」
キョースケ。顔も知らない茉莉の元カレにして、蓮台寺がケンカを盛大に吹っ掛けた相手だ。こうしている間にも、キョースケが蓮台寺を探し歩いているかもしれない。蓮台寺は、今更だが、自分のしたことに寒気がしてきた。
「あのー、キョースケさん……は」
どんな方なんですか、と心配になってきた蓮台寺。ちょうどそのタイミングで、二人分のパフェが運ばれてきた。
「わたしここのチョコレートパフェ大好きなのー」
怜子は、少しイメージとは異なる乙女な声を出した。もしかして、機嫌がよいのだろうか? ぼくも一食分浮いてラッキーですー、と言いたいところだったが、さすがに蓮台寺はこらえた。
しばらく食べたところで、今度は蓮台寺が話を切り出した。
「ところで、ぼくと与那さんだけが柴田先生の授業を受けるとして、ただ同じ教室にいるだけでいいんでしょうか? ノートはとりますけど」
柴田教授が与那にしたというセクハラの内容はわからないが、柴田教授にあてられるだけで吐いてしまうという以上、それが許されない所業なのは間違いない。だが、蓮台寺が同じ授業に出ることで、事態は緩和されるのだろうか。
すると、怜子は、パクついていた手を休めると、チェコレートのついた口で、クールで大人な怜子にしては意外な、少しおどけた表情を見せながら言った。
「きみには与那の
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